学校帰りに喫茶店。
考えてみれば、そんなシチュエーションって、実はそんなに多くないのよね。
普段、あたし達、SOS団の面々は、駅前の喫茶店を使うことが多い。でも、その喫茶店が北高から遠いこともあり、学校帰りに行く場所としては、余り適切とは言えなかった。
それなのに、わざわざ、駅前の喫茶店にやって来たのは……はて、何故かしらね?
駅前の喫茶店に行こう、なんて言い出したのは、涼宮ハルヒである。
そのハルヒに、理由を尋ねてみたところ、
「べつに……」
と、はぐらかされただけだった。
テーブル席に向かい合うように座り、あたしはアイスティにレモンを注ぐ。ストローでかき混ぜると、カラン、と氷が音を立てた。
あたしの手元を見ていたハルヒは「キョン子」とあたしの名を呼んだ。
「なに?」
「……どう、最近?」
一体、何を指し示した上での『どう』なのだろう? そこを訊きたいところではあったけど、どうやらハルヒは、何かしら意図があって尋ねてきたわけではなさそうである。
それくらいは、丸二年もの付き合いなのだから、ハルヒの傍にいるだけで分かってしまう、というのが、ここ最近の自分、といったところだった。
だからあたしは、ハルヒの問いにすぐには答えず、レモンティを口に含む。
冷たい紅茶を一口飲み込んでから、あたしは、ホットにすれば良かったな、と後悔した。暖かくなってきたとはいえ、放課後ともなると少しばかり肌寒い。それなのに、アイスティは無いわよねぇ……と我ながら呆れた。
四月に入り、春休みも残すところあと数日。次に始業式が来れば、あたし達はいよいよ三年生になる。桜が今にも咲きそうなくらい、蕾を膨らませつつある表通りの木々に視線のやり場を求めていると、ハルヒが口を開いた。
「……さっき言おうと思ったんだけどさ。アイスティは、少し、気が早くない?」
「うん、頼んでから気付いたのよ、そのことに」
視線をハルヒの方に戻し、あたしは言葉を返す。ハルヒはスプーンでホットコーヒーをかき混ぜながら、「バカねぇ、あんたは」と言って苦笑した。
「それくらい、注文する前に気付いときなさいよ?」
「……よね。今度から、気をつけるわよ」
あたしがそう答えると、ハルヒはもう何も言うことが無くなったらしく、コーヒーカップに視線を落とす。そのまま、ハルヒは黙り込んでしまった。
何やら、アンニュイな雰囲気のハルヒだったけど、その原因に関して、あたしはだいたいの察しが付いていた。
こっちは二年もの間、伊達にハルヒに振り回されてきたわけじゃない。正直なところ、ハルヒの考えていることくらい、あたしにはお見通しである。
……ただ、厄介なのは、あたしにはハルヒの心境を見抜くことができるのに、あのバカにはハルヒの心境を見抜くことなどできやしない、ということなのだが、その話はここでは置いておくことにする。
春休みが終われば、あたし達は三年生へとなっていく。学年が一つ上の朝比奈さんは、既に卒業してしまったし、あのバカこと、あたしの双子の兄貴であるキョンは、何を思ったのか、北高の生徒会長をやっていた。
また、古泉ツインズの片割れである一樹は、SOS団の副団長として、SOS団の活動に積極的に参加していると言えたけど、もう片方の一姫は、生徒会の副会長という要職に就いているため、SOS団の活動にはなかなか参加できないらしい。
一時は、大所帯で賑やかだったSOS団も、今は収束して、閑散とした雰囲気すら漂っている。それが、ハルヒからすれば、どことなく物寂しいのだろう。
そんな心境だったからこそ、ハルヒはこんな、寂しそうな顔をしているのだろうな、とあたしはアタリを付けていた。証拠なんてものはありはしないけれど、それでも、あたしは確信しきっていた。
こんな寂しそうなハルヒに、ねぎらいの言葉をかけてあげるくらいは、あたしにだってできる。でも……本当の意味で、ハルヒを支えることは、あたしにはできそうにない。というのも、あたしでは役不足なのだから。
ハルヒの親友を自負しているあたしとしては、ハルヒの力になってあげたい、というのが本心である。でも……それは叶わない。ちょっと悔しいけど、ハルヒを真に元気づけてやれるのは……ホント、悔しいんだけど、あのバカ兄貴だけなのだ。
「ハルヒ」
あたしはハルヒの名前を呼んだ。ハルヒは顔を上げ、こちらの顔を見る。
「なによ?」
「寂しいんでしょ?」
直截な訊き方になってしまったけど、意味するところはハルヒにも理解できたらしい。ハルヒは「はぁっ!? 何が?」などと、何も分からないとでも言いたげな口調になっているけれど、頬をほんのりと朱に染めているのだから、照れ隠しの演技であることくらい、あたしには見抜けていた。
残念なのは……あのバカ兄貴は、クソがつくほどに鈍感なので、ハルヒの心情理解が恐ろしく下手だったりする。つくづく、鈍感を慕うツンデレは報われてないわよね、とあたしは感じた。
「キョンが団活に、普段顔を出さないから、ハルヒは寂しいんでしょ?」
「だ、誰に向かって言ってるのよ、キョン子! あたしは、べつに、そんな、キョンがいないから、寂しいとか、決して、そんなことは――」
「その割には、目線が定まってないわよ、ハルヒ?」
あたしがツッコミを入れると、ハルヒは「うっ」と言葉に詰まった。
あたしは続ける。
「朝比奈さんは卒業したから、会えないのはしょうがない。一姫は、なにかと、SOS団に顔を出そうと努力はしてくれている。でも……うちのバカ兄貴は、生徒会の活動が忙しいことを理由にして、SOS団に顔を出そうとすらしない。そりゃあ、団長とすれば、一言くらい、文句も付けたくなるわよねぇ?」
これでも、ツンデレの扱い方には自信がある。団長としての尊厳、を突っついてやれば、あとはハルヒが自分から口を割ってくれるでしょ。
「そ、そうよ! その通りよ、キョン子!」
まだ少し頬を染めながらも、ハルヒは食いついてきた。しめしめ、と思いつつ、あたしはハルヒに笑顔を向け、無言で続きを促した。
「だいたい、あのアホキョンが、団長のあたしに断りもなく、団活をサボってるのがいけないのよ! 本当なら、SOS団からほっぽり出すくらいの厳罰が必要なんだけど、相手があのアホキョンじゃあ、しょうがないわよね、だってアホなんだもん。ここは、寛大なる団長であるあたしだからこそ、できることなんだけど、キョンの怠慢っぷりを、多めに見てあげることにするわ!」
一息に言い切ったハルヒは、コーヒーで唇を湿らせた。長口舌で口元が乾いたのだろう。
「それなら、一度、キョンにはお灸を据えた方が良いわね、それも、きっつーいやつを。そのためにも、キョンには部室に来てもらわないと」
「そう、そうよ、キョン子! あんた、良く分かってるじゃないの! やっぱ、あんたはあたしの親友だわ! どっかのアホとは大違いね」
ホント、これで同じ遺伝子持った双子なのかしらね、と続けたハルヒにあたしは、
「悲しいけど、あんなんでも、あたしの……お兄ちゃんだからさ」
と、一応、兄貴のことをフォローしておいてあげた。
おそらく、ハルヒは一人で悶々と悩み続けていたのだろう。浮かない顔をしていたのも、キョンがいない寂しさを、たった一人で堪えていたからなのだろう。
そんな時は、溜め込んだ鬱憤を吐き出すに限る。
フラストレーションを外に出すだけ出したハルヒは、案の定、晴れ晴れとした顔つきになった。その後、あたしは、ハルヒと共に、春休みが明けてからのSOS団の活動に関して、あれやこれやと話し合っていた。
少しは、楽しそうに笑えるようになったハルヒの横顔を眺めつつ、あたしは窓の外をちらりと見た。
窓の向こうにあるであろう、北高に向けて、あたしは密かに呟いてやった。
「……バカ兄貴」
こんな可愛い女の子をほったらかしにしておいて、それで『生徒会長でござい』と大きな顔をしていようもんなら、あたしはキョンの尻を思いっきり蹴っ飛ばしてやろう、と心に誓った。