結論を言えば、嫌な予感は見事に的中してくれた。
その後の休み時間、どうやらハルヒは自分の眼鏡にかなう部活が存在したことに思い当たるものがあったらしく、そのことをあたしに告げた途端、あたしの手首を引っ掴んで教室を飛び出した。あたしが「あ」とも「う」とも言う間も与えずに、ハルヒは廊下をずんずんと歩いていくし、あたしはなされるがままに引きずられていく。
「ちょっ、ハルヒ! あたしをどこに連れていくのよ?」
抗議の声を上げてはみたものの、ハルヒは前を向いたまま「部室っ」と短く答えただけだった。
階段を一段飛ばしで降り、一度外に出てから別校舎に入り、また階段を登り、薄暗い廊下の一枚の扉の前でハルヒは急停止した。
SOS団。
そのように読める文字が紙に書いてあり、その紙が扉にセロテープで貼ってあった。どうでもいいけど、このネーミングセンスの無さはどうしたもんだろう? 一体、誰が考えたのか……というあたしの疑問を吹き飛ばすかのように、ハルヒは勢いよく部屋の扉を開いた。こら、ノックもなしに無礼だろう、とは思ったけれど、そこは言わないでおいた。言ったところで素直に聞いてくれるとも思えなかったし。
長テーブルやらパイプ椅子やらスチール製の本棚くらいしかないせいか、意外に広いんだ……と思っていると、窓際で小柄な女の子がパイプ椅子に座っていた。身の丈に不釣り合いなほど、その子は分厚くて重そうなハードカバーを読んでいた。
ちょっと待ってよ。これはどう見ても……文芸部じゃないの?
「らしいわよ、元々は」
「元々は、って……。なに? あなた、文芸部に興味があったとか?」
「違うわよ」
ハルヒは否定した。「いーい? 説明するから、ちゃんと聞くのよ?」
ハルヒはあたしをビシッと指差した。まるであたしが何か悪いことをしているような……って、あたしは何も悪いことしてないし。
「まず、ここがあたしにとってのオアシス! SOS団の部室!」
「いや、だから、ここはどう見ても文芸部……」
「黙って聞く! 質問は後!」
思わず、はい、と言ってしまうあたし。うう、弱気だな、あたしって。
「でもって、この子が元文芸部員」
そう言って、ハルヒは窓際の椅子に腰かけている小柄な女の子の肩に手を置いた。するとその子はモーション無しで面を上げた。
白い肌に、感情の欠落した顔。闇色の瞳があたしを見つめていた。
「長門有希」
と彼女は言った。聞いて三秒後には名前を忘れ、五秒後には声の特徴を忘れてしまいそうになる声だった。
長門は瞬きを二回分する間くらい、あたしの顔を眺めると、それきり興味を失くしたようにまた読書に戻った。
それきり、誰も口を開こうとせず、沈黙がその場を支配した。もう質問をしても良いのかな、と思ったあたしは「ハルヒ」と名を呼んだ。
「元、文芸部員、ってのはどういうことなの?」
「言葉の通りよ。元々は文芸部に入ってきた一年生だったんだけど、文芸部は去年なくなっちゃって、そこへSOS団が文芸部の部室を使うことになったから、今、ここはSOS団なの。だから、元文芸部員で、今はSOS団の団員ってこと」
それ、あたしの質問に対する答えになってんのかしら? 疑問は残るけれど、ハルヒに質問を重ねたところで、埒が明きそうな気がしなかったので、あたしはいっそ本人に訊いてみることにした。
「あー、長門さんとやら。この人、勝手にあなたのことをSOS団とかいう集団の構成員にしてるみたいだけれど、良いの?」
「良い」
「文芸部のことは本当にもう良いの?」
「構わない」
長門は呟くように言うと、再度、視線を上げてあたしを見つめる。
「SOS団なる存在に、わたしは個人的に興味がある。だから……構わない」
「あ、そう、なの……」
そう言った長門の目が、どこか爛と輝いていたような気がしたので、あたしはそれ以上、長門に何かを追及する気をなくしてしまった。
「ま、そういうことだから」
何が、そういうこと、なのだろう。あたしにはさっぱり分かんないんだけれど、ハルヒがそう言うからにはそうなのだろう。反論したいけれど、するのが怖いからしないでおくことにする。
「今日の放課後から、この部屋に集合ね。絶対に来なさいよ、キョン子!」
「……え? あたしも来ないといけないの?」
「当然でしょ! 来ないと、死刑だから!」
えらく弾んだ声で死刑宣告をされてしまったあたしは溜息を吐く以外にできることがなかった。
どうして、時間というものはチックタック、チックタックと進んでいくのかしら。来なくて良いのに放課後は今日もきっちりとやってきた。
ハルヒはあたしに「先に部室行ってて!」と言い置いて、見事なスタートダッシュで教室を出て行った。
あまり気乗りはしなかったんだけど、あたしは谷口と国木田に「先、帰っといて」と言って、昼休みに訪れた文芸部室に向かうことにした。ハルヒ曰く、そこはもう『元』文芸部、らしいけど。
部室の扉を開けると、先刻とまったく同じ姿勢で長門が先刻とまったく同じハードカバーを読んでいた。間違い探しをするとすれば、窓から差し込む太陽の角度と、長門の持っている本のページ数が変わっていることくらい、かな?
窓の外から運動系クラブの掛け声とかがたまに聞こえてきたりする以外は、音一つたたないほどに静かだった。
そんな沈黙に耐えかねたあたしは長門に「何、読んでるの?」と訊いてみた。
長門は返事の代わりに持っている本の背表紙をあたしに見せてくれた。どこの国の言葉の名詞だか動詞だか形容詞だか分からないけれど、なんだかそんな感じのタイトルだった。少なくとも、あたしに理解できそうな本ではなさそうである。
「それ、面白い?」
一応、訊いてみる。まぁ、面白くないものを趣味で読んでいる人間、ってのもいないでしょうけど。
「ユニーク」
訊かれたから答えた、といった風の長門とこれ以上の会話は望めそうにない。あたしは溜息を一つ吐くと、手近なパイプ椅子に座ることにした。
どうでも良いけど、SOS団って、曲りなりにもクラブ活動なのよね? じゃあ、先輩とかいるのだろうか? というか、一体、ここはそもそも何をするクラブなんだろう……? 疑問は尽きなかったけれど、それを長門に訊いても答えてくれるとは思えなかったし、ハルヒに訊いたところであたしが納得できそうな答えが返ってくるとも思えない。そうなると、やはり、事情を説明してくれそうな先輩とかがいてくれたら良いんだけどな……。
そんな願いが通じたのだろうか。ハルヒとは天と地ほどの差があるであろう扉の開け方をして、部屋に一人の女子生徒が入ってきた。
「あら? おやおや、これはこれは」
その人はパイプ椅子に座っているあたしに気付くと、柔らかい笑みを浮かべてあたしに近づいてきた。
「新入生かしら?」
「あ、はい。はじめまして」
あたしは立ち上がってお辞儀した。すると彼女は微笑んだまま「こちらこそ」と言った。
「二年生の古泉一姫と申します。以後、お見知りおきを」
「あの、古泉先輩は、ここの、SOS団の方ですか?」
「はい。このSOS団で、副団長をしています」
そう言って彼女はパイプ椅子に腰を下ろし、言葉を続ける。
「それから、私のことは一姫とお呼びくださいな」
初めて会った人に、下の名前で呼ぶように言うとは、なんてフランクな人なんだろう。それでいて、この人は淑やかさを忘れていないように見える。どっかの暴走特急女もちょっとは見習ってほしい。
「えーと、それじゃ……一姫、さん?」
とりあえず、彼女を下の名前で呼んでみた。うーん……ハルヒ相手の時ならともかく、ここまで清楚な女性相手に下の名前で呼ぶのはどことなく、気が引けてしまうような気もする。若干、あたしの頬が赤らんでしまったような気がするが、そこはまぁ、横に置いておくことにする。
「ふふふ。よくできました、とでも言っておきましょうか。それで、あなたはどうしてここに? SOS団の見学に来たのかしら?」
緩くウェーブのかかった栗色の髪を手で払いつつ、一姫さんはそう尋ねてきた。あたしは「見学というか……」と口ごもりつつ、言葉を続ける。
「あたしの知り合いが、どうもここの活動に興味があるらしくて、あたしはその付き添い、みたいなもので、ここにいるだけ、なんですけど」
「ああ、涼宮さんのことですね?」
あたしは驚いた。「ハルヒを知ってるんですか?」
つい尋ねてしまったが、それからしまった、と思った。改めて考えてみれば、ハルヒの奇行ぶりは、もうすでに学校中に知れ渡っていることだった。一姫さんが知っていてもおかしくはないし、というかむしろ、知らない方がおかしい、というものでしょ、正直なところ。
しかし、一姫さんは笑顔を絶やさない。
「もちろん、知っていますよ。私が涼宮さんを知ることになったきっかけは色々とありますけれど……まぁ、そのきっかけの話はまたいずれかの機会にでもしましょうか」
「はぁ、そうですか。ところで、一姫さん。一つ、訊いてもいいですか?」
「何なりと」
「ここって、一体、何をするクラブなんですか?」
あたしは訊いた。すると、ここで初めて一姫さんは微笑むのをやめ、宙を見上げて考え込んだ。
「そうですね……」
そう呟いて、一姫さんは腕組みをした。腕を組んだ途端、一姫さんの胸が強調され、思わずあたしの目はそこに釘付けになってしまった。これ、ひょっとして……ハルヒよりも大きいかも……。そう思ったあたしは、なんとなく暗い気分になった。
あたしの表情が変化していることに気付いていないのか、一姫さんは何事もなかったかのように言った。
「具体的に何をしている、ということはありません。平たく言ってしまえば、有意義な高校生活を過ごすための組織、というところでしょうか?」
「間違ってるとは思わんが、それがSOS団の正しい定義でもない、と俺は思うがな」
扉を開けて、部室に一人の男子生徒が入ってきた。その人は一姫さんの傍を通り過ぎる時にそう言った。
「あら、キョン君。それでは、あなたが説明してくださるのかしら? 正しい、SOS団というものを」
「きょん?」
あたしはそう言いつつ、部屋に入ってきた男子生徒の顔をまじまじと眺めた。どこにでもいる凡庸そうな顔立ちだったが、まるで胃か何かを患っているかのように、苦々しい表情をしていた。特徴と言えば、それが特徴なんだけど……それにしても、キョン、っていう名前なのか、この人は?
その時、あたしはこのキョンっていう人と、前にどこかで会ったことがあるような、これが初対面ではないような気がした。なぜだろう?
「ああ、彼のあだ名ですよ、キョンというのは」
困惑の色があたしの顔に出ていたのだろう。一姫さんがあたしにそう説明してくれた。
「甚だ、不本意ではあるが、そういうあだ名がいつの間にやら定着しちまってな。で、君? 俺のあだ名がキョン、って聞いて、随分驚いたような顔をしていたよな? 俺のあだ名が、そんなに珍しかったか?」
キョンが尋ねてきた。あたしは答える。
「いや、その……。あたしにもあだ名があって……そのあだ名が、キョン子、って言うんです」
キョン子、の響きのところで、キョンは驚きのあまり目を見開いていた。そりゃそうでしょうね。ここまで似たようなあだ名をしているんだから、驚くのも無理はないかもしれない。実際、あたしもさっき驚いたし。
「……一姫、ちょっといいか?」
「はい? なんでしょう?」
キョンは一姫を伴って、部屋の隅に移動する。二人はちらちらとあたしを盗み見しつつ、こそこそと話をしていた。
二人は一体、何を話しているのだろう。そんなことをぼんやりと考えていると、キョンがいきなり大声で、
「それじゃ、あの子が例の、俺の代わりか?」
と言った。む? 俺の代わり、というのはどういうことだろう? あたしが首を捻っていると、キョンは深い溜息を吐いて、一姫と共に元の場所に戻ってきた。
「……えー、その、なんだ。キョン子ちゃん、だっけな?」
「あ、キョン子で良いですよ、あたしのことは」
先輩相手だし、一応、敬語で言葉を返しておいた。なんとなく、敬語を使うことに違和感があったんだけど、まぁ、そのうち慣れる……のかな?
すると、キョンは言った。
「そうかい、そいつは助かる」
「助かる?」
「あ、いや、こっちの話だ。えーと、とりあえず、言っておくべきことは……あー、その、なんだ。まぁ、俺が一応、ここのSOS団の団長をやっている、ってことで良いんだよな、一姫?」
自分の相棒に確認を取らなければならないほど、団長たる自分というものに自信が無いらしい。しかし、一姫さんはそれを非難するわけでもなく、にっこりとした笑みを浮かべて「はい、結構ですよ」と答えた。
「まぁ、そんな感じ、だな、ひとまず――」
刹那、部室の扉が凄まじい勢いで開いた。ああ、こんな感じで、がさつな開け方をするのは……
「やあ、ごめんごめん、遅れちゃった! 捕まえるのに手間取っちゃってね」
涼宮ハルヒ以外に誰がいようというのだろう。
ハルヒは頭の上に片手をかざし、後ろに回されたもう片方の手が別人の腕をつかんでおり、そのままズカズカと部屋に入ってきた。そして、ハルヒは扉を施錠する。……なんでだ、おい?
ガチャリ、という鍵の音にびくりと肩を震わせたのはまたしても女子生徒だった。でもって、すんごい、美少女だった。一姫さんを大人っぽい落ち着いた女性、とするなら、こちらは童顔で愛くるしい女の子、という表現がしっくり来る、といった具合である。
「な、なんなんですかー?」
その美少女は言った。気の毒なことに半泣きである。
「ここどこですか、何でわたし連れてこられたんですか、ななな、なんで鍵を閉めるんですか?」
「黙りなさい」
冷たい声音でハルヒが言う。すると、その美少女はまたもや肩を震わせた。
「紹介するわ。朝比奈みくるちゃんよ」
「してもらわんでも、知っとる」
ハルヒの言葉にそう答えたのはキョンだった。口を挟んだキョンをハルヒはキッと睨みつけて、「なによ、あんた?」と言った。
「朝比奈さんのクラスメートさ」
「ああっ、キョンくん!」
朝比奈さんは目を丸くしてキョンを見た。どうしてこんなところに、と小声で続けた朝比奈さんに、キョンは優しく微笑みかける。
「ここのクラブ活動に参加してるんですよ、俺」
「あー、そうだったんですかー。だから、ここに」
朝比奈さんはひとまず納得する。キョンがここにいる理由を納得しても、自分が連れてこられた理由を納得していないのでは、とあたしは思った。
「で、ハルヒ。この人をどこで拉致ってきたのよ?」
あたしが訊くと、ハルヒは「拉致じゃなくて任意同行よ」と答えた。どっちも似たようなもんよ。
「似たようなもんだろうが」
キョンもあたしと同じ考えだったらしく、そう言った。再び、ハルヒは鋭い目でキョンを見る。
しかし、そんなハルヒに臆することなく、キョンは言葉を続ける。
「二年の教室でぼんやりしていたところをとっ捕まえたんだろ、どうせ。そして捕まえた理由は、童顔で小柄で可愛くて胸が大きい、すなわち萌え要素を全部揃えているから、だろう?」
一気に言い切ったキョンは得意げな顔になり、対するハルヒは驚きで目を見開いた。
ハルヒは言った。
「なっ、なんであんた、あたしの考えを知ってるのよ?」
キョンの説明が図星だったらしい。まさか、そんな理由で上級生をこんなところに引っ張ってきたなんて……真性のアホだ、この女。あたしはジト目でハルヒを見た。
「なっ、なによ、キョン子まで! あんた、あたしに文句でもあるの?」
「あのね、ハルヒ。そんなアブナイ誘拐犯みたいなことをするもんじゃないでしょう? 怯えてるわよ、この人」
「しょうがないじゃない! だって可愛かったんだもん」
「まあまあ」
言い争いを始めたハルヒとあたしの間に割って入ったのは一姫さんだった。
「二人とも、喧嘩しないでくださいな。ところで、涼宮さん。もしよろしければ、少し、朝比奈さんとお話してもよろしいかしら? SOS団の活動内容をよく説明した上で、私からもう一度勧誘してみましょう」
「え? うーん……」
一姫さんの言葉に、ハルヒは少しの間考え込み、「分かったわ。それじゃ、お願いします」と答えた。
「さ、朝比奈さん。少し、よろしいかしら?」
「あ、はい。構いません」
一姫さんは朝比奈さんを連れ立って部室を出ていった。
一姫さんに窘められたハルヒは毒気を抜かれてしまったようで、すっかりおとなしくなった。
と、思ったのもつかの間。ハルヒはくるりと向きを変え、二年生男子に掴み掛からん勢いで食って掛かる。
「で、あんた! どこの誰よ? ついでに、どうしてあたしの考えが分かったのよ? 返答次第では袋叩きだからね?」
きっつい目で睨まれて、ネクタイを締め上げられているというのに、キョンは平然としていた。まるで、こんなことには慣れている、とでも言いたげである。普段、どんな生活をしているんだろう、キョンっていう人は?
「あたしの思考を読むなんて……ひょっとして、あんた、宇宙人?」
「違う」
「じゃあ、未来人?」
「そいつも違う」
「あ、分かった! 超能力者でしょ?」
次々と質問をぶつけるハルヒの瞳が嬉々と輝いていく。一方、キョンは「残念ながら、それもハズレだ」と言って、ふっ、と笑った。
「ハズレ? うーんと、あ、あとは異世界人がいるじゃない! あんた、それでしょ?」
「惜しい、かもな」
「じゃあ、なんなのよ、あんたは!」
再び怒声を飛ばすハルヒ。よくもまぁ、キョンは耳一つ塞ごうとしないものね。
「俺は、SOS団の団長、キョンだ。それ以上でもそれ以下でもない」
キョンの言葉を聞いたハルヒは再び目を丸くする。そして今まで以上にキョンのネクタイを強く掴んだ。
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ! SOS団の団長はあたしの――」
ドカン、という音とともに扉が勢いよく開いた。こんな感じに、乱暴にドアを開けるようなやつをあたしは一人しか知らないし、その一人はあたしの目の前にいる。はて、いったい、誰だろうか、と思ってあたしは入り口を振り返った。
北高のブレザーを着こなした、端整な顔立ちに、黄色いヘアバンを付けた男子生徒が「威風堂々」の言葉を体現するかのように立っていた。
早い話、えらいイケメンがそこにいた。
「おっす、キョン、ハルヒ! うちのキョンが何したか知らねぇけど、とりあえず、ハルヒ、その手を離してやってくれ。多分、そいつはお前に変なことができるほどの度胸はミジンコほども無ぇだろうからよ」
からからと笑いつつ、そいつは部室に入ってきた。
言葉を遮られた格好になったハルヒだったが、ああ、あたしはいったい、今日ハルヒの驚く顔を何回見ているのだろうか? ハルヒはまたもや驚いてた。
「お兄ちゃん?」
やっとの思いで口を開いたらしいハルヒが呟いた言葉がそれだった。
……って、お兄ちゃん? ハルヒに兄貴がいたの?
あたしの驚きはどうやら声になってしまっていたらしく、ハルヒの兄貴はあたしに言った。
「おう! 涼宮ハルヒの兄、涼宮ハルヒコだ。よろしくな、キョン子!」
「はぁ、こちらこそ……って、あれ? どうしてあたしの名前、知ってるんです?」
「いやー、ハルヒから色々と聞かされてるもんでな。なんせ、君は……あいたたたた!」
涼宮ハルヒコは途端に顔をしかめた。妹のハルヒに思いっきり耳たぶをつねられている。
「ちょ、お兄ちゃん! 余計なこと言わないでよ!」
「あー、はいはい、分かった分かった!」
痛ぇから放せって、と言ってハルヒコはハルヒの指をやっとの思いで自分の耳から引っぺがした。
「ふう……いきなりすぎるんだよ、ハルヒは……。で、キョン? お前、やっとここに出てきたか? ちょっとは団長としての自覚が出てきたか?」
「まだ何とも言えん」
「ちょ、お兄ちゃん? この、どこの馬の骨かもわかんないやつに、団長職、譲っちゃったの?」
「ああ。その、どこの馬の骨かもわからんやつに、団長職を譲ったぜ」
急き込んで尋ねてきたハルヒに対し、こともなげにハルヒコは答える。こっそりとキョンが「どこの馬の骨って……ひでぇ言い草だな……」とぼやいていた。
「だってなぁ、ハルヒ。俺、今年から『コレ』だかんな」
そう言ってハルヒコは左腕につけてあった赤色の腕章を指差した。そこには「生徒会長」と書かれてある。
「面白そうだな、とは思ってやってみたんだが、これがなかなか忙しい職でなぁ。立候補しちまった以上、放棄するわけにもいかなかったんで、去年からSOS団にいてくれたキョンに団長をやってもらうことにしたのさ」
「本当にそれで良いの、お兄ちゃん? だってSOS団はお兄ちゃんが……」
「俺のことは心配しなさんな、ハルヒ。今日からお前はSOS団の団長補佐をしてもらう。いずれはお前が団長だ。俺の思いはお前が受け継ぐ。それで良いだろ?」
言葉の最後を強調したハルヒコに、ハルヒは何も言い返そうとしなかった。
その後、一姫さんに説明を受け、自分がハルヒに引っ張られてきた理由をある程度納得したらしい朝比奈さんは、次にこの部屋に入ってくる時には幾分か笑顔を取り戻していた。聞くところによると、もうすでに書道部に所属していたらしいのだが、そっちを辞めて、こっちに入部することになったんだそうな。なし崩し、以外のなにものでもないと思うんだけど、それでいいんだろうか?
しかし、そのことに関して、ハルヒもハルヒコも気にしなかったし、意外なことにキョンも気にしていなかった。この面々の中ではキョンは常識人であるように見える方なのに、ハルヒに何も言わない、というのは少し驚きだった。
今この部屋には、あたし、ハルヒ、ハルヒコ、キョン、長門、一姫さん、朝比奈さん、の七人がいる。その七人を見渡してから、先代SOS団団長で現生徒会長の涼宮ハルヒコ氏は口を開く。
「新顔もごっそり増えたことだし、ここらで一度、SOS団の活動内容を説明しておくことにするか。ってなわけで、キョン! 例のビラ、皆に配ってくれ」
ハルヒコにそう言われたキョンはどこから取りだしたのか、数枚のプリントの束を手にしていた。キョンはそれを一枚ずつ皆に手渡し、あたしの手元にもその紙が来た。
『SOS団ではこの世の不思議を広く募集しています』という一文で始まっている文章の中身を要約すれば、ここのクラブはSFだかファンタジーだかの物語世界に浸りたいがための活動をしている集団であり、それがSOS団である、とのことである。なるほど、涼宮ハルヒが興味を持ちそうなクラブ活動であり、そのハルヒの兄で彼女と同じような脳みそをしている涼宮ハルヒコが立ち上げそうなクラブね、これは。
頭痛がしつつも、その活動内容にあたしは妙に納得していた。
「ま、そのプリントを読んでもらえば、俺達の活動内容は分かってもらえると思う。そんじゃ、後はキョン、任せたぞ。あ、それと、ハルヒ!」
ハルヒコはハルヒを呼んだ。
「正直、我がSOS団の知名度は恐ろしく低い。悪ぃけど、お前に、SOS団の知名度を上げて欲しいんだが、構わんか?」
「オッケー、お兄ちゃん。任せといて!」
力強く言葉を返すハルヒ。ハルヒとハルヒコの呼吸は見事にぴったりである。兄妹って、そんなもんなのかしらね? どちらかと言うと、この二人には呼吸を合わせて欲しくないような気もするけど。
ハルヒコが去った後、キョンは今日の部活は終わりにしたのだけど、珍しくハルヒはそれに素直に従った。ハルヒが誰かの意見を素直に聞く、というものをあたしは初めて見たような気がした。