謎のバニーガールズとして認知されてしまった二人組の片割れであるあたしがブルーな気分に浸っているのに比べ、もう片方たるハルヒは一年九組にやってきた転校生の話を耳にするや顔を輝かせていた。
「またとないチャンスだわ! 同じクラスじゃないのは残念だけど謎の転校生よ、間違いない」
「会ってもないのに、どうして謎だって分かるのよ?」
「こんな中途半端な時期に転校してくる生徒は、もう高確率で謎な転校生なのよ!」
その統計は誰がいつどうやって取ったんだろ? そっちの方が謎のように思う。
かくして、一時間目が終わるや、ハルヒは一年九組へとすっ飛んでいき、二時間目が始まる直前ギリギリに五組へと戻ってきた。元気の良いことね、ハルヒは。
まぁ、それくらい元気なハルヒを眺めていると、ブルーな気分に浸っているのが、段々と馬鹿らしくなってきた。あたしも、ハルヒを見習って、もう少し良い笑顔を振りまくような努力をした方がいいのかな?
そんなことを考えていると、あたしは少しばかり元気が出た。正直、もう一度あの部室に顔を出すことに少しためらいはあったのだけれど、悩むだけ無駄ってものよね、と思い、あたしは放課後、部室へと向かうことにした。
部室に顔を出すと、そこにはキョンと長門がいた。キョンが「よっ」と微笑みながら挨拶を寄こしてきた。
「あ、先輩。先に来てたんですか?」
「まあな。それより、キョン子。その敬語は無しで頼む」
「え?」
あたしが目を丸くしていると、キョンは「なんだか、やりにくい」と言った。
それは、あたしも感じていたことだった。先輩相手なんだし、敬語を使った方が良いかな、とは思っていた。でも、どうしてだか、キョン相手だとそんなものは必要ない気もする。だからあたしはこう言った。
「分かったわ。いやぁ、正直なとこ、あたしもどことなくやりにくかったのよ。なーんか、あなたとは他人の気がしなかったの。なんでだろ? あなたとはこの前、初めて会ったばかりなのに、まるで、どこかで会ったことがあるんじゃないかって」
そう言いつつ、あたしはパイプ椅子に座る。キョンもテーブルを挟んであたしの向かいに座った。
「へぇ、奇遇だな? 俺も、キョン子とは前にどっかで会ったような気がしてたところなんだ」
「あ、あなたもだったんだ」
そう言って、あたしは笑った。するとキョンはふと何かを思い出したらしく、あたしにこんなことを訊いた。
「それより、キョン子。昨日、あんな目に遭ったのに、よく、またこの部屋に来る気になったな?」
キョンの言葉に、あたしは答える。
「うん……。少し、悩んだわよ、やっぱり。ハルヒに振り回されるのも、正直、良い気はしないわね。でも、なんていうのかな。あたしがいないと、ハルヒのブレーキ役がいなくなるような気がするし、それにあたしの代わりに、朝比奈さんがオモチャにされてそうな気もするから」
「あいつのブレーキ役が務まるやつなんて、そうそういるもんじゃないし、大変なポジションだぜ?」
それは分かる。ハルヒに振り回されるしんどさも身にしみているし、ハルヒのストッパーという役目も、簡単なものではないだろう。
しかし、そのことに関して、あたしは特に不安は無かった。
あたし一人でハルヒを止めるのは不可能かもしれないけれど、幸いにして、ハルヒのストッパーはあたし一人ではない。
「確かに、あたし一人ならね」
あたしがそう言うと、キョンは「え」と言った。そんなキョンにあたしは続ける。
「でも、あなたも助けてくれるんでしょ? あたしのこと。あなたとあたしの二人がかりなら、ハルヒを押さえつけることはできなくても、ハルヒの進む方向くらいは制御できるんじゃない?」
「おいおい……俺に、ハルヒのブレーキ役をやれってのか?」
苦笑するキョンに、あたしは「というより、あなた、もうすでにハルヒのブレーキ役をやってそうだもん。自分から買って出てそうだし」と言ってやった。
なんとなくではあるけれど、多分、この人もあたしと同じで、なんだかんだ文句を言いつつも、ハルヒの傍らで生きていくことを望んでいるような気がした。ハルヒは今年、高校に入ったばかりだし、キョンと出会ってまだ日は浅いはずである。それでもあたしには、キョンがハルヒのことをよく理解していて、そしてハルヒをコントロールしようと尽力しているような気がするのだった。
だからあたしは、率直にキョンに訊いてみた。
「キョンはさ。ハルヒのこと、詳しそうだよね? なんで、そんなに、ハルヒのこと知ってるの?」
あたしの問いに対し、キョンは少しの間考え込んでから、こんなことを言った。
「いずれ、キョン子にも分かる。あ、こいつは、まぁ、『先輩』としての忠告だ」
その『先輩』という単語に、単なる、北高における先輩というだけではない響きが含まれているように、あたしは感じた。
いずれ分かると言うのなら、そのいずれ、とやらがやってくるまで気長に待つことにしよう。他でもない、キョンの忠告なのだから、おそらく外れはしないでしょ。
その後、あたしはキョンにハルヒの行方を訊かれ、九組に転校生を捕まえに行った、と答えると、噂をすれば影、だった。
「へい、お待ち!」
出前を届けに来たそば屋の看板娘のような口調でハルヒはそう言った。
「一年九組にやってきた即戦力の転校生! その名も、」
言葉を句切り、顔で後は自分で言えと促す。虜囚となっていたその少年は薄く微笑んであたし達三人の方を向き、
「古泉一樹です。よろしく」
と言った。爽やかなスポーツマンのような雰囲気を持つ細身な少年だった。
「ここ、SOS団。あたしは団長補佐の涼宮ハルヒ。そこのボケっとした男が団長のキョンで、その向かいの女の子がキョン子、でもってそっちの眼鏡っ子が有希ね」
されない方がマシに思える紹介をしたハルヒに、古泉一樹は遠慮がちに「あの」と話しかけた。
「入るのは別に良いんですが、ここは何をするクラブなんですか?」
「よくぞ訊いてくれたわ、古泉くん! 我が、SOS団の活動内容、それは――」
「ああ、ハルヒ。そこは俺が説明するから、いいぞ」
いつの間に現れたのか、ハルヒの背後にハルヒコが立っていた。後ろを振り向いたハルヒが「あ、お兄ちゃん」と言った。
「よう、転校生。俺は生徒会長にして、SOS団の先代団長、涼宮ハルヒコだ。SOS団の活動内容も含め、この学校のことを色々と教えてやるから、俺にちょっとついてきてくれ。あ、ついでにキョンも一緒に来い」
「俺がついていく意味あるのか?」
キョンがハルヒコに尋ねると、ハルヒコは答える。
「まぁ、お前もいてくれた方が、こっちとしちゃ助かるわな」
ハルヒコの言葉に「まあ、別に構わんが……」と言いつつ、キョンは立ち上がる。ハルヒコは古泉とキョンと共に部室を出て行った。
男子三人組と入れ替わりになるように、一姫さんと朝比奈さん、二年生女子コンビが部室に入ってきた。
「あら、涼宮さん。うちの一樹も、ここの活動に誘ったんですか?」
一姫さんがハルヒに尋ねた。
「うん、まあね! あ、そういえば、従姉弟なんだっけ? あなたと、古泉くん」
「従姉弟?」
あたしは驚いて、一姫さんの顔をまじまじと眺めた。言われてみれば、さっきまでここにいた古泉と、一姫さんの顔はよく似ている。従姉弟だと言われれば、納得できる話だった。
ハルヒとあたしの言葉に、一姫さんは如才ない笑みと共に「はい」と答えた。
「さてと……」
いつから持っていたのか、ハルヒの手にはいつぞやを彷彿させる紙袋があった。改めてハルヒの顔を見れば、不敵な笑みが浮かんでいる。
「さぁて……厄介なキョンもいなくなったことだし、ここには女の子しかいないし、恒例の御着替えタイムといきましょう!」
声高に宣言したハルヒが紙袋から取り出したのは、メイド服だった。で、それ誰が着るわけ?
「んー、そうね……。ホント言うと、五人分欲しかったんだけど、何しろ一着が高いんだもん。誰に着せようかしら、これ」
「自分で着ろ!」
あたしは言ってみたが、ハルヒは「とりあえず、キョン子は決定ね」と言った。人の話を聞け! あと、あたしは決定事項か!
「だって、あんた似合いそうなんだもん。あとは、んー……あ、みくるちゃん! あなたも、これ着なさい!」
そう言ってハルヒは紙袋から二着目を取り出した。若干、朝比奈さんの顔が引きつってたような気もするんだけど、許してください朝比奈さん。今回ばかりは、あたしも我が身を守るのに精一杯で、朝比奈さんをお助けすることはできそうにありません。
かくして、あたしも、そして今回は朝比奈さんも、豹のごとき動きのハルヒに抵抗することなどできず、またもや扮装させられてしまうのだった。
とほほ……。そんな声が口をついて出そうになりつつも、横であたしと同じような格好をさせられている朝比奈さんを見た。
白いエプロンと、裾の広がったフレアスカートとブラウスのツーピース。ストッキングの白さが清楚な雰囲気を抜群に演出していた。
「どう、可愛いでしょう?」
誰に向けて言うでもなく、ハルヒは言った。まるで自分の手柄のように言ってのけるハルヒ。
まぁ、否定はしないでおく。あたし自身はともかく、朝比奈さんはこの衣装がかなり似合っていた。
「なに言ってんの? あんたもなかなか、似合ってるわよ?」
「ええ。お二方とも、よくお似合いですよ」
ハルヒに続き、一姫さんもあたしにそう言った。むう……褒められて悪い気はしない、と思ったあたしはふと気付く。どうやらあたしは、褒められることにめっぽう弱いらしい。
あいつは、どんな顔をするのかな? あたしは自分の片割れのような存在の男のことを思い浮かべていた。
っていうか、ちょっと待てぇ!
「おい、ハルヒ! そもそも、なんであたし達がメイドの格好をしないといけないわけよ?」
「やっぱり、萌えといったらメイドでしょ」
また意味のわからないことを……。
「学校を舞台にした物語にはね、こういう萌えキャラの一人や二人は必ずいるものなのよ。言い換えれば、萌えキャラのいるところに不思議なことは巻き起こるものなの。あんた達二人はどこから見ても萌え記号の塊よね。もう勝ったも同然よ」
一体、何に勝つつもりなのだろう。あたしが呆れて何も言えないでいると、扉の外から「おーい、入って良いかー?」という声が聞こえた。どうやら男性陣が戻ってきたらしい。
一姫さんが扉に向かい、解錠した。するとハルヒコ、古泉、キョンの順番で部室に入ってきた。
こいつらのリアクションは三者三様だった。キョンは頭を抱え、古泉はにこやかに笑い、ハルヒコに至っては「でかした、ハルヒ!」などと言って喜んでいる。
「さすがは俺の妹だ! 誰にメイド服を着せるのが正解か、きっちりと分かってやがる」
「とーぜんよ! あたしの目に狂いはないもんね」
ハルヒを増長させるようなことを言うハルヒコ。それを受けて実際、増長しているハルヒ。
ああ……この二人が組むとロクなことになりそうにない……。あたしは何度吐いたか分からない溜息をまた吐く。
すると、キョンがあたしに近づいてきた。
「似合ってるぞ」
「むっ……」
キョンの言葉が、不思議とあたしには嬉しかった。まぁ、キョンがそう言ってくれるなら、ハルヒの思いつきもまんざら悪くなかったのかもしれない……って、あたしは何を考えてるんでしょうね?
散々な――でも、キョンの褒め言葉が少し嬉しかったことを思えば、そこまで散々でもなかったのかもしれない――目に遭ったあたしだったのだけど、実はこの日の悲劇はまだ終わらなかった。
部活が終わった後、メイド服から着替えて帰ろうと思っていると、長門に呼びとめられた。長門があたしに何の用だろう、と思っていると、長門はぼそりとあたしに言った。
「午後七時。光陽園駅前公園に来て」
あたしが答えるよりも先に、長門はすたすたと部室を出ていった。
……ここの部活の住人は、人の話を聞く、ということができないのだろうか? そんなことを思いつつ、まぁ、それを断ることができるだけの理由もなく、あたしは長門の指定した場所に、指定した時間に向かうことにした。
公園に到着すると、長門はもう待っていた。その後、長門のマンションを訪ねたあたしは、長門の暮らしている部屋で、衝撃、としか言いようのないことを長門から聞かされた。
平たく言ってしまえば、長門は情報ナントカ体なる存在が作りだした有機生命体、すなわち宇宙人だとのことである。
涼宮ハルヒが入学式の自己紹介で会いたいと言っていた存在その一、が意外にも身近な場所にいてしまったとは。ははは、なんていう冗談よ、これ。
もちろん、それをそのまま信じてあげられるほど、あたしは馬鹿ではない。
……少なくとも、この時のあたしはそう思っていた、というより、そう思い込もうとしていた。後に身を持って、長門が宇宙人である、ということを思い知らされることになるんだけど、まぁ、それは別の機会に言うべき話であり、ここではその話をしないことにする。
次にすべき話はなんといっても……土曜日に行われた、不思議探索パトロールなる、SOS団の活動であった。