とある禁書の短編目録

「わん」と鳴け!

「ちょっと、アンタ! 止まりなさいって」
 退屈な補習授業の帰り道。夕日に染まった学園都市の一角で、上条があくびをかみ殺していた時だった。
 後ろから掛かった声に、上条は振り返る。自分のことを「アンタ」などと呼ぶ、先輩に対する尊敬の念を微塵も感じさせない、ちょっとばかり生意気な後輩の顔など、一つしか思い浮かばなかったが、予想に違うことなくそこにいたのは御坂美琴であった。
「よう、御坂。どうした?」
 サマーセーターにプリーツスカート。見慣れた常盤台中学の制服を一分の隙もなく着こなしながらも、腕を組んで屹立する姿は、可憐というより凛々しいと評したほうがしっくりくる。
 口をへの字に曲げ、どことなく不機嫌そうな顔をしている美琴は言った。
「人が何度も名前呼んでるんだから、反応しなさいよ、このバカ」
「呼んだ?」
 思わず、おうむ返しにした上条。はて、「上条」とも「当麻」とも、呼ばれた記憶はなかったのだが……。
 そういえば、さっきから何回か、アンタ、という声を耳にしたような気がする。ああ、あれは美琴が自分を呼ぶ声だったのか、と思った上条は溜息を吐く。
「お前なぁ……。後ろから『アンタ』って呼べば、俺がいつだって後ろ向くと思ってたら大間違いだぞ?」
「う、うるさいわね……。なによっ? 振り返らないアンタが悪いんでしょ? 逆ギレするつもり?」
 この場合、逆ギレはどっちなんだろう? 甚だしく疑問に思った上条であったが、言わないでおいた。火に油を注ぐ、ならぬ、電気に水を注ぐ、というものだろう。相手の特徴的な意味で。
 上条が何も反論しないでいると、上条を論破できたことに美琴は気を良くしたらしい。
「うん、よろしい! 美琴先生の言うことはちゃんと聞きなさいよ? いいわね?」
「……あのなぁ……。これじゃあ、上条さん、扱いが犬やら猫やらと変わらないんじゃありませんでせうか?」
「犬? 犬かぁ……。それも、なんか面白そうね……」
 上条の言葉に対し、美琴は目の奥をキラリと光らせた。
 口の端を怪しく歪めてみせた美琴に、上条は顔を引きつらせる。やばい、これは何か、美琴様の良からぬ地雷を踏み抜いてしまったかもしれない、と思った上条は、一歩、二歩と後ずさる。
 しかし、それを美琴は逃さない。上条との間合いを一瞬で詰め、上条の足を払う。
「いでっ!」
 ストンと尻餅をついた上条に近づき、美琴はかがみ込む。上条と目線の高さを合わせ、美琴はにんまりと笑う。
「犬耳と首輪と、尻尾とか、つけてみない?」
「……上条さんに、拒否権は?」
 敢えて、訊いてみる。
 いまだかつて上条が見たことがないほどの笑顔を浮かべた美琴は、小首を傾げつつ、語尾に星マークかなんかつけてるんじゃないかと思わせつつ、
「うん、ない☆」
 と、死刑宣告にも等しいセリフを、宣った。
 絶望感と虚脱感に苛まれた上条は一言、
「……不幸だ」
 と呟いた。