不思議探索パトロールを大阪でやる、とハルヒは言った。それが昨日の話である。しかし、それはあくまでも三日目の話であり、それよりも先に修学旅行には初日と二日目の行動予定というものがある。
そして、修学旅行初日である今日の行動予定は次の通りである。まず、北高からバスに乗り、駅に向かい、新幹線に乗り込み、大阪に到着したら、再びバスに乗り、第一の観光地である通天閣へ、といったところである。
天に通ずる高い建物、という意味が込められて命名されたこの建築物の五階が展望台になっており、俺たちは今、そこにいるのであった。
大阪を語る上で、決してはずすことのできない観光スポット、と担任の岡部が言っていたが、本当にはずすことのできないスポットかどうかはともかく、まあ、修学旅行の行き先としてなら、ある意味では妥当な場所ではあるのかもしれないな、とかいうことを俺が考えていると、難しい表情を顔に貼り付けた谷口が俺に話しかけてきた。
「まったく、シケてるよなぁ、うちの学校の修学旅行はよぉ……」
俺の知り合いのやつの行き先知ってるか? と疑問系で言葉を締めくくった谷口に、俺は「知らん」と返した。
厭味ったらしい口調で谷口は「カナダだぜ、カナダ。良いよなぁ、金持ち学校の私立はよ」と言った。
谷口は、ふと何かを思い出したらしく、「そういや」と続けた。
「カナダって、朝倉涼子の引っ越したところだっけな? 俺もカナダに行けば、あの麗しい美人と再会できたりなんかしたりしてな」
何も事情を知らない谷口を責めるわけにもいかんが、できるのであれば、俺は二度と朝倉と会いたいとは思わなかった。笑顔で俺に凶器を突きつけてきたあの恐ろしさは、今思い出しても、やっぱり恐ろしい。
俺の考えなど、どこ吹く風の谷口は言葉を続ける。
「おまけに朝倉は頭も良かったしなぁ。勉強のできない俺に、手取り足取り、色々と教えてくれたりしてくれたんだろうなぁ、今でもうちの学校にいてくれれば」
たとえ朝倉がまだ北高の生徒だったとしても、わざわざお前を相手にして、なおかつ勉強を教えてくれるとは、俺には想像ができないが。手っ取り早く言えば、谷口には高嶺の花、である。
「うるせぇ。他の誰に言われようとも、お前にだけはなんだか言われたくねーよ」
妄想を中断し、俺にツッコミを返す谷口。
「けどま、無い物ねだりをしたってしょうがないことも事実だよな。それに、今ある物でも、よく考えてみればダイヤモンド並の輝きを放ってる女もいるわけだしよ」
谷口はそこで一度言葉を切り、「ほれ」と指差した。谷口が示した方を、俺が見やると、案の定というべきか、谷口が好みそうな女がそこにいたわけである。
谷口は続ける。
「一姫さんは安心して狙えるよな」
「安心って……具体的に、どこに安心できる要素がある?」
「SOS団には、たまにしか出入りしてないだろ、あの人は。一姫さんは、SOS団がヤバい組織だからできる限り距離を置きたいと思ってらっしゃるんだよ。つまり、SOS団はヤバイ集団だと、ちゃーんと理解しているってことだ。おまけに生徒会の役員なんだぜ? ついでに九組に所属しているんだから、頭の良さはお墨付きだろ? そうなってくると、弾き出される答えは一つだ。常識があって、頭も良くて、おまけに美人でスタイルも良いとくれば、ポスト朝倉かそれ以上になるかもしれないだろうが?」
話が進むにつれて、言葉が熱を帯びてきた谷口だったが、その言葉のほとんどが、谷口が自分にとって都合の良いように解釈しているだけ、のように俺には思えた。
確かに、一姫はSOS団にはたまにしか出入りしていない。しかし、それは生徒会の仕事が忙しいからであり、別にあいつがSOS団と距離を置きたがっているわけではない。あと、SOS団批判はやめろ。お前だけには批判されたくない。なんだか腹が立つ。
「でも、実際問題、彼女は相当頭が良いんだよね」
谷口と同じく、初日は俺と一緒に行動することになっている国木田が口を開いた。お前がそう言うからには、一姫はかなり頭が良いという事になるな。
否定するつもりもなかったので、俺は「ふーん?」と相槌を打った。
国木田は言葉を続ける。
「学年でも、五本の指に入る成績を誇ってるくらいだし」
俺みたいな凡人から言わせれば、お前も十分、そのランクに入っていそうなもんだがな。
「そうかな? そう思ってくれるなら、光栄だよ、僕は」
そう言って、屈託のない笑みを見せる国木田。
それに比べ……
「いや、学年で五本の指に入ってるのは、あの人の場合成績だけじゃなくて、胸のサイズもだろうが」
このバカ谷口を誰か何とかしてくれ。国木田が「谷口はそんな話ばっかりだね」と適当にあしらうと、谷口は「おうよ! 悪いか?」と返す。谷口の暴走をまともに止めることのできるやつがいないのか、と思った俺は、頭を抱えた。
谷口の相手は国木田に任せるとして、俺は少しその辺を歩き回ってみることにした。
展望台に入ると、真っ先に出迎えてくれるのが、幸福の神様ことビリケン像である。
笑っているのか怒っているのか、よくわからない不思議な表情をしたこの像は、合格祈願や縁結びなど、ありとあらゆる願いを聞いてくれる、なんでもござれの福の神なのだそうだ。
そんなビリケン像に、何かしら通じるものがあったのか、福の神レベルでは同等と言っても過言ではない長門がビリケン像と同じくらい、ちょこんとビリケン像の前に立っていた。
そんなとこに立たれようもんなら、ビリケン像を拝むより先に、俺が長門を拝みたくなるな、などと俺が思っていると長門が俺に気づいたらしく、長門はこちらを振り向いた。
「よう、楽しんでるか?」
声をかけてみた。すると長門はわずかばかり首を縦に動かす。
「そいつは良かった」
そう言って、俺は微笑む。すると長門はトコトコと俺の元に歩いてきて、俺の後ろを指差した。俺が振り返ると、ずんずん、という足音が聞こえそうな勢いでこちらにやってくるハルヒの姿があった。
「ねえ、キョン!」
耳を弄する、という表現が良く似合う大声だな、ハルヒ。そんなにばかでかい声を出してもらわんでも、ちゃんと聞こえてるっての。
「なんだよ?」
「ここ、新世界、っていう場所らしいわ」
「へえ? それがどうかしたか?」
つれない言葉を返してみる。するとハルヒは「もう!」と声に怒りを滲ませた。
「新世界なのよ? 新しい世界なのよ? つまり、ここら辺には新世界人の一人や二人や百人はいると思うの! というわけで、今から探しに行くわよ!」
言うが早いか、ハルヒは俺の手首を引っつかんでエレベーターへと向かった。相も変わらず、よく分からん理屈で俺を引っ張りまわすやつではあるが、よりにもよって、集団行動を義務付けられているこのタイミングでか?
「いいのよ! 後で岡部をうまく言いくるめればいいだけなんだし」
じゃあ、何も問題はないな……とでも俺が言うと思ったか、ハルヒ?
ハルヒに訊きつつ、俺はハルヒの手首を掴み返し、こちらへと引っ張った。
「え? わわっ?」
つんのめったハルヒはひっくり返りそうになる。そうはさせじと、俺はハルヒの肩を手で押さえてやった。
体勢が安定した途端、ハルヒはくるりと振り返り、俺に人差し指を突き付けた。
「なにすんのよ、キョン! 転びかけたじゃない!」
「感謝されても、お前に怒鳴られる覚えはないが?」
「なっ、どういうことよ?」
「考えてもみろ。集団行動中に俺達が消えちまったら、岡部どころか、他の連中にも迷惑がかかるだろうが? 俺はそれを阻止してやったんだぜ? それが分からんお前じゃないだろう」
諭すように俺は言ってやったが、どうにもハルヒは納得していないらしく、膨れっ面になった。
下手に気分を悪くさせても、閉鎖空間ができて、古泉達を困らせることになるかもしれない。俺は「やれやれ」と呟き、溜息を吐いた。
「今回はちょっと我慢しろ。その代わり、三日目に、お前の行きたいところにどこへでも付き合ってやるから」
俺の言葉に対し、ハルヒは相変わらず膨れたままだったが、少しは機嫌を直したらしいことはなんとなく分かった。
だから、ハルヒはこう言ったのだろう。
「わかったわよ……。その代わり、三日目はあたしの言うとおりに動いてよ? 絶対よ?」
動きますとも。だから、この場は我慢しろい。
しかし、結局、その三日目のハルヒの行動が原因で俺達二人は岡部に怒られることになったのだが、この時点でそれを見抜くことは、まあ、俺には不可能だったな、うん。
初日の行動が全て終わり、俺達は宿にやって来た。大浴場を売りにしている純和風の旅館だそうで、チェックインしてからしばらくすると、俺達は風呂に入ってこいという教師連中のお達しを受けた。
で、俺は今、こうして湯船で体を浸している最中、というわけである。
風呂は良いものだ。体の疲れだけではなく、心の疲れまで取ってくれる、と昔の偉い人が言ったそうだが、まさにその通りだと俺は思う。
この旅館の風呂場は露天風呂になっており、壁一枚隔てた向こう側が女湯になっている。男湯にこれだけ大きな湯船がある、ということは、おそらく女湯にもこれと同等の湯船があるということであり、ハルヒあたりがプールよろしく、ド派手なクロールで泳いでいそうなもんだ、と俺は苦笑した。
そんな時だった。その、男湯と女湯を隔てている壁なのだが、その壁際で群がっている連中がいた。その一団の中心には谷口がおり、谷口が何やら騒いでいた。
俺は、俺の傍らで湯に浸かっていた海音寺に「なあ」と声を掛けた。
「谷口達、何してんだ?」
「あの壁に、穴が開いてるらしいぜ」
……なるほど。そりゃ、谷口達が騒ぐわけだ。
「おい、キョン子だ! キョン子がいるぞ!」
そうか、良かったな、谷口。でも、声がでかいぜ? それだけ大きな声を出せば、女湯に筒抜けなんじゃねーか?
そのうち、バレるだろうが、まあ、俺には害が無いわけだし、俺は谷口御一行様の覗き行為を特に気に留めなかった。
白い湯気が、もくもくと空に昇っていく。やがてその湯気は空の色と同化していくんだけど、その色の変化の過程がどことなく綺麗……なーんて、ちょっとばかりセンチメンタルな気分になりつつ、あたしは髪を束ねているゴム紐を掴んだ。そのまま、絡まないようにして髪を解くと、耳元で、ファサ、という髪が擦れる音が響いた。
風呂場の椅子に座り、体を洗おうとした時だった。背後から「ふーん?」という声が聞こえたので、あたしは首を後ろに向けてみた。
手を顎に当てて、ニヤニヤと笑っているハルヒがそこにいた。何か、いや〜な予感はあったんだけど、あたしは努めてそれを表情に出さないようにしつつ「なによ、ハルヒ?」と尋ねた。
「良い体してるわねぇ、あんた」
……どこの中年のオッサンよ、あなたは……。というか、その胸の膨らみと、腰のくびれと、丸みのある腰を持ったあなたに言われると、嫌味にしか聞こえないんだけど?
「ん〜? 大きくしたいなら、揉むと良いって聞くわよねぇ?」
ハルヒは相変わらず、にやにやと笑っている。更にハルヒは、指先をクネクネと動かし始めた。
あたしは溜息混じりに、言葉を返す。
「揉もうとするな、人の胸を」
「良いじゃない? 増えることはあっても、減るもんじゃないし」
「いや、そういう問題じゃないでしょが!」
「まあまあ、カタいこと言わずに」
あたしの言葉などなんのその。機敏な動きで、ハルヒはあたしとの間合いを詰めると、あたしの脇の下に手を入れてきた。
「ひゃ、わっ?」
思わず、甲高い声を出してしまうあたし。するとハルヒは言う。
「ん〜? あんた、着痩せするタイプ? 見た目に比べて、結構大きいじゃない?」
自分を卑下することなんかないわよ。そう言って、ハルヒはあたしの胸から手を離した。
そのままハルヒはあたしの横に置いてあった椅子に座った。
ハルヒは言葉を続ける。
「あんたさ、自分が思ってるより、絶対に良い体してるんだから、もっと自信持って良いと思うわよ?」
「そう……かな? まあ、そう言われて、悪い気はしないけど……」
「それに、顔だって良い線いってるわけだし。言い寄ってくる男も多いでしょ、あんた?」
残念ながら、下駄箱に手紙が入っていた経験も無ければ、放課後の校舎裏に呼び出された経験も皆無なんだけど。
「ふーん? ま、良いわ。もし、あんたに言い寄ってくるようなアホがいたら、あんたはそいつを殴っちゃって良いわよ。これ、団長命令だからね?」
そう言って、にんまりとハルヒは微笑んだ。なんとも物騒な話ではあるけど、幸いにして、あたしの拳が血で赤く染まるような事態は多分、これから先、無いだろうから、心配しなくて良いわよ、ハルヒ。
「へぇ? あんた、誰かの彼女になったりとか、しないつもりなんだ?」
「いや、そういうわけでもないんだけど」
「どういうことよ? あ、まさか、あんた……誰か、好きな男でもいるの?」
誰かの彼女になるつもりがない、わけではない、ということが、なぜ、誰か好きな人がいる、ということになるのだろう。ハルヒの脳内で、どのような変換作業が行なわれたのかは、あたしには分からなかったが、まあ、その話は置いておくことにしようかしら。
「いない」と答えても良かったんだけど、普段からハルヒにイジられてばかりいるあたしは、たまには反撃してみるのも良いかもしれない、と思った。
だから、あたしはこう訊き返した。
「いる、って言ったらどうする?」
するとハルヒは少しの間、考え込んでから、言葉を返す。
「あ、分かった! 古泉くんでしょ?」
「残念」
「え? じゃあ、アサリ?」
「違う」
「そうなると……国木田とか?」
「それも違うわね」
少し間を置いてから、ハルヒは言った。
「……あんたが谷口に惚れるようなら、あたしはあんたの趣味を疑うわよ」
「……あたしが谷口に惚れるくらいなら、あたしは首を括った方がマシだと思うけどね」
刹那、えげつないくしゃみが聞こえたような気がした。
ハルヒは言う。
「……他に、誰もいないわよ?」
「……あのさ、ハルヒ。意図的に、一人、除外してない?」
真っ先に名前が挙がるであろう、あの男を、この女は挙げていなかった。
「え? あ、え? まさか、あんた……キョンのことが……?」
そう言いながら、ハルヒの目は驚愕で大きく見開かれた。そんなハルヒに対し、あたしは口元をにやりと歪めつつ「だったら、どうする?」と訊いてみた。
「べ、べつにどうもしないわよ! ただ、他にもマシな男がいるんじゃないかなぁ、とは思うけど! というか、よりにもよって、なんでキョンなのよ?」
あたふたするハルヒは、だんだん顔が真っ赤になっていった。あたしは、にんまりとした笑みを浮かべて「どうしてよ? あたしがキョンのことを好きだったら、何か困ることでもあるの?」と言ってやった。
「い、いや、あたしは困らない……こともないわよ! だって、SOS団は純潔な団体なんだから、色恋うつつといった病原菌を持ち込まれちゃ困るじゃないの! あ、いや、それだと、あたしも何もできないから、困らない方が良いのか、な……?」
困るんだか、困らないんだか。言葉選びに苦労しているハルヒを見ていたあたしは、何だか急に可笑しくなり、思わず笑ってしまった。
「な、なによ、キョン子!」
「いや、ごめんごめん、ハルヒ。ハルヒの驚く顔が余りにも面白くて」
「え?」
「さっき、あたしは言ったわよね? 『いる、って言ったらどうする?』って」
「あ、うん……ん?」
ハルヒは気付いたらしい。あたしは仮定の話をしたのであって、別に本当に好きな男がいる、とは言っていないのである。
ハルヒに鎌を掛けてみたら、どうなるのか。それが気になったあたしは、そんなことを口にしてみたのである。
案の定、ハルヒは引っかかった。墓穴を掘ってしまったハルヒは更に顔を赤らめ、叫ぶ。
「よくも、引っかけたわねぇ!」
「ははは、怒らない、怒らない」
ハルヒを宥めつつも、あたしはここぞとばかりに、ハルヒに切りこんでみた。
「で、ハルヒはキョンのこと、どう思ってるわけ?」
「べ、べつに良いじゃない、あたしがキョンのことをどう思ってようと、あんたに、関係ないじゃない?」
頬を染めたハルヒはそっぽを向いてしまった。あたしはハルヒの顔を覗き込みながら、言葉を続けた。
「教えてくれたっていいじゃない? それこそ、減るもんじゃないわよ?」
「う、うるさいわねっ! あ、あたしは別に、キョンのことなんか……」
真っ赤っかな顔で言われてもね……。それ、暗にキョンが好きだと、言っているように思えなくもないような気がしなくもないわけで……。
照れ隠しで、必死になるハルヒは、その場を取り繕うように「あ、あんたの背中、流してあげるわよ!」と言った。
ほう、珍しいこともあるものね。ハルヒに背中を流してもらえる日が来ようとは。あたしは「じゃ、お願いね」とハルヒに言った。
「ん?」
椅子から立ち上がったハルヒは、そんな声を出した。あたしが振りかえって、ハルヒを見やると、ハルヒは男湯と女湯を仕切る壁に視線を向けていた。
「どうかした、ハルヒ?」
「いや……なーんかね……」
そう言って、ハルヒは蛇口から伸びているゴム製のホースを一瞥し、イタズラを閃いたかのような笑顔を浮かべた。
「えーい……湯気でよく見えん……」
ぼやきながらも、谷口はかれこれ十分以上は壁の穴を覗きこんでいた。体冷やして、風邪ひくぞ、と言ってやった方が良いのかね、とは思いつつ、俺は谷口を無視して体を洗っていた。
「よくやるよな、谷口も」
俺の横にいた海音寺が俺に話しかけてきた。俺は「ああ」と返す。
「谷口は気付かないのかねぇ?」
「何にだよ?」
俺は頭を洗いつつ、海音寺に訊いた。海音寺は背中を手ぬぐいでゴシゴシと擦りながら、言葉を返してきた。
「キョン子がいる、っていうことはだぜ? 涼宮も傍にいるわけだ。そして、涼宮は恐ろしく勘が良いから――」
「どわーっ!」
突然、絶叫が木霊した。俺と海音寺は慌てて振り返る。
蜘蛛の子を散らしたように、谷口達が壁際から逃げた。すると、開けた場所から、谷口達が覗いていたであろう穴が見当たり、その穴から勢いよく水が噴き出していた。
「ま、多分、涼宮が、転がっていたホースかなんかで、穴に水をぶっ放した結果がアレだろうよ」
「なんとも、アホくさい絵面だな……」
俺はそう評して、頭を洗う作業に戻ろうとした。
その時、俺の脳味噌レーダーが「勘が良い」という言葉をキャッチしてしまった。思わず、俺は海音寺の顔を凝視する。そう……勘の良さが原因で、海音寺は顔面を……
「なんだよ? 人の顔をじろじろと」
海音寺はそう言うと、口の端を怪しく歪めた。
「さては、俺のイケメンフェイスにホの字になったか? 悪いけど、俺は男にそんな類の興味はないぞ?」
茶化された、と気づいた俺はしかめっ面になって「バカ言え」と言葉を返しておいた。
しかし……
一体全体、なんなんだ……? 俺はまた、妙な感覚を覚えてしまった。何か、思い出すべきことがあるはずなのに、思い出すことができない。
そういえば……確か、今年の夏休み以前の記憶が、どことなくおかしいことについて、古泉達が調査する、と言っていなかったか? 明日あたり、古泉のどちらか一方を捕まえて、話を聞かなければなるまいな。
そんなことを考えつつ、俺は風呂桶に汲んでおいた湯を頭からかぶった。
修学旅行二日目は大阪城の観光だそうである。
なんでも、この大阪城。崩壊と再建を何度も繰り返しているらしく、現在の大阪城は平成に入ってから再建されたそうである。
つまり、現在の大阪城にはエレベーターが設置されているというわけだ。最初に大阪城を作ったのは豊臣秀吉であり、太閤さんは随分、長生きだったそうで、高齢になってから亡くなったらしい。戦国時代にエレベーターが存在していれば、太閤さんも少しは楽ができただろうに、とかいったことを考えつつ、俺は大阪城や豊臣秀吉に関する話が書かれてあるパンフレットから目を上げた。
俺を真ん中に挟むようにして立っている美男美女コンビにどちらともなく「で?」と話を振った。
「お前ら、確か、夏休み明けくらいに、言ってたよな? 調査をしてみる、って」
「さあ? 何のことでしょうか?」
一姫はそう言って、肩をすくめてみせる。俺は一姫を睨むように見た。
すると、一姫は微笑みながら答える。
「冗談です。ええ、調査しました」
「ついでに言えば、調査は完了しています」
姉の言葉を引き継ぐように、古泉はそう言った。
俺はなんだか、拍子抜けしてしまった。いつもなら、答えが分かるまで、右往左往したり、かなりの時間と労力を要するはずなのに、今回は随分、あっさりと解決したんだな?
俺が尋ねると、一姫は切れ長の目を細めて「言葉が足りなかったようですね」と言った。
「いいですか、キョン君? 私達は、調査は完了した、と言っただけですよ?」
「……おい、完了したのは調べ物だけか?」
「そうなりますね」
そう言って、一姫は、ふっ、と笑った。
やれやれ……と俺は何度吐いたか分からない溜息をまた吐いた。
「まあ良い……。で? ひとまず、調査の結果を聞こうか?」
俺はそう言った。しかし、一姫も、古泉も、柔和な笑みを浮かべて「いいえ、話せません」と言ったのだった。
ツチノコが見つかっちまうくらい、珍しい事が起こったな、これまた。何かにつけて、説明をしたがる性格の持ち主であるはずのこの二人が、俺が説明を求めているにもかかわらず、それを拒否するとは。
「どうして話せない?」
俺が訊くと、一姫は答える。
「というより、我々は、今回の件に関しては、海音寺君に一任しているんです」
「海音寺に?」
「はい」
どういうことだ? 何の後ろ盾も持っていない異世界人よりは、機関というバックを持っている超能力者の方が、仕事が捗りそうなものだが。
「いえいえ……これは、そういう類の話ではなかったんです」
そう言ったのは古泉である。「というより、むしろ、僕達は、こう考えているくらいなんですよ」
「なんだ?」
「あなたはもう既に、答えを知っているはずなんです。今回のカラクリに関して、全てをね」
「そんなことを言われても……俺には皆目見当がつかないんだが……」
俺の言葉に対し、今度は一姫が答える。
「ですから、それも含めて、我々は海音寺君に一任しているのです。あなたは、海音寺君を信じてください」
海音寺を信じろ、か。
夏休み明けから、俺が、ずっと感じてきた違和感の正体。それを解き明かすカギを海音寺が握っているというのなら、海音寺を問い詰めるしかなさそうである。
その後、二日目の行動予定も、何の問題もなく順調に進んでいき、つつがなく終了した。再び、俺達は宿へと戻り、そこで俺は海音寺にことの顛末を根掘り葉掘り聞き出そうとしたんだが……
「ま、明日を楽しみにしてろ」
海音寺は、谷口ばりのニヤケ面をしながら、そんな言葉を俺に寄こすばかりで、ちっとも話が前進しなかった。
いや、実際は……前進していた、のかもしれない。なにせ俺は翌日、全てを知らされたのだから。
そしておそらく……この修学旅行の三日目は、俺の人生で、最も長い一日になるかもしれないほど、密度の濃い日になるのであった。それすなわち、半端じゃない精神疲労が蓄積する日、ということである。
誰か、心に効く湿布を開発してくれ、と俺は半ば本気で考えたくらいなのだから。