涼宮ハルヒの修正

第一章 ‐ β

「サンタクロースっていつまで信じてた?」
「え? うーん……そうだなぁ」
 他愛もない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話。ちなみにその質問に対するあたしの答えは「最初から信じてなどいなかった」である。
 それなのにあたしの横で並んで歩いている国木田は顎に手をやって真剣に考え込んでいる。別になんかの試験問題じゃあるまいし、そこまで真剣に考えなくても良いと思うんだけど、国木田はドが付くほどの生真面目な男なので、些細な質問にも熟慮するくせがある。
 たっぷり三十秒は考えてから、国木田は「小学校の一年生の時くらいだったかなぁ?」と答えた。
「でも、どうしてそんなことを訊くんだい、キョン子?」
 不思議そうな顔をして国木田が尋ねてくる。理由を訊かれても、あたしには「さぁ?」と答えるよりほかはない。ただなんとなく、尋ねてみたかっただけだったし、深い意味なんてないのよね、ぶっちゃけちゃうと。
 国木田は少しの間あたしの顔を見つめてからくすりと笑った。
「なんで笑うのよ、国木田?」
「いや、相変わらずだなぁ、って思って」
「相変わらず?」
 あたしが訊き返すと、国木田は微笑んだまま「うん」と言って言葉を続ける。
「キョン子は昔から、どこか変わったとこあるじゃないか」
「……人を変人みたいに言わないでほしいわね」
 国木田の物言いに少し腹が立ったあたしは歩く足を速めた。国木田は「あ、待ってよ、キョン子!」と言いながらあたしについてきた。
 正直なところ、あたしは自分のことを、ちょっと――あくまでも、ちょっと、だけよ?――変わり者、だと認識している。でも、それを他人に指摘されるのは面白くないし、できれば、自分が変わっている、という事実をひた隠しにして、まっとうな人生を歩みたいくらいである。
 でもね……世の中、上には上がいるものなのよ。下手に変人だと指摘すれば、指摘した当人まで頭がおかしくなりそうな、あるいはおおっぴらに「ちょっとばかり変わってるけど文句ある?」と平然と傲然と言ってのけそうな、そして、まっとうに生きることを何よりも忌み嫌いそうな、あたしとは全くもって正反対な考え方をした少女があたしを待っていようとはね。
 その少女を見て、つくづく思ったものよ。ああ、あたしなんて、十分すぎるくらい十分にマトモなパンピーなんだな、って。自分が変わり者だという認識は、その後、アルファケンタウリあたりに飛んでいってしまったらしく、あたしは後に参加することとなったクラブの面子のなかで、一番の常識人になってしまったのだから……人生って、ほんと、何が起こるかわからないものよね。



 無駄に広い体育館で入学式がおこなわれている間、あたしは、男はブレザーなのに女はセーラー服っていうのは妙な組み合わせね、今壇上で催眠術に等しい演説をしている、どう見ても「あれ、ヅラよね」としか言いようのないタヌキみたいな校長がセーラー服マニアなのか、じゃあこれから校長のことを密かにスケベタヌキと呼ぼうかしら、とかいったことを考えていた。そうしているうちにテンプレートでダルくてデレーっと間延びしたような入学式も終わり、これから一年間はお世話になるであろう教室に、これまた一年間はお世話になるクラスメートたちとぞろぞろ入った。
 担任の岡部なる青年教師は鏡の前で小一時間は練習したであろう明朗快活な笑みを浮かべながら、黒板に自分の名前を書き、自分が学生時代にハンドボールをしていたことと、ハンドボールに関することを熱弁した後はもうやることがなくなったらしく「じゃあ、みんなに自己紹介をしてもらおう」と言い出した。
 まあ、ありがちな展開だし、心積もりもしていたから驚くこともないけどね。そういえば、ハトコが大学に入った頃、「毎週一回は自己紹介をしないといけない」って言ってたっけ。高校と大学は違うでしょうけど、まさか、高校でもそんな展開があったりするのかな、などとぼんやり考えているうちにあたしの番が回ってきた。
 一通り考えていたセリフをかまずになんとか言い終え、あたしは席に座った。替わりに後ろの奴が立ち上がって、実に脳みそが爽やかだと言われても文句は言えないであろうセリフをのたまった。
「東中学出身、涼宮ハルヒ」
 ここまでは普通だった。後ろを振り返るのも億劫だったので、あたしは前を向いたままその女子生徒の涼やかな声を聞いていた。
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」
 さすがに振り向いたわね。あたしが振り向いたことに気づいていないのか、気にしていないのか、涼宮ハルヒと名乗るその少女はなおも続けた。
「あるいは、今挙げたような人間が友達にいるっていう人でも構いません。とにかく、そのような人がいたらあたしのところに来なさい、以上!」
 黒いストレートヘアにカチューシャ乗っけて、クラスメートの視線を受け止める顔はこの上なく整った目鼻立ち、意志の強そうな大きくて黒い目を長い睫毛が縁取り、薄桃色の唇を固く引き結んだ少女はおそらく誰もが認める美人だろう。正直、あたしもそう思ったもん。(ちょっと悔しかったけど)
 ふと、視線を下に向ければ、制服の上からでもそれなりに大きいと分かる膨らみが二つ。どうやら顔だけでなくスタイルも良いらしい。自分のものをなんとなしに見てみてから、「これは負けたわね、明らかに」と思ってあたしは溜息を吐いた。(やっぱり、ちょっと悔しかったけど)
 ルックスもプロポーションも申し分ないというのに、口走ったセリフと頭の中身はヤバいクスリかなんかやっちゃったかもしれないほどの愉快さだった。あまりに愉快すぎて、どっかの三代目大泥棒のテーマソングの節とともに「ゆかいゆかーい!」っていう音楽が聞こえたかと思ったわね、あたしは。
 おそらく、全員がそんなことを思っていたのだろう。誰もがみな、頭の上に疑問符を浮かべて「ここ、笑うとこ?」かどうかを必死に考えていたにちがいない。
 凍りついた、という表現そのままの教室で、最初に氷河期を乗り越えたのは担任の岡部だった。いつの間にかハルヒは着席しており、岡部はハルヒの次の生徒を指名し、また次の生徒――谷口と名乗った――もためらいがちに自分のことを紹介し始めた。

 こうして、あたし達は出会ってしまったというわけよ。後に、あたしとハルヒで「最恐のポニーテールタッグ」なんていうどこの馬鹿が言いだしたのか、よく分からない名前のついたコンビを組むハメになってしまうのだけれど、その第一歩は間違いなく、ハルヒのぶっ飛んだ自己紹介にあったんでしょうね。



 良くも悪くも――というか、改めて考えてみれば悪い方だけのような気もするけど――クラスメートのハートを見事にキャッチした涼宮ハルヒは、翌日以降はわりとまともな女子高生を演じていた。
 ひょっとして、自己紹介のアレはただのウケ狙いだったのであって、それがたまたまダダ滑りしてしまい、誰も笑わなかった、というような真相があるのではないだろうか。もしそうだとすれば、あんなスットンキョーな自己紹介をしてしまったハルヒと友達になろう、なんていう人はおそらくいないにちがいない。誰とも仲良くなれないまま、高校三年間を過ごす、なんてことはさすがに可哀そうだな、とあたしは思った。
 そんな老婆心から、ハルヒに話しかけるなどという血迷った行動をしてしまったあたしを一体誰が責められよう。
「ねぇ、涼宮さん」
 と、あたしはさりげなさを装って、顔に笑みを浮かべながら振り返った。
「最初の自己紹介のアレって、ウケ狙いだった?」
 頬杖をついて、口をへの字に結んでいたハルヒはそのままの姿勢であたしをじろりと見た。
「最初のアレって?」
「宇宙人がどうとかいう……」
「あんた、宇宙人なの?」
 えらくまじめに訊くのね。
「いや、ちがうけど……」
「ちがうけど、何なの?」
「あ、いや、やっぱり、何でもない……」
「だったら話しかけないで。時間の無駄だから」
 思わず、ごめんなさい、と謝ってしまいそうなほど、冷徹な目つきと口調だった。ハルヒはまるで芽キャベツを見るようにあたしに向けていた視線をフンとばかりに逸らすと、あらぬ方を向いた。
 続ける言葉も思いつかなかったので、あたしは負け犬の心でしおしおと前を向いた。
 先のハルヒの自己紹介は、ウケ狙いでもそれがダダ滑りしたわけでもなく、それがハルヒの本心そのものであり、ハルヒは本当に宇宙人を筆頭とした謎の生命体や不思議なものに出会いたがっているのではないか。
 それに気付いた途端、あたしは虚脱感を覚えた。
「はぁ……だるぅ……」
 溜息混じりにあたしはそう呟いて、机に突っ伏した。
 涼宮ハルヒは誰とも友達になれないのではないか、と思ったあたしの良心的行動はどうやら見事に徒労に終わったらしい。あたしの善意を返しなさいよ、ハルヒ。
 突っ伏したまま、あたしは目だけを前に向けてみる。すると、クラスの何人かが意味ありげな半笑いをあたしに寄越していた。
 なーんか、シャクに障るわねぇ。まぁ、後で分かったことを言わせてもらうなら、そいつらは全員、ハルヒと同じ中学の出身者たちだった。



 とまあ、ファースト・コンタクトとしては最悪の部類に入る会話のおかげで、あたしはハルヒとは関わり合いにならないようにしようと心に決め、そしてその思いが覆らないまま、数日が過ぎた。
 いつものように昼休みがやってきて、あたしはこれまたいつものメンツと弁当を食べ始めた。ちなみに、いつものメンツっていうのは、中学の時から比較的仲の良かった国木田と、たまたま席が近かった東中出身の谷口という二人の男のことである。
 涼宮ハルヒのことが話題になったのはその時である。
「お前さ、この前涼宮に話しかけてたよな」
 なにげにそんなことを言いだす谷口。まぁ、うなずいておこうかしら。
「ワケの分からんこと言われて追い返されただろ」
 その通りだったわね。
「もしあいつと友達になろう、なんて考えているなら、悪いことは言わん。やめとけ」
 中学で三年間同じクラスだったから良く知ってるんだがな、と前置きし、
「あいつの奇人ぶりは常軌を逸している。あの女と友達になれるのは、それこそ頭のねじが十本は抜けていて、さらにもう五本のねじが錆びついちまってるやつだけだろうよ」
 随分、辛口なコメントね。まぁ、それを否定するつもりもないけど。
「だろう? 俺の言っていることを素直に同意してくれるあたり、お前の頭は十二分にマトモだ。俺が保証するぜ」
 そう言って、谷口は胸をドンと叩いた。谷口の発行した保証書はとっくに期限が切れていそうな気もするけど、と言おうと思ったんだけど、あたしが言うより先に国木田が口を開いた。
「それがさぁ、涼宮さんほどじゃないにしても、実はキョン子も結構、変わってるんだよ」
「ありえねぇな」
 谷口はそう答えつつ、白米を頬張った。
「さっきも言ったろ? 涼宮は常軌を逸してるってな。涼宮の変人ぶりをそうだな……1だとすれば」
 谷口はそこで言葉を切り、あたしを見ながら続けた。
「お前さんの変人レベルなぞ、存在しないことになるぜ」
 ゆで卵の輪切りを口に放り込んだ谷口は次に海老フライを箸でつまんだ。それに対し、国木田は谷口の半分も箸が進んでいなかった。
「涼宮の逸話を語りだしたら、とどまるところがないんだぞ? 中学時代、あいつはわけのわからんことを言いながら、わけのわからんことを散々やり倒してたからな」
「逸話ならキョン子にも結構あるよ。ね、キョン子?」
 そこであたしに話を振るな、国木田。あたしが「はい」なんて答えるはずがないでしょうが。
「逸話? たとえばどんな?」
 興味津々、といった具合に谷口が身を乗り出して国木田に尋ねた。国木田も「えーと、まずは……」などと谷口の問いに対する答えを探し始める。
「はいはい、やめやめ!」
 国木田の口からあることないこと一切合財が出てきそうな気がしたあたしは、二人の話を遮った。
 あたしは卵焼きを飲みこんでから、谷口に言ってやった。
「とにかくね! あたしはこれでもマトモな人間なの。国木田がなんか変なこと言っても、真に受けたりしないでよ?」
「はいはい、わかりましたよ」
 箸を持ったまま、谷口は肩をすくめてみせた。
「でも、多分俺は真に受けたりしないぜ。中学の頃にけったいなもんをたくさん見てきたからよ」
 俺を驚かせられるもんならやってみろよな、と言いながら谷口は空になった弁当箱に蓋をした。
「今はまだ、涼宮もまともに見えるがな。そのうち、化けの皮がはがれるだろうぜ。気をつけろよ?」
「気をつけるって?」
「何を?」
 あたしと国木田が揃って谷口に尋ねたら、谷口は「まあ、色々とあらぁな」と言った。
「まずキョン子。お前に忠告だ」
「あたし?」
「ああ。お前は涼宮の真ん前に座ってるわけだ。変なもんをうつされたりしないようにしろよ」
 まるでハルヒが病原菌か何かのような口ぶりである。それはさすがに言いすぎではないか、とも思う反面、ハルヒの実態とはそんなにもひどいのか、ともあたしは考えてしまう。
 どちらにせよ、ハルヒと下手にかかわったりしないほうがいいのかもしれない。それだけはまあ、確かでしょうね。
「で、今度は国木田に忠告をくれてやる」
「なになに?」
「ハルヒのツラが良いからって、間違っても変な気を起こすな。絶対に泣きを見るハメになる」
 自販機か何かで買ってきたのだろう。谷口は麦茶の入ったペットボトルで喉を湿らせてから言葉を続ける。
「あいつに泣かされた男は、それはもう星の数、だからなぁ」
 あたしは何の気なしに、ジト目で谷口を見てみた。すると、あたしの視線に気づいた谷口は慌てて否定した。
「いや、だから! 聞いた話だって、マジで。俺は涼宮を狙ったことなんて一度もねぇよ」
「その割には随分、泣かされた男に同情的じゃない?」
「しょうがねぇだろう? 俺の知り合いはほとんど皆、涼宮にコクってんだ。俺の知る限り、一番長く続いて一週間。最短では告白した五分後に破局、なんていうこともあったらしい。例外なく、涼宮が振って終わりにな……る……」
 谷口は歯切れ悪く言葉を切ると、首を捻った。
「あれ? そういや一人、ある意味で涼宮以上に変な男が一人いたっけな?」
「どんな男?」
 国木田が訊いた。
「いやな? 涼宮が振って終わる、のが大抵だったんだが、たった一人だけ、自分から涼宮を振って破局にした、なんていう話を確かどっかで聞いたような、聞かなかったような……」
 随分と曖昧なのね。
「なんせ、また聞きのまた聞きだったし。まぁ、ともかくだ! 狙うんなら他の女にしろ、ってことだよ、要は」
 狙うんなら他の女ねぇ……。ん? ということは、あたしも狙われるのかな?
「いや、ランク外だな」
 尋ねた途端、谷口は即答しやがった。それはそれでなんだか腹が立つわね……
「なんつーか、お前。あんまり女って感じがしねえんだよ。むしろ、男っぽいっての?」
「レディに対する言葉とは思えないわね」
 あたしは弁当箱を片づけながらフン、とそっぽを向いた。
「ほら、谷口」
 国木田の突飛な発言に、谷口だけではなくあたしも虚を突かれた。
「キョン子の変なとこその一。妙に男っぽい」
 他にも探せば変なところがたくさんあるよ、キョン子には、って余計なことを谷口に吹き込まないでくれるかしら、国木田。
「あーもう」
 頭を抱えながらあたしは二人の傍から離れた。