涼宮ハルヒの修正

第七章

 運転席に一人、助手席に一人、後部座席に三人、計五人を乗せたタクシーは国道を飛ばしていた。
 後部座席で三人の内、真ん中に座っていたキョンは口を開く。
「謎が解けたんだってな?」
 キョンの左に座っている一姫が「ええ、やっと、ですけれどね」と答えた。
「涼宮さんにも、やはり、乙女なところがあるんですね。言動こそエキセントリックな彼女ですが、可愛らしい女子高生的な一面もおありになるようで」
 いやはや、胸がキュンとなりますよ、と言って一姫は笑った。
「お前がキュンキュンしていてどうする?」
 キョンは呆れた。すると、キョン子が一姫に尋ねる。
「で、一姫さん? その、ハルヒの乙女な一面って何ですか?」
「簡単に言ってしまえば、涼宮さんは初恋がしたかったのです」
 一姫の答えに、キョンとキョン子は口をぽかんと開けた。
 キョンは言った。
「は……初恋…?」
「ええ、初恋です」
 一姫が言葉を返す。「たかがその程度の物のために世界修正なんぞを行いおって、とあなた方は思うかもしれません。しかし、考えてもみてください。彼女の言動が少しばかり常人とはズレていることを思えば、彼女は恋というものをいまだかつて経験したことがないと考えられます。経験がないのですから、経験したくもなる、というのが涼宮さんに限らず、人間としての自然な感情ではないでしょうか?」
「いや、待て、一姫」
 キョンが一姫に反論する。「その考え方には一つ、おかしなところがあるぞ」
「あたしもおかしいと思います」
 キョン子も口を揃えた。そんな二人を見て、一姫は「では、そのおかしいところはどこでしょうか?」と柔らかい笑みと共に尋ねた。
 キョンが答える。
「ハルヒが初恋をしたかったのだとしても、世界を修正する理由なんてないだろう? 修正したところで、自分の王子様が出現するわけじゃないんじゃないか?」
「我々もそのように考えていました。ですから、結論に至るまでに、時間を要したのですよ」
 一姫はキョンの言葉にそう答えた。
「あ……あの……」
 遠慮がちにキョン子が口を開く。一姫とキョンはキョン子を見た。
「あたしは、キョンとは意見が違うんですけど」
「違う?」
 キョンが訊き返した。キョン子は首を縦に振り、言う。
「ハルヒが初恋を経験していないなんて、おかしいですよ。だって……ハルヒは今までに何回も、男から告白されてるんですよ?」
「それを全部自分から振っておしまいにしたんだ、あいつは」
 キョンがそう答えた。「初恋をしていないとしても、おかしくはない。最初から気なんて無かったんだからな」
「それがね、キョン。ハルヒ、一度だけ振られたことがあるらしいの」
 キョン子の言葉に、キョンは目を見開いた。
「なっ……何だと? おい、キョン子。それはお前、どっかで聞き間違えたんじゃないのか?」
「でも、谷口が言ってたし」
「あのテキトーいい加減男の言うことなぞ、アテになるか!」
「まあまあ……お二人とも。キョン君、それに、キョン子さん。あなた方二人の疑問はそれぞれ、『世界を修正しても王子様が現れるとは限らない』ということと『初恋は既に経験しているのではないか』ということですね?」
 一姫の問いに、キョンとキョン子は首肯する。
「実はですね。その二つの疑問を両方とも解決できる答えを、ついに我々は見つけました。すなわち……第三者の介入です。涼宮ハルヒ以外の存在が世界修正に介入してきたのです」
 一姫がそう言うと、キョン子は首を捻った。しかし、キョンは驚きと共に、一姫に訊いた。
「おい……一姫。その第三者っていうのは……長門じゃないだろうな?」
 キョンの言葉に対し、一姫は「いえいえ、ご心配なく」と言った。
「介入者は長門さんではありません。長門さんが世界修正をしたわけではないことは既に分かっていますのでね」
「でも、キョン? どうして長門だって思ったの?」
 不思議そうな顔でキョン子が尋ねた。キョンは一瞬、ばつの悪そうな顔になってから「いや、気にするな」と答えた。二人のやり取りを見ていた一姫は「ふふふ」と笑う。
 キョンは一姫に訊いた。
「その第三者というのが、長門じゃないことは分かった。それじゃ、誰だ?」
 一姫は答えた。
「涼宮さんが求めている存在のうち、足りない人種が一人、いるでしょう? つまり、異世界人のお出ましということです」
 一姫の言葉に、キョンとキョン子はしばしの間、唖然としていたが、やがて嘆息した。
 二人は声を揃えて、言った。
「また、新手の能力者が現れるのか……」
 言葉がハモったことに、キョンとキョン子は顔を見合わせた。



 車は国道から料金所を通り過ごし、高速道路を走っていた。
 一姫は言った。
「涼宮ハルヒ以外の存在が、世界修正に介入してくることなど、考えもしませんでした。だからこそ、謎の解明に手こずってしまったのです」
「で、一姫。その異世界人の素性は分かっているのか?」
 キョンの問いに、一姫は首を縦に振った。
 一姫は言う。
「更に言えば、あなたも知っている人物です」
「どこのどいつだ?」
「そのうち、お二人の前にひょっこりと現れますよ。異世界人も、あなた方に用があるでしょうから」
 一姫はそこで一度言葉を切ると、少し間を置いてから言葉を続ける。
「異世界人にはある目的があった。異世界人はその目的のために、涼宮さんをそそのかし、世界修正を行った。丁度、その時の涼宮さんの心は揺れ動いていましたから。キョン君、あなたのせいでね」
 一姫はちらとキョンを見た。
「俺? 俺が何をしたってんだ?」
「あなたは涼宮さんに『初恋をしたことがあるのか』と尋ねていますね? それがきっかけになっているのは間違いないでしょう。言ってみれば、あなたが涼宮ハルヒという名の拳銃に弾を装填し、異世界人が引き金を引いた。その結果がこの世界です」
「濡れ衣だ……」
 力の無い声でキョンはそう言った。すると一姫はくすりと笑って言葉を返す。
「まあ、あなただけに責任を押し付けるつもりはありません。それに、確かに、涼宮さんは魅力的な人です。そういった事を訊いてみたくなるあなたの気持ちも分からなくはありません」
「いや、俺は何も、そんなつもりでハルヒにあんなことを訊いたわけじゃないんだが……あ、おい、キョン子! 俺をそんな目で見るな」
 ジト目でキョンを眺めていたキョン子は「……色ボケ男」と言って、そっぽを向いた。
 戸惑うキョンに、一姫は言う。
「いずれにせよ、弱っているところに付け込んで、引き金を自発的に引いたのは異世界人です。そういった意味では、責任は異世界人にあるでしょう」
 キョンはその場を取り繕うように「それで」と一姫に話し掛ける。
「その、異世界人の目的って何だ?」
「それは、異世界人から直接聞いてください」
「お前、知らないのか?」
「餅は餅屋、です。私が説明するより、当事者に話をしてもらうべきだと思っただけですよ」
「着きましたよ、皆さん」
 助手席に座っている古泉がそう言った。それを合図にするかのように車も停まる。いつの間にやら高速道路を下りており、県外の大都市のものと分かる風景が窓の外に広がっていた。
「さて、キョン君、キョン子さん」
 四人が車から降りると、古泉がキョンとキョン子に言った。
「あなた方は僕らのことを超能力者だと既に信じてくれているでしょうが、まあ、一応、念のため、僕らの能力をお見せしておこうと思います。これからお二人を、僕らの職場にご招待しましょう」



「……驚かないんだな」
 キョンはキョン子にそう言った。キョン子は「まあね」と答える。
 二人は今、ダークグレーに染め上げられた世界――閉鎖空間にある雑居ビルの屋上に立っていた。ここから遠くの方で、くすんだコバルトブルーの巨人が町を破壊していた。
 鉈のように振りおろされた巨人の腕が、ビルを真っ二つにした。轟音と凄まじい振動を伴って、ビルが瓦解する。
「キョンだって、驚いてないじゃない?」
「ここに来るのも、人生で三回目だからな」
 キョンがそう言ったのと、巨人の周囲にいくつかの赤く光る球体が現れたのは同時だった。
「あの赤いのが、古泉と一姫さん?」
 指を差したキョン子に、キョンは「そうらしい」と言った。
「……ねえ、キョン」
「んー?」
「キョンは、知ってたの? 一姫さんや古泉が超能力者だってこと、長門が宇宙人で、朝比奈さんが未来人っていうことを、さ」
「ああ」
「どうして、教えてくれなかったの、あたしに?」
「教えたら、信じたか?」
 キョンがそう言うと、キョン子は少し考えてから「多分、信じなかったと思う」と返す。
「俺だってそうだったよ。ハルヒに関わって、いろいろなものを見て、聞いて、体験して。そして、ああいった連中の存在を信じるようになった」
「他に、どんなこと、体験してきたの?」
「色々とあったぜ……この一年。まあ、それは自分で体験してくれや」
 キョンはキョン子を見て、にっ、と笑った。
「基本的にえげつないし、溜息しか出ない。でもな……それでも、楽しいことも多かった。それだけは保証する」
「キョンのお墨付き、ね」
 谷口のと違って、キョンの保証書なら信じても良いかな。キョン子はそう思った。



 キョンもキョン子もこの時はまだ知らなかった。古泉や一姫の推理が大まかには合っているが、核心が外れていたことを。すなわち、ハルヒの願いが、初恋などではなかったことを。後に二人はそれを知ることとなる……