涼宮ハルヒの修正

第六章 ‐ β

 あたしが部室にやってくると、扉に「SOS団 本日自主休日」と張り紙がしてあった。
 休業日があるなんて珍しいわね。まあ、だからと言って、SOS団が営業日に何か生産的、活動的、学生的なことをやっているわけでもない。
 一応、部室の中を覗いてみた。長門くらいは椅子に座っていそうな気がしたんだけど、意外にも部室は無人だった。
 話相手も特におらず、今日の部活が休みとなれば、長居する理由もない。あたしはさっさと帰宅することに決めた。



 たまに早く家に帰ってみると、思いもよらない客人があたしを出迎えた。自宅の玄関の前に、古泉が立っていたのである。
「やあ、待っていましたよ」
 十年前に別れを告げて、それからずっと待っていたと言わんばかりの口ぶりである。家に帰っていないのか、古泉は制服姿だった。カッチリとネクタイを締めたその姿が、何とも様になっていた。
「少しばかり、お時間をよろしいでしょうか? 以前の話の続きをしようと思いまして」
「ハルヒ絡みで?」
「ええ。涼宮さん絡みで」
 古泉が予め呼んでいたのか、タイミング良くタクシーが停車した。
 あたしが乗るべきか否か迷っていると、古泉は苦笑しつつ言った。
「ご安心ください。ただのドライブです。……少し、遠いところに行くかもしれませんが」
「……どれくらい、遠いの?」
 恐る恐る尋ねた。古泉は微笑んだまま言う。
「僕らの話を、あなたが理解してくれるくらいの距離、でしょうか?」
 狐につままれたような顔をしていたあたしに、古泉は柔和な笑みを見せてから後部座席に乗り込んだ。
 古泉の話というものに、興味がないわけではないし、それを聞かせてもらえるというのなら、古泉の誘いを断る理由はない。あたしも後部座席に乗ると、タクシーは出発した。



「さて、率直に質問しますが……あなたは我々のような超能力者や、長門有希のような宇宙人、朝比奈みくるといった未来人の存在を、信じる気にはなってくれましたか?」
「信じるも信じないも……信じざるを得ない、ってところかしら」
 朝倉の独断専行を神業的な超人パワーで撃退した長門の姿を見せられれば、長門を宇宙人だと信じるより他はない、というよりはもうあたしは長門が宇宙人だということを認めてしまっている。ということは、朝比奈さんや古泉、そして一姫さんがそれぞれ未来人と超能力者だということも、認めてしまうことに、あたしは何の抵抗も無かった。
「これはこれは。随分、飲み込みの早いことで」
 そう言って古泉は肩をすくめてみせた。そうしたポーズが様になるのは顔が良いからだろうか。
「やはりあなたは、彼と似ているようで違うようです。去年の彼は、あなたほど理解が早くなかった」
「彼? 彼って誰のこと?」
 あたしは訊いた。古泉は「キョン君ですよ」と答える。
 古泉は急に真面目な顔になった。
「では、ここからが本題です。あなたにとっては、ひょっとすると、酷な話になるかもしれませんが、お聞き願いたいものです」
 古泉はあたしをちらと見て、良いですね、と目で告げた。あたしも首を縦に振る。
 古泉は視線を前に戻すと、語り始めた。
「この世界はどこかおかしいんです」
「それはまあ、分かるわよ。長門や朝比奈さんや、あなたがいるくらいだもん」
「いえいえ……そういう『おかしさ』とはちょっと違うんです」
「違う?」
「ええ。そうですね……どこから説明しましょうか……」
 古泉は少しの間考えてから、あたしに尋ねてきた。
「では、キョン子さん。あなたはSOS団のメンバーの人数が何人か、答えることができますか?」
 そんなの、簡単じゃない。キョン、ハルヒ、あたし、一姫さん、古泉、朝比奈さん、長門、の七人であり、先代団長を名乗るハルヒコを付け加えたとすれば、八人になる。
「ご名答です、と言いたいところなんですが……それは、あなたにとっての常識であって、僕や一姫姉さんにとっての答えとは違います」
「……何が言いたいわけ?」
「僕と一姫さんの持つ答え。それは、SOS団は五人だということです」
「五人? その五人っていうのは……誰のこと?」
「この場合、八人のうち、仲間はずれの三人が誰であるのか、が問題になります。すなわち……涼宮くん、一姫さん、そして……あなたです」
「あたし? というか、ちょっと待ってよ、古泉。仲間はずれって、どういうことよ? あたしはハルヒに引っ張られて、SOS団に入ったのよ?」
「どうやら僕の言葉が足りなかったようだ。良いですか、キョン子さん。率直に申しまして、本来ならあなたは『ここには存在していない』人間なのです」
 あたしは言葉に詰まった。存在していないって……どういうこと?
 古泉は続ける。
「涼宮くんも、一姫姉さんも、存在していない人間の側に数えられます。良いですか? 僕の話をよく聞いてください」
 古泉があたしに説明を始めた。その説明を箇条書きにすると、次のようになる。
・SOS団とは元々、五人で構成されていた。
・その構成員は、ハルヒ、キョン、長門、古泉、朝比奈さんのことである。
・本来なら、ハルヒ、キョン、長門、古泉は四人とも今年、二年生になっているはずだった。
・しかし、ハルヒの不思議パワーが炸裂してしまい、いろんなものが一年前に戻ってしまった。
・しかし、古泉の半分とキョンは戻らなかった。
・その結果、ハルヒにとってのキョンのポジションが空席になってしまった。
・だからこそ、キョンの椅子にあたしが座ることになった。
・しかし、それらの具体的な原因が何なのかはつい最近まで分からなかった。
「とまあ、あなたにひとまず伝えるべき情報はこのくらいでしょうかね」
 そう言って古泉は一息をついた。
 あたしは言葉も無かった。あたしという存在は……おかしくなってしまった世界があるべき姿に戻れば、消えてしまうことになる。古泉の説明から汲み取れることは、つまり、そういうことである。
 ハルヒに何やらヘンテコな力がある、ということは古泉や朝比奈さんや長門から聞かされて知っていた。しかし、そのハルヒの力によって、あたしは生み出されたのだと、古泉は言う。
「それじゃ、古泉。あたしが仮に、ハルヒの願望によって存在しているのだとして、ハルヒの望みって何なのよ?」
「それに関しては、後でお話しましょう。キョン君にも、聞いてもらいたいことでもありますしね」
 古泉はそこで言葉を切った。同時に、車も停まった。
 窓の外を見やると、一姫さんが立っていた。古泉は車から降り、入れ替わるように一姫さんが乗り込んできた。そして古泉は助手席へと乗り込む。
「こんにちは、キョン子さん。うちの一樹から、ある程度、話は聞いてくれましたか?」
「ええ……まあ……」
「……元気の無さそうな声ですね。まぁ、無理もない、というところでしょうか」
 一姫さんはあたしの顔を覗きこんで、言葉を続ける。
「あなたのことを、この世界に存在すべきでない人間であるとは申しません。ですから、どうか元気を出してくださいな」
 ね? と言って、一姫さんはあたしに優しく微笑みかける。彼女の笑顔を眺めていて、この人はすごい人だな、とあたしは思った。
 一姫さんもまた、あたしと同じく、元の世界には存在していなかった人間である。それなのに、彼女はそれを冷静に受け止めて、事件の原因を調べ上げ、世界を正しい方向に戻そうとしている。それが、自分自身の存在を否定することに繋がっているにもかかわらずに……。それに加えて、この人は、あたしに気まで使ってくれる。あたしのことを心配してくれる。なんて……なんて、心の広い人なんだろう。
 あたしは一姫さんに訊いた。
「一姫さんは……平気なんですか? ハルヒの何だか良く分からないことに振り回されて、存在していなかったはずのものにされてしまっているのに。世界が元に戻ってしまえば、消えてしまうかもしれないのに」
「確かに、存在していなかったのでしょう。私もあなたも、そして涼宮くんも。でも、それは私の記憶を頼りにしている話ですし、人間の記憶なんていうものは、ふとした瞬間に曖昧になってしまうもので、本当は、あなたも私も、存在していたのかもしれません」
「でも……! キョンには、あなたと同じ記憶があるんですよ? それって、裏付けになってるんじゃないんですか?」
「確かに。裁判などでは十分な証拠になるでしょう。しかし……涼宮さんの力はそんなものを超越しています。キョン君の記憶にしても、涼宮さんの力を持ってすれば、書き換えることとて不可能なことではないのです。現に、去年の八月に彼の記憶は何度も上書きされています。あ、この去年というのは、私にとっての去年です」
 一姫さんは前を向いて、言葉を続ける。
「キョン子さん。大切なことをあなたは忘れていますよ」
「大切な、こと?」
「ええ。とても、大切なことです」
「何ですか?」
「あなたが何故ここにいるのか。それも気になることですし、大切なことでしょう。ところが、そんなものはなかなか、分かることではありません。そしてそれ以上に大切なのは……あなたがここにいる、という事実そのものです。存在しているからには、人は生きなくてはならない。それが、人として生まれたからには果たさなければならない人としての義務であると、私は考えています」
 違いますか、と疑問形で締めくくられた彼女の言葉を、あたしは反芻した。
 生きる。それが、大切なこと。もし、ハルヒの願望か何かであたしがここにいるのだとしても、あたしは今、ここに生きている。
 どうせ、いつか人は死ぬ。誰かに殺されずとも、消されずとも、必ず死ぬ。それは当たり前だし、避けようのない事実。だからこそ、人はその命を精一杯、全うしなければならないのだろう。なら、自分の存在を否定されてしまい、消されてしまうことになろうとも、それまではこの世界に生きていられる。なら、くよくよしている暇は無い。精一杯、生きなければならないのだから。
 そう思えば、あたしは幾分か気が楽になった。
 それがあたしの表情に出ていたのだろう。一姫さんはそんなあたしを見て、「良い顔になりましたね」と言った。
 その後、再度、タクシーは停まった。事前に一姫さんが連絡を取っていたらしく、開いた扉から、キョンが乗り込んできた。