とある禁書の短編目録

とある聖夜の護謨物語 ‐ ラバーズ

 十二月二十四日。
 十七時十二分。
 上条当麻は自分の部屋のベッドに寝転がりながら、携帯電話を弄っていた。
 メールボックスを開き、先日、御坂美琴から届いたメールを読み返していた。
『いつもの公園の自販機の前に待ち合わせしましょ。時間は夕方の五時ってことで』
 読み終えてから、上条は溜息を吐いた。
 クリスマス。
 夕方の五時。
 外は暗いので、光という光が洪水のように溢れかえる。
 そして男女のコンビネーションも溢れかえる。
 そんな場所に呼び出され、自分はいったい、美琴に何をやらされるのだろう……?
 まだ“明日”のことであるはずなのに、今から上条は“二四時間後”の自分をまったくもって想像することができず戦々恐々としていた。
 お転婆、という単語一つで片付けることができそうにない、暴れ馬のような不良少女のことだ。いったい、どんな罰ゲームを考えていることやら……。
 カエルの足に電極を刺し、そこへ電流を流すことで、カエルの足をヒクヒクと動かす、という実験がある。
 自分も実験動物のカエルのように、足に電気を流されたりするのだろうか?
 上条が美琴の電撃を無効化できるのは、右手に宿る幻想殺しに頼るところが大きい。逆に言えば、右手以外では彼女の電撃を防ぐことはできず、足に電撃を食らえば、本当にカエルのように足をヒクヒクと動かしてしまうかもしれない。
 もし、そんなことになってしまえば、いろいろとシャレにならない気がした上条は、ブルブルと体を震わせ始めた。
「そ……それは、ヤバい。年を越せるかどうか不安になるくらいには、ヤバい……」
 その時、上条の頭に妙案が浮かんだ。
「待てよ? 確か、ゴム製品って、電気とかを通さないって話じゃなかったっけ?」
 ゴムで作られたズボンとかがあれば、それを身につけておくだけで、美琴の電撃から足を守ることができるのでは? と思った上条は、口の端をニヤリと歪めた。
「なーっはっはっは! そうかそうか、その手があったか! よーし、それじゃ、さっそくゴム製のズボンを……っていうか、そんなもん、俺、持ってないよな?」
 どっか取り扱ってる店とか無いかなぁ、と思った上条は、ひとまず、知人に協力を仰いでみることにした。
 携帯電話を操作し、上条は土御門元春に電話を掛ける。
『もしもし? なんか用事かにゃー、カミやん?』
「あー、土御門? 実は、ちょっと聞きたいことがあってさ」
『何だにゃー?』
「いやさー“下半身に装着できるゴム”みたいなのって、どこで売ってるか、お前知ってる?」
 ほんの数秒、沈黙が流れる。その後――
『イヤミか、ボケェ! 薬局にでも行ってきやがれ!』
 と、ハンズフリーモードでもないのに、携帯から土御門の叫びが木霊する。
 叫ぶだけ叫んで、土御門は一方的に電話を切ってしまった。
 何故、土御門に怒鳴られたのか。その理由に皆目、見当が付かない上条は「あれー? 俺、なんか変なこと言ったっけ?」と首を傾げていた。
「んー? 電撃使いの御坂の名前を出した方が、良かったのかな?」
 電撃使い、という単語を出せば、電撃を防ぐためにゴムを使う、という発想をしてくれるかもしれない、と上条は考えた。
 しかし、一度、怒鳴られてしまったのだから、しばらくの間、土御門に電話する気にはなれず、別のヤツに電話してみるか、と上条は思った。
 上条の求めているゴム製品が本当に薬局に売っているとは思えず、半信半疑だったため、今度は青髪ピアスに電話をして、確認してみることにした。
「もしもし、青ピか?」
『そうやで。なに? どないしたん?』
「いや、俺、明日さー、御坂と会う約束してるんだよ、ホラ、電撃使いの」
『……ふーん? 自慢話かいな?』
「いや、そうじゃなくて、ちょっと相談したいことがあってさ」
『相談?』
 電話の向こうで、きょとんとした声になる青髪ピアスは『なに、なんか困ったことでもあるん?』とこちらを気遣うような様子だった。
「ああ。実は“下半身に装着できるゴム”を探してるんだけど、どこで売ってるか――」
『やっぱり自慢話やないかい! 薬局行けや、クソ野郎!』
 上条に皆まで言わせず、青髪ピアスは怒鳴ってきた。
 ツーツーツーと乾いた音を響かせる携帯をパタンと折りたたみ、上条は再び首を捻る。
「俺、どうしてこんなに怒られてるんだろうな?」
 “下半身に装着できる”という言葉に、そもそも語弊があるのだが、そこには気付かない上条は、やっぱり馬鹿であった。
 もしかすると、カエルの実験云々、の話を盛り込むべきだったのかもしれない、と思った上条は最後の一人に電話してみることにする。
 携帯電話に登録してある電話番号から『一方通行』の項目を選び出し、上条は電話を掛けた。
「もしもし?」
『薬局行けェ』
 平べったい声でそれだけを言われ、通話は途切れた。
 目を二度、しばたたいてから、上条は「俺、何も言ってないんだけど……」と誰に向かって言うわけでもなく、呟いた。
 あの三人、一緒にいたのかな、と考えつつ、上条はベッドから立ち上がる。
 ひとまず、上条の探している“ゴム製品”は、どうやら、本当に薬局にあるらしい。
 そんな便利なズボンを、ドラッグストアが取り扱う時代が来たんだなぁ、と何故か感慨深くなる上条は、どこまでも馬鹿であった。
「ひょっとして、冬場の保温や保湿の効果にそういうゴムを使うのかな?」
 それなら、薬局に置いてあるのも頷けるなぁ、とか考えている上条は、もはや歪みねぇ馬鹿野郎だった。



「遅い……」
 公園の自販機の前で、御坂美琴は立っていた。より正確に言うなれば上条を待っていた。
 今日はクリスマス・イブ。俗に言う聖夜である。
 今日の午後五時に、公園で待ち合わせをしよう、と上条にメールをしておいたのだが……その上条は一向に現れる気配がない。
 また何かの事件に巻き込まれたのか、と考えてしまう自分は心配性なのだろうか。美琴は数度首を横に振り、あんなヤツの心配なんて誰がするもんか、と自分に言い聞かせつつも、やっぱり心配になってきた美琴は携帯電話を取りだした。
 メールを送っても、気付いてもらえない可能性がある。ここは電話を掛けるべき、と判断した美琴は上条の電話番号を選択する。
 三回呼び出し音を鳴らした後、向こうから『はい』と応答があった。
「アンタ、今、どこにいるの?」
『え? どこって、薬局』
「薬局? なに、アンタ、風邪でもひいたの?」
『いや』
「じゃ、怪我でもした?」
『いいや』
 美琴は目をすっと細めて、上条に尋ねた。
「……じゃ、なんで、薬局なんかに用事があるのよ?」
『え? なんでって……ちょっと“ゴム”探してるんだよ』
 ゴム、という単語に、美琴の心臓がドクンと跳ねる。
 薬局でゴムを探している、ということは“例のゴム”ということ以外に考えられることはなく……気付けば美琴は「ば、バカっ!」と叫んでいた。
『え?』
「な、何考えてんのよ、アンタ!?」
『何って……んー? 説明するの、なんだか面倒だな……』
 美琴に話したくない、ということだろうか。まさか、上条には既に他の女の子がいる、ということ……?
「いや、そこはキッチリと説明してもわうわよ!?」
 こういうことはうやむやにはしたくない。
 上条に気がある女の子は、本人の自覚が薄いだけで、相当な数に上る。逆に言えば、本人が気付いてしまえば、彼の周りにはたくさんの女の子がいる、ということであり……時期が時期なのだから、上条に思いを告げた女の子がいたとしてもおかしくはない。
 上条のことだ。二つ返事で了承し、その女の子と“そんな関係”になってしまうのは、美琴にとってもの凄く腹立たしいことだったし、何より……悲しいことだった。
 何故、自分がこんな気持ちになるのか、というところにはまるで頓着していなかった美琴ではあったが、ひとまず、美琴は上条に「その、ゴムって、誰が使うのよ?」と尋ねてみた。
『いや、俺が使うんだけど?』
 そりゃ、自分の使う物なのだから、自分が買いに行くのは当然、か、と美琴は思った。知人に買い物を頼まれた、というわけではなさそうである。
 次に、美琴は核心に迫る質問をする。
「じゃ、じゃあ……そのゴムって“誰を相手”に使うつもり?」
『……えーと、言わないとダメか、コレって?』
「ダメ」
 即答してやった。しばらく沈黙があり、それから上条は溜息を吐いた。
『なんか嫌だなぁ……下手なこと言うと、お前、怒りそうだし……』
「これ以上、私を怒らせたい?」
 少し脅してやると、上条は顔を青くしたらしい。
『わ、わかった! 言う、言うから!』
「それで、誰に使うの?」
『いや、その……まぁ、お前に……』
「……え?」
 先程とは違う類の衝撃が美琴に襲いかかった。
 確かに、他の女の子を相手にしてソレを使うことを、美琴は辛いと感じた。
 しかし、いざ自分にソレを使うことを聞いてしまえば、それはそれで平静でいられそうにない。
「ちょ、ちょっと待ってよ! あ、アンタ、ソレ、本当に私に対して使うつもりなの!?」
『ああ』
 一度、白状してしまえば、躊躇というものはなくなるらしい。上条は淡々とした声で肯定した。
「い、いや、ま、待って待って! わ、私とアンタとじゃ、まだ、そういうのは早いというか……」
『早い? んー……そうかぁ?』
 疑うような声音だった。
『いや、改めて考えてみると……むしろ、遅いくらいじゃねーか、と思うんだけど』
 その時、美琴の呼吸が止まった。息をするのも忘れ、美琴は上条の言葉を聞く。
『そろそろ俺も、そういうゴムとか使わないと“色々と我慢”できなくなりそうっていうか? まぁ、そんな感じ』
 いったい何が我慢できないのだろう、とは思ったが、口にする勇気を美琴は持ち合わせていなかった。
『というか、御坂が俺の体を気遣ってくれれば良いだけなんだけどな、そもそも』
「ば、バカ言わないでよ!? むしろ、この場合、アンタが私の体を気遣うべきでしょうが!」
『……どうして?』
 本当に理由が分かってなさそうな声だった。この男はどこまで鈍感なのだろう、と美琴はそろそろ呆れてきた。
「ど、どうしてって……“普通”は、そういうもんでしょっ!?」
 何を基準に普通なのだろう、と美琴が思ったのはそれを口走った後だった。
 自分でも何を言っているのか、何が言いたいのか、段々と分からなくなってきた美琴であった。
『普通もへったくれもあるかよ。そもそも普段から“攻め”てるのって、お前のほうじゃん?』
「せ、攻めた!? 私が? 攻めたことなんて無いわよ、いまだかつて!?」
 混乱の極みである。
『うそつけ。一晩中攻めてきやがったことも一度や二度じゃないだろ? おかげで寝ずに学校行ったこともあるんだぞ、こっちは』
 そんなに激しい夜を過ごしたことは……無かったはずである。少なくとも、美琴が覚えている限り、では。
 上条が記憶喪失、ということは知っている。だから、自分だけが覚えていて、上条が覚えていない、ということは理解できる。
 ところが、その逆は理解できない。上条が覚えていて、自分が覚えていない、というこの状況。
 記憶を失うほどに激しかった、ということだろうか……? 想像した途端、美琴の顔は一気に朱に染まる。
 いやいやいや、ありえない、それはいくらなんでもありえないから、と美琴は必死に否定した。
「わ、私は、そんな、アンタはおろか、誰に対しても、攻めたことなんて、な、な、無いんだからねっ!?」
『ん? そこらの不良を十人ほど相手にするのとか、いつものことじゃね?』
「するかっ!! 私はそこまで尻軽じゃないわよっ!!」
 肩で息をするほどに、盛大にツッコミを入れてやる。
 少しの間、両者の間に妙な沈黙が流れる。
 なんとも言えない、気まずい沈黙が場を塗り固めていく。
 居心地の悪くなりそうな静寂に耐えきれず、美琴は「あ、アンタ、その薬局の場所、教えなさい!」と叫んでいた。
『え? 良いけど、教えてどーすんの?』
「良いから!」
 美琴が急かすと、上条は、とあるドラッグストアの名前を出してきた。そこなら、美琴のいる公園から、そう遠くない場所にある。
「そこに待ってなさいよ!」
 それだけを通話口に吹き込むと、美琴は上条の返事を待たずに電話を切った。
 とりあえず、直接会って、上条のことをぶっ飛ばしてやらないことには、この恥ずかしい気持ちは収まりそうにない美琴であった。



 上条は首を傾げていた。
「なんで御坂にまで怒られてるんだろ?」
 土御門、青髪ピアス、一方通行に続き、美琴にまで怒鳴られるとは。
 やっぱり“ゴム製のズボンでビリビリな罰ゲームを回避する”というセコいやり方の話を美琴にしたのはマズかったかなぁ、と上条は見当違いなことを考えていた。
「でも、そうしないと、俺の体が持たないと思うんだけどな……」
 レベル5クラスの電撃を足に食らって、我慢強く耐える自信などない。
 だからこそ、上条はこうして、土御門一同の言葉を信じて、薬局で“ゴム製ズボン”を探していた。しかし、いくら探しても見つからず、土御門たちに訊いた時と似たような説明の仕方で、薬局の店員に訊いてみた。
 すると、その店員さんは、妙に含みのある笑い方をしてから、コンドームを上条に渡してきた。
 上条は思う。
 こんなもので、美琴の電撃から身を守れるのか、と。
 いくらここが学園都市とはいえ、電撃使いから身を守るためのズボンなるものは開発されていないのかなぁ、と思った上条は嘆息した。
「どうしよう……こんなんで、大丈夫なのか?」
 野球とかでは、股間を防護するプロテクターがあることは知っている。それと同じで、大事なところさえ守れれば問題はない、ということなのだろうか?
 何か根本的なところを勘違いしているらしい上条は、そういや美琴は、そもそも何の用事で電話してきたんだろうな、と疑問を感じた。
 まぁ、ここに来るというのだから、その時に聞き出せばいいか、と結論づけつつ、上条は空を見上げた。
 日の暮れつつある空には、どんよりとした雲が広がっていた。
「……雪でも降るのかなぁ?」
 視線を元の高さに戻すと、視界の端に美琴の姿が映る。
 おー、こっちこっち、と上条が声を掛けるよりも先に、美琴の額から電撃が飛んできたのは、言うまでもないことだった。
 今夜はクリスマス・イブ。
 クリスマスへと続く夜の始まりは、上条の絶叫で幕を開けた。