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白百合の癌 ‐ Scene 1

 白百合学園の文化祭は毎年、二月に行なわれており、二月祭の通称で親しまれている。
 資金潤沢な学園であったため、昔は、秋にも文化祭があり、白百合学園は毎年、二度の文化祭を開いていた。ところが、年に二度も文化祭を開くことが経営の圧迫に繋がったため、数年前から文化祭の片方を取りやめることになった。
 秋の文化祭を残すことなく、二月の文化祭を存続させようとしたのは、白百合学園において、二月のイベント、というのが大きな意味を持っていたからである。
「新しく三年生になる現二年生に、イベントを通してリーダーシップを学ばせる」というのも理由の一つであったが、それはどちらかと言えば建前に過ぎず、本音は「入試直後なので、受験料で懐が潤っている内にイベントを開いた方が、秋にイベントを開くよりも、豪華なものにできるし、それによって、外から見物に来る人間に対して見栄も張れて好都合」というものだった。気持ちは分からなくもないけど、どことなく下世話な気もするわね、と西園寺美咲は思った。
 尤も、文化祭に使える資金が潤沢なのは間違いではない。それによる恩恵を最も受けることができるのは、他でもない、白百合学園の生徒達なのだから、下世話な話とやらに文句をつける生徒もいなかった。
 その二月祭も、いよいよ明日に迫ってきていた。最後の準備に奔走しているクラブやサークルといった面々が醸し出す喧噪が、日が暮れて薄暗い校舎を賑わせていたのだった。
 そんな中、美咲は後輩達の様子を見に、生徒会室を訪れていた。
 現会長、桐原綾華に会長職を譲る前は、美咲がこの学校の生徒会長だったため、生徒会のほとんどの人間と美咲は面識があった。
 そのため、会長の代が変わったにもかかわらず、美咲は新しい生徒会の役員とも気兼ねなく会話ができていたのであった。
「いよいよ明日ね」
 何気なく美咲は呟いた。すると、椅子に腰掛けていた綾華は「ですね」と相槌を打った。
「どう、綾華?」
「どう、とは?」
「学校を代表するリーダーに就任した上での、二月祭への意気込みはどう、ってことよ」
「どうも何も……絶対に成功させてみせます」
 強気な声で綾華はそう言った。頼もしい限りだが、少し、肩肘を張りすぎているようにも、美咲には思えた。まあ、完璧主義な綾華らしいセリフだと言えば、そうなのだが。
「ところで、美咲先輩。大学受験真っ直中のはずでは? こんなところでのんびりとしていて良いんですか?」
「あら? 言ってなかったっけ? 私、推薦もらったから、大学はもう決まっちゃって、むしろ、今は暇なのよ」
「それじゃ、四月になって大学に行くまで、ずっと暇なんですか、先輩は?」
「ま、そんなところ。おかげで、うちの親も肩の荷が下りたらしくてね。来なくて良いのに、二月祭に来るとか言い出してさ」
「親? ……ということは、西園寺市長が来るんですか、ここに?」
「うん」
 事も無げに美咲は首肯した。しかし、それは綾華にとっては違ったらしく「大変だわ……」と言った。
「何がよ?」
「拠点都市の市長が動くということは、警備体制を盤石にしておかなければならないということでしょう? どうして、もっと早くに言ってくれなかったんですか、先輩?」
「いや、そんな、大層なことでもないし……。だいたい、あの人、昨日の夜に、ふと思いついたみたいな口調で私に言ったし。ま、警備体制がどうの、とかいう話なら、あの人が自分でどうにかするんじゃないかな?」
「そうも行きませんよ。参ったわ……」
 いよいよ頭を抱え始めた綾華に対し、美咲は溜息を一つ吐く。
 そんなに、大層な人間なのだろうか? 拠点都市の市長というやつは。
 いまいち、ピンと来ない美咲が首を傾げていた時だった。部屋の扉が開き、六木本劾が生徒会室に入ってきた。
 劾は美咲の顔を見て、目を丸くした。
「おや、先輩じゃないですか? 来てたんですね」
「久しぶりね、むぎもん。ちょっとお邪魔してるわよ」
「六木本、ちょっと来い。話がある」
 美咲と劾の会話に、綾華が割って入った。劾は「なんです、会長」と返しつつ、綾華に近寄った。
「明日からの二月祭に、市長が見物にくるそうだ」
「市長が? そんな話は初耳ですが……」
「私だって今、知った。しかし、不幸中の幸いとも言える。知りませんでした、で済ませられることではないのだから、対策を練るぞ」
「対策? と言いますと、どんな?」
「警護班を臨時に編成しようと思う。陣頭指揮は、六木本、お前が執れ」
「そりゃ、構いませんが……警護班のメンツはどうするんです? まさか、俺一人で、ヤマシロ市長の近辺をお守りしろってわけじゃないですよね?」
「美咲先輩の話では、市長本人の警備は、あっちでどうにかするらしい。私が問題にしたいのは『市長が、何か厄介ごとを学園何持ち込む可能性』だ」
「それはつまり、市長の命を狙ってる連中が、この学校に乗り込んできて、学校の中で騒ぎを起こす可能性ってことですか?」
 そんなことがあるわけないだろう、とでも言いたげな顔をした劾に対し、綾華は真面目な表情で答える。
「その可能性も考慮しておいた方が良いだろう。校門付近の詰め所にも、学園の警備員はいるし、彼らにも協力は仰ぐが……こちらでもできることはしておきたい。お前の周りで頼りになりそうなやつはいるか?」
「銃の扱いに慣れている、という意味では、射撃科を受講している連中を招集すれば良いだけですが、それだけですよ。どだい、自分の身を守るだけで手一杯なのに、学校全体を守れ、っていうのが無茶な話ではないかと」
「だが、何かできることがあるのに、何もしないというのも、な。いよいよどうしようもなくなれば、対テロ部隊にでも泣きつくしかないだろうし、有事の際には迅速な対応ができるようにマニュアルは作っておくべきだろう。六木本、お前は腕っこきを集めて、話をつけておけ。私は今から、緊急時のマニュアルを作成する」
 気負うそぶりを隠そうともせず綾華は指示を飛ばした。それを受けた劾は「承知しました」と言って、部屋から出ていった。
 熱を帯び始めた生徒会室で、美咲は綾華に言う。
「あのさ、私も、なんか手伝おうか?」
「いえ、美咲先輩は引退した身です。ここは私に任せて、明日の二月祭を楽しむことだけを考えてください」
 突き放すような言葉であるはずなのに、不思議と、除け者にされた感じがしない。先輩の手を煩わせたくない、という綾華の心遣いなのだろうが、美咲からすれば、水くさいことでもあったし、頼れる後輩の姿を誇らしく思う気持ちもあった。
 でも……と美咲は思う。綾華は少し、頑張りすぎている気がする。周りが支えてくれるから、綾華は踏ん張れるのだろうが、その支えが消えてしまえば……。
 何故かこの時、美咲は妙な危機感を覚えていたのであった。



 レッドフェザーの移動作戦本部として機能する四トントラックの荷台には、通信設備一式のほかに、兵員輸送室として何脚かの長椅子が置かれていた。無駄を徹底的に削ぎ落とした実用一点張りの内装からは無骨な印象を受ける。
 ところが、その割にはトラックの荷台側面の塗装は、随分と派手なものだった。本来、どこぞの会社名なり、企業のロゴなりを描き、宣伝を兼ねるのだろう、トラックの側面が、今は――
「……誰の趣味だ、これは?」
 可愛らしい女の子の顔が一面に描かれているトラックの側面を見て、東条一機は一人、呟いた。
 痛車、という言葉がある。それと同時に、デコトラ、という言葉も存在する。片や、車に痛々しい絵を描くことを指し、片や、トラックを装飾することを指す。痛々しいか、禍々しいかの差異こそあれ、「目立つ車」という観点ではどちらにも違いはなく、眼前にあるこれは、さしずめイタトラ、といったところか。
 荷台の中で息を潜めている、無骨で屈強で、底光りする目をした男たちと比べると、外側の塗装は余りにも華やかだった。
「どう? このトラックの絵」
 一機の傍らに近寄って、赤羽はそう言った。一機は「外面と内面が、ちぐはぐすぎないか?」と答える。
「だいたい、こんな華のある絵をコンテナに描いておいて、どうするつもりだ? こんな車で公道を走れば、嫌でも目立つ。今回の作戦では隠密に行動したいのに、これでは逆効果だろう」
「目立つっていうのは、悪いことばかりでもないわよ? 時には、人に間違った認識を植え付けることにもつながってくれるから」
「……というと?」
「ま、それは、実際に必要になったときのお楽しみ、ということで。敵を欺くにはまず味方から、と言うでしょ?」
 そう言って、いかつい風貌をにやりと歪めた赤羽だった。意味ありげな言い方をするからには、この目立つ女の子の顔が描かれた塗装にも、なにか意味があるのだろう。なにかしらの理由があるのなら、別にかまわないか、と一機は判断した。
 今次作戦では、移動作戦本部こと、四トントラックは二台使用する。そのうち、本当の意味で作戦本部として機能するのは一台だけであり、残りの一台は、トラック本来の役割である「輸送」を行なう予定になっている。すなわち、兵員の輸送、だった。
 また、レッドフェザーは今回、部隊のメンバーの中から、精鋭を選抜し、それらを四班に分割している。四つの班のうち、実際に行動するのは三つの班であり、残った一つの班は、三つの班を統括する役割を担わされていた。移動作戦本部に詰め、作戦の統括を行なうのが、第一班ことインデックス隊だった。インデックス隊の隊長を赤羽が務め、副長をガルマンが務める。また、インデックス隊は、移動作戦本部の“移動”をも担っており、インデックス3、インデックス5のコールサインを与えられた両名は、トラックの運転手として作戦に参加することとなっていた。同時に、全ての班員に指示を飛ばすためには、通信士の存在が必要であり、それをインデックス4と呼ばれた男が担当することになっている。
 他にも、作戦行動中に、白百合学園の外周を警戒するジャジメント隊や、白百合学園の中で待機し、有事にはひと暴れして、撤収のための陽動の任を与えられているブレイカー隊などの班があった。
 そして、最も重要なのが作戦の根幹にもかかわっている「織宮麗の捜索と拉致」を担当する班である。その班は、レールガン隊と名付けられており、そこの隊長に一機は納まっていたのであった。
 武器と弾薬を確保するために、織宮麗を拉致するのが、今回の作戦である。逆に言えば、満足な武器も、弾薬も、一機たちの手元にはなかった。なけなしの武装しか持っていない以上、戦闘になれば、勝ち目はない。理想は、誰にも見つからずに学園に潜入し、誰にも見つからずに織宮麗を拘束し、誰にも見つからずに織宮麗を学園の外へと連れ出すことだ。
 しかし、そうそう都合よく作戦が展開できるとは、一機とて考えていない。しかし、作戦に失敗すれば、もう後はない。
 だからこそ、一機は気を引き締めて、トラックの荷台へと乗り込んだ。



「は?」
 羽住悠奈の言ったことを理解できなかった神坂潤は口をあんぐりと開けた。
 一方、悠奈は、物分かりの悪い潤に対し苛立ちを隠そうともせず、
「あんた、自分の顔を鏡でよーく見てみなさい!」
「毎朝、顔洗うときに見てるよ。で?」
「あんた、そんだけ、プリティフェイスしといて、裏方作業でこじんまりしているつもりなの?」
「いや、意味が分からないって……。だいたい、ぼく、裏で良いよ、ほんとに。悠ねえの手伝いをしないと、悠ねえの負担が増えちゃうし」
「そんなもん、人柱代わりの世田谷にでも任せなさいよ。あんたはあんたで、役目があるでしょ?」
「役目って……どんな?」
「だーかーら! “ウェイトレス”をやりなさい、って言ってるの!」
「……は?」
 そこで、話はまたもや振り出しに戻る。
 ウェイターをしろ、というのならまだ分かる。しかし、仮にも男であるのに、ウェイトレスをやれ、というのは、どういう意味なのだろうか、と訝しんでいる潤は首を傾げた。
「あー、もう! 説明すんの、もうめんどくさいわ。あんた、黙って、コレに着替えなさい」
 そう言って悠奈が取り出したのは、彼女たちが着る予定になっている、ウェイトレスの衣装だった。
「……なんで?」
 何故、自分がそんなものを着なければならないのだろうか。素朴な疑問をぶつけた潤だったが、悠奈は潤の眼前にずずいっと顔を近づけてきた。
 低い声で、悠奈は言う。
「あたし、結衣、そして永久ちゃんの三人だけじゃ、駒が足りないの。分かる?」
「何の駒が?」
「男を釣るための、美少女の駒が、よ!」
 自分でそれを言うか、と思った潤だったが、口にはしないでおいた。潤の鼻先にまで顔を近づけてきている悠奈に潤は言う。
「……男が男を釣り上げてどうすんのさ?」
「儲けるため、ってのが理由よ。あ、そうそう! ホモにお尻の穴を狙われる可能性は無いから安心していいわよ?」
「何を根拠に安心しろと?」
「だって、あんた、女装したら女の子にしか見えないでしょ? 女の子目当てで男がやって来てもそりゃ、女の子目当てなんだから、ゲイが来るわけじゃないし」
「ふーん、なら、大丈夫だね……って、言うわけないだろ!」
 潤は吠えるように言った。
「だから、女装するなんて、嫌なんだって!」
 こっちにも、男としてのプライドというものがある。そう思い、潤はそう叫んだのだったが、悠奈は取り合おうとはせず、
「二月祭のためよ! 四の五の言わずに、これを着なさい! ほら、行くわよ!」
 潤に叫び返した悠奈は、潤の手を引っ掴むと教室を飛び出した。



 剣道部が押さえておいたらしい、喫茶店として使う教室の一角。そこで、あれよあれよという間に、悠奈によってウェイトレスの衣装を着せられた潤は、しょんぼりとして椅子に座っていた。
「エクステとか付けたら、もっと可愛さが引き立ちそうね。付ける、潤?」
「だから、こんなことやりたくないって、言ってるのに……」
 そんな潤と悠奈を取り囲むようにして、既にウェイトレスの衣装に着替え終わっていた御浜、悠里、永久は潤の様子を眺めていた。
 御浜は「あれまー、潤ちゃん、可愛くなっちゃったね」とのんきな感想を漏らしていたし、永久は潤の変貌ぶりに、ぽかんと口を開けていたし、家庭科部における最後の良心であるはずの悠里までもが「エクステだったら、ツインテールとか、どう?」と悠奈を増長させるようなことを言っている。
 もはや、自分の味方などいまい。そう思った潤は、何度吐いたか分からない溜息をまた吐いた。
「うーん……ツインテも悪くないけど、それだと、あたしと似たような髪型になっちゃうし」
「あー、それは確かに。じゃ、ポニーテールとかは? 潤くんには似合いそうだけど」
 悠奈に更なる提案をした悠里。すると永久が口を開いた。
「でも、ポニテは私と被っちゃいますよ?」
「じゃ、もう、ポニテとツインテ、両方やっちゃう? 名付けて、トライテール! どう、このネーミング?」
「……ぼくに、拒否権は……ないの? ないよね、ないよな……はぁ……」
 もはや、悠奈になされるがままの潤には、返す言葉も無かった。気付けば、悠奈によってエクステを装着され、ツインテール神坂が誕生していたのであった。
「あれ? 三本目のエクステ、どこだっけ? ま、無いなら無いでしょうがないか。潤、悪いけど、今日はツインテで我慢しといてね」
 何を我慢しろと? そう言いたいの堪え、潤は鏡に映った自分の姿を見る。
 女装してまで客寄せをする意味などあるのだろうか、と思った潤だったが、悠奈がやれ、と言った以上は、意味の有無にかかわらず、やらなければならないのだ。悠奈は一度決めたら何が起こっても貫き通す性格をしている。そのため、悠奈の意見をねじ曲げることなど、未だかつて、潤にはできた試しなどない。
 その時、教室の扉が開いた。潤がそちらを見やると、生徒会長の桐原綾華が立っていた。
 綾華はこちらに近づき、一同の輪の中に入ってくると、皆を見回した。
「うんうん、みんな、似合ってるわね。悠里とか、特に」
 満足そうな顔になって、綾華はそう言った。確か、このウェイトレスの衣装は、綾華が用意したものだったはずである。薄緑と白のチェックの柄の衣装は、派手さも無ければ、地味すぎることもなく、ほどよい落ち着きを感じさせる色合いをしていた。自己主張の強い悠奈にも、おとなしい性格の悠里にも、似合っているのだから、この衣装を選定してきた綾華の目はなかなかのものだと言える。
 ふと綾華の視線がこちらに向いた。目を丸くした後、綾華は言う。
「おや? こんな可愛らしいお嬢さんは見かけたことがないわね?」
「あ、ぼくですよ、かいちょ――」
「ぼく? ふむ、君は“ボクっ娘”なのか? それも、萌ポイントの一つではあるな……というか、辛抱たまらん!」
 謎のコメントを言うだけ言った後、綾華はすさまじい勢いで潤に抱きついてきた。咄嗟のことで、潤は綾華の突撃をかわすことができず、潤の顔は綾華の胸に埋まっていた。
「ちょ、会長さん?」
「あー、もう、この子、可愛すぎる! ぎゅーって抱きしめたくなるじゃない!」
 もう既に抱きしめている綾華だったが。
 そのまま綾華は潤の髪型を見て、感想を述べた。
「ふむぅ? ツインテールも悪くはないけど、三つ編みにしてみるのも、それはそれで新しいキャラが確立できて、可愛さが二割増しになるかもしれないわね」
「あ、いいわね、それ! あとでやってみようっと」
 綾華の言葉に悠奈は追従する。というか、誰かぼくを助けろよ、という潤の願いは、所詮願いに過ぎず、誰にも届くことはなかった。
(それにしても……会長さん“すごく大きい”です……)
 普段、巨乳の悠里と並んで立っていることが多い綾華は、胸のサイズがそれほど目立っていない。しかし、こうして、綾華の胸に埋もれてしまった今だからこそ分かるのだが、悠里ほどではないにしろ、綾華も結構、胸が大きいようで、おまけにそれが何とも言えない柔らかさで――
(って、こんな時にぼくは何を考えてるんだろう……?)
 息苦しさのために、遠くなりかけた意識の底で、潤はそんなことを思ったのだった。
 その時、潤の頭に付いていたエクステが外れてしまう。その瞬間をまともに見てしまったらしい綾華は「おや?」と呟くと、潤の顔をまじまじと見つめてきた。
「かっ……神坂ぁ?」
 驚いた綾華はそう言い残すと、立ちくらみを起こした。



 白百合学園の校門へと続いている道と平行している裏路地がある。そこへ入り込んだ二台のトラックは、やがて停車した。
 荷台のシャッターが開き、そこから数十人の男たちが降りてくる。そのうちの半分は表通りへと戻り、白百合学園の正門へと向かった。残りの半分はそのまま裏路地を進み、白百合学園の裏口へと向かう。
 表通りを歩くのは、外周を警戒するジャジメント隊の半数と、ブレイカー隊の面々だった。一機は、残りのジャジメント隊と、自身が隊長を務めるレールガン隊を率いて裏路地を歩く。
 有事の際にはすぐに使えるよう、懐のグロックを確認しつつ、油断なく周囲に視線をめぐらせる。
「今のところ、異常はナシ、か……」
 一機は呟いた。その声を口元の無線機が拾ったのだろう。耳元の小型受信機から『油断は禁物よ』という赤羽の硬い声が聞こえた。
 レッドフェザーの隊員たちは――トラック内で待機しているインデックス隊を除き――顎に絆創膏を貼ってある。全員が全員、顎を怪我している、というわけではなく、絆創膏のガーゼの部分に小型の送信用無線機を仕込んであった。そのため、傍目には顎を怪我しているようにしか見えない、という寸法だった。
 また、耳の裏には小さな受信用無線機を貼り付けている。こちらも、先ほどの絆創膏型の無線機と同じく小型のもので、やはり、髪の毛に隠れるような格好になっているため、注視されなければ、気付かれないものとなっていた。
 通信手段を確立しているにもかかわらず、仰々しい要素が何一つ見当たらないレッドフェザーの面々は、白百合学園の二月祭に“客”としてやってきたことを装って、学園の中へと侵入していった。
 あたかも、正常な細胞に混ざりこんでしまった、癌細胞のように……



「まさか……私ともあろう人間が、男にべったりと抱きついていたなんて……」
 綾華は生徒会長の机に突っ伏していた。なにやらショックから立ち直れない様子の綾華をちらりと窺いつつ、美咲は言った。
「あのさ、むぎもん。綾華、なんかあったの?」
「ほっといてやってください、先輩。しばらく静かで、ちょうど良いんじゃないですか」
「ま、それもそうね。どうせまた、綾華の“病気”が発作を起こしたんでしょ?」
「良くおわかりで。まさしく、その通りです」
 美咲に同意した劾は、そういえば、と話題を換える。
「市長はいつごろ、ここにいらっしゃるんですか?」
「さぁ? いつここに来るのかと言われても、私にはわかんないところでね」
「市長が来る? そりゃ、本当かい?」
 生徒会室の扉を開けたままの姿勢で、風原透真が尋ねかけてきた。そちらに顔を向けた劾は「ええ、本当ですよ、先生」と返した。
「……本当なんだね?」
「ええ。ですよね、先輩?」
 劾は美咲の方に顔を戻し、確認を取った。美咲は風原に「はい、父は二月祭に来る、と言ってましたけど」と言った。
「それが、どうかしたんですか、風原先生?」
 美咲は訊いた。しかし、それに風原は答えず「そうか……それだ」と呟いた。
「何が、それ、なんです?」
 今度は劾が風原に尋ねた。すると、風原は劾と美咲の目を見て、言った。
「ここに、ゲリラがやってくる」
「ゲリラ?」
 胡散臭そうな目と声で、劾は風原に言葉を返した。
 風原は「ああ」と言った。
「六木本。確か君は、この学園の防衛を任されているんだったな?」
「はい、まあ……」
「警戒を怠るな。連中は絶対にやってくる」
「あの……お言葉ですが、先生。何を根拠に、そんなことを言うんです?」
 当然とも呼べる劾の疑問だったが、それを言い終えるよりも先に、風原は慌しく生徒会室を出て行った。
 美咲と劾は顔を見合わせた。
「ねえ、むぎもん? 拠点都市の市長がここにやってくる、っていうだけで、ゲリラがやってくるもんなのかな?」
「そもそも、市長がここに来るっていう情報が漏れていて、それをゲリラグループが掴んでいたのかどうか、怪しい気もしますが……まあ、用心に越したことはないでしょう。射撃科を受講している連中の様子を見てきます」
 そう言うと、劾も部屋から去っていったのだった。



 トラックの荷台に設えてある作戦本部にいた赤羽真澄は、通信士を務めるインデックス4に「全隊に回線つないで」と言った。
 インデックス4から無線機のマイクを受け取り、赤羽は言った。
「こちらインデックス・リーダー。各班、状況を報告して」
『ジャジメント隊、配置についた。周辺に異常は見受けられず。引き続き、哨戒を続ける』
『ブレイカー隊だ。学園内に侵入成功。現在は学園の校庭にて待機中』
 ジャジメント隊、ブレイカー隊のそれぞれの隊長から声が返ってくる。彼らに続き、レールガン隊の隊長である東条一機からも応答があった。
『レールガン隊、同じく学園内部に侵入成功。これより散開し、ターゲットの捜索を開始する』
 ターゲット――織宮麗を見つけ出し、極秘裏に拉致する。その作戦に今のところ、不手際はない。このまま何事もなく予定を消化していって欲しいわね、と赤羽が考えた矢先だった。応答以外の声が無線機から響く。
『こちら、ジャジメント4。妙な車を発見した』
「妙な車? どんな?」
 赤羽が無線機に吹き込むと、ジャジメント4は答える。
『黒塗りの車が三台、校門前で停車……ちょっと待て、おい、あれは!』
 そこでザッという空電の音が響く。赤羽は「ジャジメント4、応答して。何があったの?」
『こ、こちらジャジメント4! 大変なことになった!』
 無線機からは切迫した声が響いてきた。何が大変なのか、主語を欠いた物言いに苛立ちと不安を覚えた赤羽は、強い口調で「何が起こったのよ?」と吹き込む。
 次の瞬間、無線機からは、赤羽の心臓を凍らせるのに充分な答えが返ってきた。
『西園寺厳蔵だ! やつが、黒い車から降りてきた!』