涼宮ハルヒの修正

第六章 ‐ α

「ねえ、キョン! ちょっと聞いて!」
 熱帯地方の太陽の輝きのような笑顔をしたハルヒが凄まじい勢いで俺のところにやってきた。俺は飯を食う手を休めて「なんだ?」と言った。
「うちのクラスに、朝倉涼子っていう女子がいたんだけどね、そいつが急に転校しちゃったのよ」
「……で?」
「妙だと思わない?」
「何が?」
「頭の回転鈍いわねぇ……。これは何かの事件じゃないかって、あたしは思うのよ」
「親父の仕事の都合という線は――」
 俺の言葉を遮るようにハルヒは「無いわね」と切り捨てた。
「ふーん? まあ、事件でも何でも構わん。とりあえず、俺は飯を食うのに忙しいんだ」
 どうせ、ハルヒのことだ。そっけない態度を取ったところで素直に俺を解放してくれるとは思えん。なら、そっけない態度を取れるうちに取っておいた方が、いくらか得ってもんだろう。具体的に、何に得したのかは分からんけれども。
 すると、やはりハルヒは俺のそっけない態度に怯むことなく言った。
「あんたも調査に付き合いなさい!」
「どうして俺が?」
「あんた、本当にSOS団の団長としての自覚ある? そんなんじゃ、今にあたしが団長になっちゃうわよ?」
 欲しけりゃ譲ってやる、と言おうと思ったが、そんなことをすればハルヒコに怒鳴られそうな気がしたので、俺は余計なことを言わずに「分かったよ」と観念した。
「せめて、その調査は放課後からにしてくれよ?」
 昼休みに学校を飛び出して、午後の授業をサボる、なんつー真似はいくらなんでも勘弁してほしい。SOS団なんていう学内非合法組織の二代目リーダーってだけで教師に睨まれているのだから、俺はこれ以上、成績に響くような真似はしたくない。
「それで良いけど、逃げたりしないでよ? ここに迎えに来るからね!」
 そう言って、ハルヒは去っていった。仮にも俺は二年生なわけで、一年のハルヒに居丈高な態度を取られることは本来、おかしいような気もするのだが、まあ……俺はハルヒに何かを命令されることの方が慣れているから、その点を特に気にしたりはしなかった。
 クラスの連中の、視線が少しばかり痛かったのは、秘密にしておこう。
「お前さぁ……ナメられてんじゃねぇのか?」
 海音寺にそんなことを言われて心配されてしまったが、「そうかな?」と俺はしらばっくれておいた。



 下校する前に、俺は一度部室に立ち寄り、扉に「SOS団 本日自主休日」と張り紙をしておいた。生徒会長のハルヒコはどうせ忙しいだろうし、俺もハルヒもいないとなれば、SOS団も開店休業である。それならば、最初っから休業にすれば良いだろうし、そこは団長権限で休みにしておいた。多分、誰も文句は言うまい。
 それから、俺が下駄箱の前にやってくると、「遅いわよ!」という怒声が聞こえた。
「どこ行ってたのよ! 逃げたのかと思ったわよ?」
 逃げたところで、お前からは逃げ切れそうな気がしない。
「ちょっと、部室に用事があってな」
「何の用事?」
「爪楊枝」
 次の瞬間、ハルヒに殴られた。



 まあ、確かに……自分でも相当、くだらないギャグ――有り体に言えばただのダジャレ――を飛ばしてしまったと思う。でも、だからって殴らんでも良かろうに。
 まだ少し痛む頬をさすりながら、俺はハルヒと肩を並べて歩いていた。
 ハルヒは、朝倉の転校が余りに急であり、連絡先もロクに学校に知らせずに転校してしまったことは妙すぎる、とご丁寧にも俺に説明してくれた。説明してくれ、と頼んだ覚えはないんだがな。
 まあ、朝倉が消えてしまった理由は、俺にはある程度見当がついていた。おそらく朝倉は、キョン子に襲いかかったは良いが、長門にクロスカウンターを食らってしまい、そのまま長門によって消されてしまったのだろう。その現場を目撃したわけではないが、それでも何が起ったかくらいは予想ができた。
 しかし、ここで一つ、疑問が残る。一姫は、去年の俺のポジションにキョン子がいると言った。それならば、ハルヒはキョン子と共に朝倉のいたマンションに赴くはずである。どうして、今回、ハルヒはキョン子ではなく俺を選んだのだろうか?
 その理由を、率直にハルヒに訊いても良かったのかもしれない。しかし、訊いたところで、「あんたが団長だから」の一言で結論を下されそうで、俺が求めている答えが返ってくるとも思えない。だから俺は特にハルヒに言及したりしなかった。
 まあ、良いさ。世界はハルヒによって、『修正』されたのだ。いつぞやの終わらない夏休みとは違って、まったく同じことを繰り返す、ってなわけでもない。何より、俺の記憶までは消せなかったわけだし、一年前とは多少の違いはあってしかるべきだろうよ。
 その後、俺達は朝倉の住んでいたマンション――言い換えれば、それは長門の暮らすマンションだが――を訪ねたのだが、まあ……当然と言うべきか、長門の手際の良さを褒めるべきか、朝倉に関する情報を俺もハルヒも収穫することはなかった。
 しかし、そうなると、ハルヒの機嫌が斜めに傾いてしまうということであり……
「おい、そんなに落ち込むなって」
 あからさまに肩をがっくりと落とすハルヒに、俺はそう言ってやった。例えるならば、尻尾の下がった犬みたいな感じである。
 ハルヒの頭に犬耳乗っけたらどんな感じになるだろうか、と少し考えてみて、飼い主の手を噛んでばかりの聞き分けの無い犬になりそうだ、と思い、俺は一人苦笑する。すると、ハルヒは急に立ち止まった。危うく、俺はつんのめりそうになる。
「なんだか……つまんない」
 ぼそりとした声に、俺は「え?」と訊き返した。
 ハルヒは俺を見上げて、言った。
「あんたさ。キョン子のこと、どう思う?」
「どう、とは?」
「どうって……」
 ハルヒは口籠った。どう思う、と訊かれれば、すごく……可愛いです、としか俺には答えようがないぜ。
「誰もあんたの好みなんて訊いてないわよ!」
 ハルヒは憤慨してそう言った。
「そうじゃなくて! あたし……キョン子のこと……」
 最後の方は、声が小さくなってしまい、俺には聞き取れなかった。俺は「キョン子が、どうなんだ?」と訊き返した。
 しかし、ハルヒは俺の言葉に答えず、くるりと背中を向けた。そのままぶつぶつと何かを呟きながら歩いていく。
「……キョン子じゃダメだから、キョンを誘ってみたのに……。キョンでも、ダメなのかな……」
 一体、俺のどこがダメなんだ? ついで言えば、キョン子の何が? 疑問は尽きなったなかったが、ハルヒにそれらを尋ねる前に、尻のポケットが振動した。
 携帯を取り出し、耳に当てる。
「一姫か? どうした?」
 電話にそう吹き込むと、一姫は答える。
「少し、お時間よろしいでしょうか、キョン君?」
「今からか? 俺に何か、用事でも?」
「ええ。ついに、カラクリが分かりました」
 カラクリ……。つまり、調査は終わったということか?
「そういうことです。詳しいことは、直接、会って話しましょう」
「分かった。お前、今、どこにいる?」
「あなたが今、どこにいるのかを教えてくだされば、そちらに向かいますよ」
 俺の居場所を一姫に教えてから数分後、一台のタクシーが俺の目の前に止まった。後部座席のドアが開き、一姫が姿を現した。
「どうぞ、乗ってください」
 そう言って、一姫は俺を手招きした。俺がタクシーに乗ると、先客がいたらしく、後部座席にキョン子が座っていた。