とある禁書の短編目録

浴室でのイタズラ

 インデックスがいない。

 それすなわち……

 ベッドで目一杯体を伸ばして寝ることができるということ!

 ベッドでの睡眠が待ち遠しい上条は、普段よりもテンション高めで風呂に入り、シャワーを浴びていた。



 黒子がいない。

 それすなわち……

 変態行為に患わされることなく風呂に入れるということ!

 鬼の居ぬ間に洗濯、という諺に従った美琴は、いつもよりもリラックスして服を脱いでいた。



 白井黒子は、部屋にいなかったわけではない。暗い部屋の片隅で息を潜めていたのであった。
 愛しのお姉様と、浴室でのスキンシップを楽しみたい!
 しかし、ツンデレなお姉様のこと。真っ正面から抱きついても、照れ隠しの電撃を食らってしまうのがオチ、というもの。

 ならば……

 後ろからこっそりと忍び寄り、組み伏せる。
 そのまま流れに身を任せれば、お姉様とてデレるはず!
 盲信、とでも呼ぶべき確信に背中を押され、白井はそろりそろりとバスルームへと近づいていく。
 たおやかな背中……
 引き締まったウェスト……
 慎ましくも悩ましい胸……
 ああー! お姉様の肢体はまさに、選び抜かれた宝石のよう!
 妄想に耽る白井の顔は、常時とは比較にならないほどに、緩みきっており、浅い呼吸を何度も繰り返し始め――
 刹那、白井は“暴走”した。
 バスルームへと続くドアを開け、美琴の背中に手を触れただけなのに、

 美琴の姿が忽然と消えた。

「あら……?」
 我に返った白井の、間の抜けた声が虚しく響く……



「ん? 今、黒子に?」
 浴室へと続くドアに手を掛けた時、誰かに背中を触られたような気がした。
 しかし、部屋に白井はいなかったはず。
 気のせい、か。そう思うことにし、美琴はドアノブを捻る。



 シャワーのレバーを捻り、湯を止める。掌で顔を擦りつつ、上条が一息ついた時だった。
 背後で、かちゃ、という、ドアの開く音が聞こえた。

 美琴は浴室に足を踏み入れる。

 上条は音に気付き後ろを見る。

「「え?」」
 そこに、御坂美琴がいることに上条は呆然となり、
 そこに、上条当麻がいることに美琴は唖然となる。



 首を後ろに向けた上条は、まず“そこに美琴がいること”に驚いた。
 次に、美琴が“何も身につけていないこと”に驚いた。
 そして自分もまた、何も身につけていないということに、気がついた。
 上条の不幸センサーが瞬間的に下したのは『見てはいけないものを見た』ということであり、上条はほとんど条件反射で美琴から視線を逸らす。
 上条の背中から、上擦った美琴の叫びが聞こえてきた。
「なっ、なんでアンタ、こんなとこにいるのよ!?」
 上条も負けじと叫び返す。
「そりゃ、こっちのセリフだ! だいたい、お前こそ、なんでいきなり人の部屋に現れて、まっぱになってんの!?」
「……え? アンタの部屋?」
 言われて気付いた、といった様子だった。
 背後をちらと見やると、美琴が胸と下半身をどうにかこうにか腕と手で隠しつつ、周囲を見回していた。
 それから彼女はポツリと言う。
「……確かに、私の部屋じゃないわね……」
 事情は分からないが、どうやら、不法侵入の挙げ句に服を脱いだ、という頭の沸いた行動の産物ではなさそうである。
 ここは、学園都市。
 何が起こっても、それほど不思議ではない。
 しかし……それでも、不思議なことはあるものだなぁ……上条は現実逃避をしていた。



 何が起こったのか、イマイチ理解できていないのは美琴も同じだった。
 常盤台の女子寮で服を脱ぎ、自室の風呂場でシャワーを浴びよう、としていたハズだった。
 ところが気付けば、上条の部屋に……よりにもよって、上条が風呂場にいる時の風呂場の扉を、自分は開けてしまっていた。
 一糸まとわぬ姿を、上条に見られてしまったような気がする……。慌てて、胸と下半身を腕と手でガードしたが、おそらく上条には美琴の大事なところを見られたにちがいない。
 羞恥に身悶えすべきところなのだろうが、美琴は眼前の上条の体に、何故だか見とれてしまっていた。
 こちらの裸を見られてしまったのだから、上条の体をじっくりと観察する権利くらいはあるはず……という自分でも良く分からない論理で、美琴はムリヤリに正当化した。
 いかにもなマッチョ体系、というわけではないし、特別、腕が太い、というわけでもない。
 しかし、肩幅が思いの外、広かった。肩胛骨の周辺の筋肉が、意外と発達しているのが、美琴の目に映る。
 続けて、美琴は上条の足下に目を向ける。
 普段、上条は長ズボンを履いていることが多く、美琴は上条の足というものを見たことがない。
 そして直視して分かったが、ふくらはぎや太股が、カチッと引き締まっていた。あれなら、逃げ足が速いのも納得できるわね、と美琴は思った。



 しかし、現実逃避をしてばかりもいられない。
 仮にも美琴は裸なのだ。
 そんな姿では寒いにちがいない。
 上条は息を一つ吐き、しょうがないか、と腹を括る。
 とりあえず、手で“前”を隠して上条は美琴の方に振り返る。
「そこ、寒いだろ?」
「え? あ、うん……」
「俺は構わないから、こっち来いよ?」
「え? それって、つまり……」
 上条は片手で股間を隠しつつ、空いているほうの手で美琴の肩に触れる。そしてそのまま美琴を浴室へと連れ込んだ。
 若干、顔をあらぬ方へと背けつつ、
「……なるべく、お前の方は、見ないようにするから……」
 と上条は言った。
「その、湯船につかれって……。風邪、ひいちまうぞ?」
「……ありがと」
 上条に礼を述べた美琴は、ゆっくりとした所作で湯船に体を沈めていった。



 言葉の通り、上条は湯船に背を向けたまま、石鹸で体を洗い始めた。
 そりゃ、凝視されるのは、恥ずかしいから嫌なのだが……上条がこちらを見ないようにしている姿を目の当たりにすると、自分には色気が無いのだろうか、と美琴は自信を失いそうになる。
 それに比べて、上条は……。
 先程、上条がこちらを振り返った時、美琴は上条の正面を見た。
 股間こそ、上条は隠していたが、それでも上条の上半身に、美琴は少なからず息を呑んだ。
 大胸筋こそ人並み程度だったが、上条の腹筋は見事に割れていた。
 鍛えてそうなった、というわけではないだろう、と美琴は考える。むしろ、作られた、あるいは、鍛えられた、という表現が的確であるとすら美琴には思えた。
 足の筋肉が発達していたのは、敵から逃げるため。
 腹筋が必要以上に割れていたのは、おそらく敵の攻撃から身を守るため。
 肩周りの筋肉が盛り上がっていたのは、敵を殴り続けた結果、といったところか。
 およそ、健康的とは言い難い、激戦の果てに手に入れたのであろう上条の肉体は、ある意味で上条の不幸体質を実に良く具現化していると言えた。
「えーと、御坂さん? あの、俺の体、変?」
 美琴の視線に気付いたらしい。恐る恐るこちらを振り返り、上条が美琴に尋ねてきた。
 美琴は答える。
「いや……アンタって良い体してるなーって思ってさ」
「そうかぁ? こんなもんだろ……」
「そんなことないわよ。でも……スポーツとか、ボディビルとかじゃ、逆に作れない体よね……」
「……まぁ、不幸の産物だからなぁ……」
 そう言いつつ、上条は体を洗っていく。
 美琴は湯船の縁に顎を乗せ、「それに比べてさー」と言葉を続ける。
「私の体……どうなんだろ?」
「……どう、って?」
「……色っぽくない?」
「あの、それを俺に訊く?」
 本来、上条に訊くべきことではない。しかし、動いてしまった口を止めることはできそうになかった。
「……だってアンタ、こっちにほとんど目を向けないじゃない?」
「……見ないようにしてるんだって……。お前も、見られたら、困るだろ?」
「……別に良いわよ」
「え?」
「アンタにだったら、別に良い。というか、最初にもう見られてるし……」
「……と言われて、後ろを振り向くことができるわけないだろ」
 ばつの悪そうな声になる上条だった。
「見ていい、って言われたからって……そんな、じっくりと見れるかよ……」
「ひょっとして、そっちも色々と恥ずかしいクチ?」
「……当然だろ」
 シャワーの湯を体に浴びせつつ、上条は続ける。
「何が起こったのかも分からず、急に素っ裸で人の部屋にワープさせてこられた女の子の体を眺めるような趣味、俺にはないって」
「ふーん?」
 それはきっと、上条なりの配慮であると同時に、上条なりの優しさなのだろう。
 訳も分からず、こんなところに出現してしまった美琴のことを、邪険に扱うのではなく、上条なりに“できる範囲で”気を配ってくれる。
 その優しさが、上条のフラグ体質の一因になっているのでは、と思うと同時に、その優しさを嬉しく思う美琴がいることも確かだった。
 ところが、ここでイタズラ心に従順になってしまうのが美琴という少女でもあった。
 上条がこちらに何もしてこない、というのは、軽はずみな行動をしてこない、という意味ではありがたいのだが、相手にされてないと思うと、少し寂しいし、腹立たしい。
 よって美琴は、ほんのちょっぴり“大胆な”行動を取ってみることにした。
 湯船から立ち上がり、上条の背中へと美琴はゆっくりと近づく。こちらの気配に気付いたのか、上条はこちらを振り返ろうとしていた。
「えいっ!」
 上条がこちらに首を向けるよりも先に、美琴は上条の背中から抱きついてやった。
「んなっ!?」
 案の定、上条は驚いていた。
「な、なにしてんの、御坂さん? ちょ、ちょっと……その、“柔らかいモノ”があた、当たってますが……っ!?」
 美琴の体と上条の背中の間で、確かにムニュッとした“ナニか”が押し潰れている。
 発展途上中の身なので、そこまで自信のある代物では無かったが、それでも純情少年を気取っているらしい上条が相手ならば、凄まじい破壊力になるらしい。
 焦りを浮かべている上条の横顔に、美琴はニヤリと笑ってやった。
「当ててんのよ」
 どこかで聞いたような常套句ではあったが、上条は体を、ビクッと震わせた。
 風呂場にいる、というだけではない、冷や汗をたらりと流している上条が口を開く。
「えーと、その、あの、なんてーの? こういうことは、上条さんの精神衛生上、ひじょうに不都合なので、せめて離れてくれないと……」
「ふーん?」
 上条の言葉を聞き流しつつ、美琴は意味ありげな笑みを返事とした。そして美琴は目線で、上条の股間を指摘する。
 一応、手拭いで隠してはあるが……見えないというだけであり、ちっとも“隠れて”はいなかった。
 妙に元気な“ソイツ”に、今さらのように感づいた上条は「あ、これは、その……」と取り繕う声を出す。
 そんな上条に美琴は言ってやる。
「体は正直なものね? そんなに私の体、色っぽかった?」
 どことなく勝ち誇った目と声をしてみせた美琴を、上条は直視することができないらしかった。
 すっかり余裕を失った上条の横顔を眺めることに気を良くしていた美琴だったが、その時、上条の表情が不意に引き締まった。
 妙に据わった目でこちらを見返してくる上条に、美琴は、ちょっとやり過ぎたかも、と少し後悔を感じ始めていた。
「……美琴」
 自分を呼ぶ上条の声は少し低かった。
 そういえば、こいつが自分を下の名前で呼んだことなど数えるくらいしかなかったっけ、と美琴が考えを巡らす内に上条は股間の手拭いに手を掛けた。
「そんなにお好みなら、見せてやろうか……?」
 まずい、と美琴は思った。
 調子に乗りすぎて、上条の変なスイッチをオンにしてしまったかもしれない。
 上条から逃れよう、と思って美琴は上条の背中から体を離そうとした。
 ところが上条の方が先に動いていた。
 上条は、美琴の後頭部に手を引っかけて、ぐい、と美琴の顔を上条の肩越しに下へと向ける。
 そしてそれは、美琴の眼前に、上条の股間の白い手拭いを凝視している、という状況であり……
 上条は謎の高笑いと同時に、
「ハッハー! 見るが良い、マイサーン!」
 謎のセリフを吐き出して、手拭いを取っ払った。
 “生”で“ソレ”を眺めた途端、美琴の頭は沸騰した。
「ふ……ふっ!? ふにゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「え? あ、みこと……って、うわぁ、バチバチ言ってる!?」
 上条の絶叫で、美琴は自分の体から、意図せずに電気が漏れていることを知る。
 しかし、止め方が分からなかった美琴は、そのまま上条の背中で気を失ってしまった。
 ……後になって気付いたのだが……上条は右手で美琴の体に触れる暇など無く、上条は背中一つで美琴の漏電を受け止めたのであった。