涼宮ハルヒの修正

第一章 ‐ β

 春うらら、という言葉がよく似合うであろう四月。少なくともあたしの心にとっても春うららな月であった。このころはハルヒもまだ大人しい頃合いだったのだが、ハルヒの奇怪な振る舞いはもうすでに片鱗を見せていたと言うべきでしょうね。
 というわけで、片鱗その一。
 髪型が毎日変わる。そりゃまあ、女の子なんだから、髪型だって変わるでしょうよ。でも、だからって毎日毎日変えることはないんじゃないか、とも思う。あたしなんて髪の毛をいじるのが面倒――面倒なのは朝、髪をいじる時間が無いからであり、もっと言えばぎりぎりまで寝てるからである――だから、ゴム紐一つで束ねたポニーテールで毎日学校に来ているくらいだと言うのに、ハルヒはご丁寧にも毎日髪型を変えて登校してくるんだから、正直な話、あたしは脱帽だった。
 なんとなく眺めているうちに、あたしはある法則性に気付いた。それはつまり、月曜日のハルヒはストレートのロングヘアを背中に垂らして登場する。次の日、あたしに敗北感を植え付けるかのごとく非の打ちどころのないポニーテールでやってきて、その次の日はツインテールで登校、といった具合に曜日が増えるごとに髪を結ぶ箇所が増えているのである。
 後にあたしとハルヒの二人は「最恐のポニーテールタッグ」という謎のコンビ名で呼ばれることになるんだけど、その由来はおそらく、火曜日のあたし達二人だったんだろうな、と思う。そりゃ、改めて考えてみれば、ポニーテールの少女二人が前後に席を並べて座ってて、後々コンビ組むハメになったんだから、そんな名前がついても不思議はなかったのかもしれないわね。なんだか、不本意ではあるけれど。
 そして、片鱗その二。
 体育の授業の時、着替えは女が五組、男が六組に移動してすることになっており、当然前の授業が終わると男子は体操着入れ片手に六組に移動していくわけである。
 そんな中、ハルヒはまだ男どもが教室に残っているにもかかわらず、いきなりセーラー服を脱ぎ出したのだった!
 まるでそこらの男など畑の野菜かなんかだと思っているような平然たる面持ちで、脱いだセーラー服を机に投げ出し、体操着に手をかける。
 ハルヒがスカートのホックに手を伸ばす頃には、あっけにとられた男子達が朝倉涼子――委員長みたいな雰囲気の女の子である――によって教室から叩き出されていた。
 朝倉が戸を閉めるのと、ハルヒがスカートを脱ぎ終えたのはほぼ同時だった。まさに間一髪である。朝倉、ぐっじょぶ。
 あたしは振りかえってハルヒに怒鳴る。
「なにやってんのよ、ハルヒ!」
「なにが?」
 不思議そうな顔で訊き返されては、もはや何も言い返せなかった。恥じらいってもんが無いのかしら、この女には。あたしは痛くなりつつある頭を抱えつつ、自分も着替えることにした。
 その後朝倉を筆頭に、何人もの女子が――どうせ無駄だと分かってたからあたしはしなかったけど――ハルヒに説教をしていた。尤も、効果なんてありはしなかったけれど。おかげで、クラスの男子達は体育の授業の前はダッシュで撤退することを――主に朝倉に――義務付けられていた。
 ちなみに、セーラー服越しにでも分かるほどグラマーなハルヒは、セーラー服を脱いでもやはりグラマーだった。そのことにあたしが軽い嫉妬を覚えたことは言うまでもない。
 まぁ、それはさておき。
 片鱗、その三。
 ハルヒは放課後になると鞄片手にさっさと教室から出て行ってしまうので、あたしはてっきりそのまま帰宅しているものだと思っていた。ところがさにあらず、ハルヒはこの学校に存在するあらゆるクラブに仮入部していたのだった。谷口が「涼宮も、運動神経だけは良いからな」と言っていたが、どうやらそれは本当らしく、仮入部した運動部からは熱心に入部を勧められ、また手先が器用なのか、文化系のクラブからも声を掛けられているところをあたしは何度か目撃したことがあった。
 しかし、ハルヒはそれら全ての勧誘をきっぱりと断り、結局、どのクラブに入部することもなかった。
 いったい、何がしたいんでしょうね、ハルヒは。
 そんなこんなで、涼宮ハルヒという名前が学校中に伝播するのにかかった時間は約一カ月。五月が始まる頃には、スケベタヌキの本名を知らずとも、涼宮ハルヒの名前を知らない人は存在しないまでになっていた。

 そして、ゴールデンウィークも終わり、五月がやってきた。

 失われた曜日感覚と共に、教室にたどり着いたあたしは、ハルヒの頭を見て、ああ、今日はツインテールだから水曜日かと認識して席に座った。そして何か魔が差してしまったのだろう。気付けば、あたしはハルヒに話しかけていた。
「曜日で髪型を変えるのは、異世界人対策なの?」
 ハルヒはいつもの笑わない視線をこちらに寄こし、訊き返してくる。
「いつ気付いたの?」
「うーんと、ちょっと前」
「あ、そ」
 ハルヒはそっぽを向いて言葉を続ける。
「あたしね、思うんだけど、曜日によって感じるイメージってそれぞれ異なる気がするのよね」
 初めて会話が成立した。
「数字にしたら、月曜がゼロで、日曜が六、みたいな感じ?」
 あたしが訊くと、ハルヒは「ま、そんなとこ」と答えた。
「あたしは、月曜は一って感じがするんだけど」
「誰もあんたの意見なんて訊いてない」
 キッとした目でハルヒはあたしを睨んだ。しばらくするとその睨みがだんだんと身を乗り出して眺めるようになり、徐々にハルヒの顔が近付いてきて、あたしが少しばかり精神に不安定なものを感じる頃になって、
「あたし、あんたとどっかで会ったことある?」
 と訊いた。
 はて、こいつとどっかで会ったことなんてあったかしらね、と思い、あたしは頭を巡らせてみる。しかし、思い当たるフシなどなく、あたしはハルヒに「いいや」と答えておいた。



 まともな会話が成立したことに、あたしは軽く驚いていた。てっきり「うるさいバカ黙れどうでもいいでしょ、んなこと」とか言われるとばかり思っていたから。思っていながら話しかけたあたしもどうかしてるでしょうけど、そこはやはり魔が差したとしか言いようがない。
 だからハルヒが翌日、長かった黒髪をばっさりと切り落として登場したことに、あたしは動揺した。古典の授業で、長い髪を肩のあたりで切りそろえることは出家を意味する、とこの前の授業で習ったような記憶があったあたしはハルヒが仏門にでも入ったのか、と思った。
「は?」
 あたしがその旨を訊くと、ハルヒは口をぽかんと開けていた。
「要は、あたしが指摘した次の日に、髪を短くするってのは短絡的過ぎないか、ってことよ」
「別に」
 ハルヒはすぐに不機嫌そうな顔になり、そっぽを向いた。
「あんたとキャラが被りそうだったから、譲ってあげたのよ」
 ……それは、ひょっとしてハルヒの好意だったのだろうか? それとも、自分の何かが誰かと同じ、という事実が許せなかっただけなのだろうか? 真相は分からなかったし、訊いたところで教えてくれるとも思えなかったので、あたしは「ふーん?」と言って前を向いた。



「おい、キョン子」
 休み時間、谷口が難しい表情を顔に貼り付けてやってきた。そんな顔していると、本当にアホみたいね、谷口。
「うるせぇ。んなこたぁ、良い。それより、お前、どんな魔法を使ったんだ?」
「何よ、魔法って?」
 授業が終わってからどこかに消えてしまったハルヒの席を親指で差して谷口は言う。
「俺、涼宮があんなに長いこと誰かと喋ってるの、初めて見るぞ。お前、何を言った?」
 何を言ったかしら? 適当なことしか訊いてない気がするけど。
「驚天動地だなこりゃ」
 大げさに驚く谷口の後ろからひょっこりと国木田が顔を出した。
「前に言ったじゃないか、谷口。キョン子には変なところがあるって」
「変な人間は変な人間と波長が合うってのか? そんな、類は友を呼ぶ、なんていう話、カンベンしてくれよ……」
 涼宮一匹でも、こっちは参ってるんだぜ、とぼやく谷口。あのー、あたし、変な女じゃありませんよー?
「説得力ってもんがねぇな」
 あたしの言葉は谷口に一蹴された。何よ、保証書を発行したのはそっちじゃない。まぁ、期限が切れている、とは思ってたけど。
「あたしも知りたいな」
 軽やかなソプラノが頭の上から降ってきた。見上げると、朝倉が笑顔をこちらに向けていた。
「あたしがいくら話しかけても、涼宮さん、なにも答えてくれないの。どうしたら話すようになってくれるのか、何かコツでもあるの?」
「わかんない」
 あたしは即答した。だって、考えるまでもなかったし。
「ふーん? でも安心した。いつまでもクラスで孤立したままじゃ、あんまりだもんね。一人でも友達ができたのは良いことよね」
「友達……ね」
 あたしは首をかしげる。その割には、ハルヒの渋面しか見ていないような気がするけど。
 というか……ハルヒは今まで、友達らしい友達って、いたことあるのかしら? 昔からあんな性格だったとすれば、いなかった可能性の方が高そうではある。
 何ということだろう。あたしはハルヒのことを哀れに思っているのであった。



 哀れに思うだけ無駄だったかもしれない。
「生徒が続けざまに失踪したりとか、密室の教室で先生が殺されていたりとかしないものかしらね」
 物騒な話を本気な顔で朝のホームルーム前に平然としだすんだから、友達なんていなくて当然だろうし、また哀れに思うのも馬鹿らしくなってきた。
 ハルヒは続ける。
「ミステリ研究会ってのがあったのよ」
「へぇ。どうだった?」
「笑わせるわ。今まで一回も事件らしい事件に出くわさなかった言うし、部員もただのミステリ小説オタクばっかだし」
「そりゃ、そうでしょ。ところで、他に面白い部活とかあった?」
 面白そうなのがあったら教えてよ、と言ってみたつもりだったんだけど、ハルヒは視線一つで人を殺しそうな勢いであたしを睨みつけてくる。
「あんた、ケンカ売ってるの?」
 いや、そんなつもりはないんだけど。
「面白いクラブなんて、この学校にはありゃしないわよ。入る学校間違えたかしら……」
 一体、何を基準に学校選びをしているのだろう。率直に訊いてみたかったんだけど、訊く前にハルヒは「あー!」と叫んで頭を掻き毟った。
「もうつまんない! この学校にはあたしが満足するような、ラディカルで変なサークルとか無いのー?」
「ないもんはしょうがないわよ」
 あたしは意見してみた。
「結局、人間ってのはね、そこにあるもので満足するしかないの。それができない人間が発明やら発見やらをしたわけであって、凡人たる我々は凡庸に人生を過ごすのが、」
「うるさい」
 あたしが気分良く演説しているところを中断させたハルヒはあらぬ方を向いて溜息を吐いた。実に機嫌が悪そうだけど、まぁいつものことでしょ。あたしはそう思って前に向き直った。
 まさかこれが、ネタフリになっていたとは、この時のあたしには気付けなかったのだけれど。



 ハルヒは面白いクラブが無くてつまらないと言った。しかし、あたしは今、この瞬間の授業がつまらなかった。船をこぎこぎ、うつらうつらしてたあたしの襟首が誰かに引っ掴まれたかと思うと、そのまま凄まじい力で引っ張られ、あたしの後頭部は机の角に猛然と激突。目は覚めたけど、激痛に顔をしかめたあたしは振り返って叫んだ。
「なにすんのよ!」
「気がついた!」
 あたしの怒りなどなんのその。唾を飛ばす勢いでハルヒはあたしに叫び返し、これまたハルヒがあたしに初めて見せたハロゲンランプのような笑顔がそこにあった。
「どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかしら!」
 一等星の輝きを放つ瞳をこちらに向けてくるハルヒに、あたしは仕方なく尋ねた。
「何に気付いたの?」
「部活よ!」
 ……それはあたしの質問に対する答えになっているのだろうか?
 困惑するあたしをよそにハルヒは続ける。
「あたしと同じ思考回路をした人間がもう一人、この学校にいるじゃない!」
「……で?」
「なに? その反応。この発見をあんたももうちょっと喜びなさいよ」
 あたしにはあなたが何を発見したのか、まったくもって理解できないんだけど。ま、今は言うべきことを言っておきましょうか。
「ハルヒ、今は授業中」
 あたしはハルヒにまずは座るように言い、そして今にも泣きそうな顔をして突っ立っている新米の女教師に「どうぞ続きを」という意味を込めて掌を上に向けて差しだしてみせた。
 ひりひりと痛む後頭部が、何か嫌な予感を告げていた。