West area

白百合の癌 ‐ Scene 3

 西園寺厳蔵の周囲にいるボディガードの人数は五人。いや……現役を退いて長いとは言え、元は特殊部隊の所属だった厳蔵自身の戦力を数えるなら、実質は六人、か。対峙することになるであろう敵戦力を計算し、敵の死角に紛れるようにしつつ、それでいて少しずつ距離を縮めていた霧島栄斗の片頬には笑みが浮かんでいた。
 栄斗は拳銃を持っていたが、人混みの中で厳蔵を殺す場合、拳銃では確実性に欠ける。ここは接近してナイフを突き立てるに限ると栄斗は判断した。コートの中に隠していたコンバットナイフの柄を握り、栄斗は姿勢を低くする。
 周りのボディガードの処理は後回しで良い。とにかく、厳蔵との距離を一瞬で詰めて懐に潜り込んだ後、急所を一突きすれば良いだけだ。
 一つ息を吸い、栄斗は人混みの中からスルリと飛び出した。
 音もなく地面を駆ける。厳蔵はおろか、ボディガードの連中もこちらの挙動に気付いていない。
 もらった。
 栄斗は地面を踏み込み、懐に隠していたナイフを引き抜く。そしてそれを、厳蔵の腰に刺そうとした――

 バァン!

 どこからともなく銃声が響く。突如、右腕に襲いかかった衝撃に、栄斗は思わずナイフを手放してしまっていた。
 何が起こったのか、理解できなかった栄斗は、その場で立ち尽くし、周囲を見渡した。
 これは、こちらの存在にまったく気付いていなかったボディガード連中や厳蔵からの攻撃ではない。痺れの残る右手を左手で庇いつつ、油断無く周囲に視線を巡らせていると、一人の男と視線が絡んだ。
 その男は、筋骨逞しい体をしていた。そして、硝煙を立ち上らせている銃口をこちらにひたと据えたまま、微動だにしなかった。
「風原先生の言うことも、たまには当たる」
 その男はそう言って、二謝目を放つ。
 チュン! という地面を抉る音が響き、栄斗の足下に弾痕が穿たれる。完全にこちらの動きを封じられる格好になった栄斗は歯噛みした。
 その段になって、何が起こっているのかを悟ったらしい厳蔵とその一派は、栄斗の方を振り返った。ボディガード達は手慣れた動作で厳蔵の前に立ちふさがり、スーツの懐に手を突っ込んだ。
 栄斗は自分の置かれた状況を考える。
 銃弾によって弾き飛ばされたため、ナイフは手元に無い。なにより、ナイフを弾き飛ばされた衝撃で右手がいまだに痺れている。拳銃は持っているが、痺れの残る右手で構えて、使い物になるとも思えない。
 ここは引くしかない。何もできず、すごすごと引き下がることなど、栄斗は嫌だったのだが、できることが何もできない以上、ここは一度、逃げるしかなかった。
 ボディガード達が懐から銃を抜き、照準を栄斗に向けるよりも速く、栄斗は地面を蹴った。
「待てっ!」
 栄斗の背中から怒号が飛んだ。しかし、制止の声に聞く耳など持たなかった栄斗は、人混みの中へと飛び込んだ。
 その瞬間、栄斗の眼前に、ブレイカー隊の隊長が現れた。
「こっちだ、霧島!」
 その瞬間にはコールサインを使うことも忘れたらしいブレイカー1は栄斗に逃げ道を示した。ブレイカー1は栄斗と入れ違いになって、人混みの中から飛び出ていった。
 すると、別の人混みから、ブレイカー3とブレイカー4も現れた。彼らは三位一体となって、なけなしの銃弾を撃ち散らし、厳蔵とそのボディガード達の動きを封じた。
 ひとまず、右手の痺れが取れないことにはどうしようもない。栄斗は騒ぎの中心からできるかぎり遠くに離れることだけを考え、ひたすら走った。



『チィッ! ブレイカー2の野郎、一人で勝手なことしやがった割には、テメェのケツも拭かねぇで……!』
『悪口なら後にしろ、ブレイカー3! 弾幕を張るんだ!』
『無茶言うなっ! 拳銃一丁で張れるモンが弾幕になるわけないだろうが!』
『口じゃなくて、手と体を動かせ、馬鹿っ!』
『隊長、右だ!』
 発砲音と怒鳴り声がスピーカーを錯綜する。
 ブレイカー2こと、栄斗の突出は見事なまでに失敗に終わってしまった。そして、その後始末に奔走しているブレイカー隊の頭からは“隠密行動”という単語が抜け落ちているらしく、厳蔵のボディガード達と派手な銃撃戦を始めている。
 それほどのことが起こっている以上、騒乱が伝播するのにさほど時間は掛からなかった。ただの一般人に過ぎなかった二月祭の客達は、青天の霹靂でしかない白昼の銃撃戦に対し、蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑うしかなかった。
 作戦目標は織宮麗の拉致だったが、ここまでくればそんなことはもはやどうでもよくなりつつあった。赤羽は覚悟を決め、無線機に吹き込んだ。
「全隊、よく聞いて! 作戦を中止する! 繰り返す、作戦を中止する! これより、撤退作戦を開始する、良いわね?」
『――3は左から! 5と6は3を援護! 7と8は……って、えっ? 何だって?』
「こちら、インデックス・リーダー。撤退作戦よ! ブレイカー1、聞こえた?」
『こちらブレイカー1! ブレイカー隊、了解したっ! このまま、陽動作戦に移行する!』
 ブレイカー隊の隊長の切迫した声による応答があった。インデックス隊は元々、トラックの中で指揮を執る班だったし、ジャジメント隊は外周警戒を中止して以来、トラックで待機している。
 陽動作戦を展開しているため、しばらくは戻って来ないブレイカー隊を除けば、外に展開している班はレールガン隊のみである。
 レールガン隊の回収が完了すれば、あとはブレイカー隊を下がらせて、撤退作戦の第一段階は完了し、後は逃げるだけ、という算段が整う。それが、赤羽の思い描く青写真であり、ここは一刻も早くレールガン隊に帰投して欲しいところだったのだが、
『こちら、レールガン2』
 レールガン隊の隊長代理になったレールガン2の声が無線機から響いた。『先程の爆発があったと思わしき場所に向かっているんだが……どうする? 隊長をほったらかしにしといたまま、帰って良いのか?』
 赤羽は迷わなかった。
「レールガン1のことはもう良いわ! 何があったか分からないけど、死んじゃいないでしょ。生きてれば、自分でどうにかできるだけの実力は持っているはず」
『……了解した。レールガン隊を至急帰投させる』
 そうであって欲しい、という赤羽個人の願望も多分に含まれてはいたが、レールガン2はひとまず納得してくれたようだった。
 尤も、赤羽は、レールガン2本人が律儀にそれを守ってくれるとは思ってなかったが。



 爆風に足下を取られ、地面に叩きつけられた一機は、呻き声を漏らした。全身に鈍痛が走り、しばらくの間、身動きが取れなくなる。
 吹き荒れた風によって、埃がもうもうと舞っていた。極端に悪い視界の中、一機はやっとの思いで立ち上がる。
「風原……先生は?」
 倒せたのか? 続くはずだった言葉を、一機は飲み込んだ。立ちこめる塵の中で、風原透真がゆっくりと起き上がってくるのが見えたからだ。
「……逃がさない」
 風原は呟くように言った。その瞬間、バチン、という甲高い音が弾ける。すると、風原と一機の間を覆っていた粉塵が消えた。
 そして、一機は見た。見てしまった。風原の顔には、鬼神のごとき形相が張り付いていた。
 逃げられない。
 理屈ではなく、直感でそう思った。どう足掻いても、風原透真という男からは決して逃げ切ることができそうになかった。
 応戦するしかない。
 腹を括り、手にしているグロックを持ち直した。
 その時、一機の耳元で声が聞こえた。
『隊長、レールガン2だ。返事はしなくていいから聞いてくれ。合図を出したら後ろを向くんだ。いいな?』
 先程、吹っ飛ばされて床にたたきつけられた時、耳元の無線機からは、赤羽とレールガン隊との会話が聞こえていた。
 一機が他の隊員と交信不能に陥ったのは、風原の電撃攻撃をかわすうちに、顎の送信用無線機が電撃に触れたことで、壊れてしまったからだったのだが、そのことに一機は気付いていなかった。
 しかし、耳の受信用無線機は無事だったようで、一機自身は仲間達の声を明瞭に聞き取ることはできた。
 それによると、確か、レールガン隊は引き上げたはずではなかったか。それなのに、レールガン2の言葉は、まるでこちらに近づいているかのように思えてならなかった。これは一体、どいうことなのだろう? 首を傾げそうになった一機だったが、それよりも先に無線機から『いまだ!』という合図があった。
 一機は仲間の言葉を信じ、振り返る。一機が振り返った後、一機の背中の方で――つまりは、風原の方で――何かが、カラン、と音をたてた。音に気を取られ、そちらに風原が視線を向けた瞬間“それ”は破裂した。
 “それ”すなわち、特殊音響閃光手榴弾――スタングレネード――が。
 耳をつんざく轟音と同時に、目をくらませる強烈な光を発したそれは、直近にいた風原の目と耳を物理的に封じ――というよりほとんど潰し――ていた。風原から数メートルほどしか離れていなかった一機にも、スタングレネードの魔の手は襲いかかったのだが、背中を向けていたため、一機の目は無事だった。尤も、鼓膜を突き破るような衝撃を浴びたのだから、クラリという目眩に見舞われ、すっ転びそうになりかけたが。
 しかし、それでも一機は地面を蹴り、走った。
 気を失ったらしく、風原はこちらを追撃してくることはなかった。
 一機は廊下の突き当たりの扉から外に出た。そこは非常階段の踊り場となっており、一機は一目散に下り階段を駆け下りていった。



 人混みをかき分け、正門を飛び出し、外周を走り、曲がり角から裏路地へと、栄斗は駆け抜けた。
 厳蔵の周りにいたボディガード達は、厳蔵を守る、という役目があるためか、こちらを深追いしてくることはなかった。
 学園の中からは派手な銃声と怒号が聞こえてくる。加えて、逃げ惑う人々の悲鳴も。それらに比べれば、この裏路地は随分と物静かだった。
 壁一枚隔てて、向こう側は戦場と化しているが、こちらは平穏な空間が広がっている。ということは、ここでは落ち着くことができるわけでもあり、それはつまり、物を考えることができるだけの余裕を取り戻せたわけで――
「くそったれがぁっ!」
 苛立ちを紛らわすべく、栄斗は吠える。既に痺れの取れた右手を力一杯握りしめて、それで学園の外壁を殴りつけた。拳から血が滲んだが、栄斗は右手の痛みを感じてなどいなかった。
 本当に、あと少しだった。あと少しで、西園寺厳蔵を殺すことができた。厳蔵のボディガードすらも出し抜き、厳蔵を殺害することができたはずだった。それを、あの筋肉の塊のような男が邪魔をした。
 余計なことをされた挙げ句、作戦は失敗に終わってしまったのだから、栄斗の頭には大層、血が上っていた。
 栄斗はその男の名前など知らなかったが、知りたくもない、と言わんばかりに鼻をフンと鳴らすと、傍に置いてあったポリバケツを蹴っ飛ばす。ゴミ箱代わりに使われていたらしく、中身が盛大に飛び散ったが、栄斗にはどうでも良いことだった。
 この苛立ちをどうにかして鎮めたい。右手の痺れも取れたことだし、拳銃を使うのに不自由はない。今から学園に戻り、誰彼構わず、片っ端から一人ずつ撃ち殺してやろうか、と考え始めた時だった。栄斗の神経を逆撫でするかのように、コツ、コツ、とゆっくりとした足取りで誰かがこちらに近づいてくる気配があった。
 栄斗はそちらを振り返る。すると、そこには先程、栄斗に一撃を見舞ったあの筋骨逞しい男が立っていた。
 そしてその男は右手にピストルを持っていた。
(四十五口径だな、あれは)
 栄斗は敵の武器を観察する。口径の大きな銃は、銃本体も大きければ、反動も大きい。口径が大きくなると、威力は跳ね上がるが、その分、扱いづらくなるのが定説である。それを分かっているのだろうか――いや、分かっていて、それでもなお、先程こちらが持っていたナイフを正確に狙い澄まし、銃弾一つで弾き飛ばす、などという芸当をやってのけたのだろう。
 それすなわち、扱いづらい拳銃を手足のように扱える、ということを意味している。扱いづらい銃を扱いづらく思わなければ、高い威力、というメリットしか残ってこない。
 デメリットを打ち消し、メリットしか残していないあの男。そんな男を……敵に回すのか、俺は? 自問したが、不思議と恐怖心は湧かなかった。むしろ、栄斗は口の端を怪しく歪める。
 まるで、狂気に取り憑かれたかのように。
(面白ェ。憂さ晴らしにはちょうど良い)
 そもそも、こいつが原因で、こっちの予定が全部ご破算になったのだ。こいつがいなければ、こいつさえいなければ、作戦は全て成功していたはずだった。
 この作戦が失敗に終わったのは、目の前に立っている男のせいだ。その責任を取ってもらわなければ、割に合わないではないか。
 そして何より、このままでは、栄斗の気が収まりそうになかった。
 男は口を開く。
「あんた、ゲリラグループの一員なのか?」
 栄斗は答える。
「ハッ! だったらどうだってんだ?」
「俺は、二月祭が、ゲリラの標的にされるなんて、これっぽっちも思ってなかった……よくも、二月祭をぶち壊しにしてくれたな?」
 静かな言葉の裏に、凄まじい怒気を秘めていた。どうやら、ぶち切れているのは栄斗だけではないらしい。
 栄斗は尋ねる。
「じゃあ、どうする? 俺様を殺すか?」
「ああ」
 静かな声でそう言った後、男は声を張り上げた。

「ぶち殺す!」

 刹那、男は目にも止まらぬ速さで銃を構える、と同時に発砲する。

 ズガァン!

 普通の拳銃よりも大きな炸裂音が響き、一直線に鉛弾がこちらへと飛来する。
 しかし、男が引き金を引くよりも先に、栄斗は横っ飛びに飛んだ。物陰の裏に隠れた後、壁越しに拳銃を構え、撃つ。盤石な体勢とは言い難かったが、それでも男の立っていた位置を弾丸が通り抜けていった。男に着弾しなかったのは、ひとえに、男が姿勢を低くして、銃弾をかいくぐったからだ。
 腰を低くしたまま、男はこちらへと突っ込んでくる。そして、そのままの姿勢で男は牽制の銃弾を放つ。こちらの動きを封じ、的確に距離を縮めてくる筋肉野郎に対し、栄斗が抱いた率直な感想は“強い”だった。
 ただの高校生にしては、戦うことに慣れている。あるいは、よほど戦闘に関して筋が良いのか。
 しかし戦い慣れているのは栄斗も同じだった。
 物陰に転がっていたポリバケツを蹴り飛ばし、突っ込んでくる男の足下へと転がした。
 躓くまい、と思ったのだろう。男はたたらを踏んだ。その隙に栄斗は物陰から飛び出し、引き金を絞る。動きを止めず、銃弾を撃ち散らしながら移動する。
 男は、その場に立ち止まり続ける、などという愚は犯さず、地面を蹴って物陰に飛び込む。深追いはせず、栄斗も一度、物陰に身を潜め、呼吸とテンポを整えた。



 学園の校舎とビルとの谷間に位置している裏通りは、昼間と言えども薄暗い場所だった。
 その裏通りは、普段、不良学生が腕試しと称した喧嘩に明け暮れていることで一部の学生の間では有名なストリートだったのだが、今では銃弾の飛び交う立派な戦場と化していた。
 どうしてこんなことになった、という理性と、それはあのゲリラ野郎のせいなのだからぶち殺せ、という本能。相反する二つの心が、今の六木本劾を突き動かしていた。
 そもそも、昨日の夜から、いろいろと不穏な動きはあった。
 西園寺美咲は、市長である父親が二月祭にやってくる、と言い出した。それに過敏な反応を示したのは、生徒会長の桐原綾華だった。綾華は、非常事態に備えて、緊急用のマニュアルを作成すると言った後、劾には、射撃科受講者の人間を集めて、防衛体制を強化しろと告げてきた。
 正直な話、劾は納得できなかった。せっかくの二月祭だというのに、そんな血生臭い下準備などせず、生徒や来客のためを思って、何かしら楽しいイベントの一つでも考えれば良いだろうに、と劾は本気で考えていた。
 そう、考えていたのだ。
 半年ほど前に一騒動を起こした家庭科部だったが、今となっては、剣道部と合同で喫茶店を開けるまでに盛んな活動をできるようになったのだ。劾としては、密かに、彼ら、家庭科部の部員達と一緒に、茶を飲みつつ、お菓子の一つや二つを摘んで、談笑したいと思っていた。
 そう、それこそが学園祭だ。それなのに……この男は、こいつは……
「こいつがぁっ!」
 内心の呟きが、現実の声となる。
 呼んでもいないのに、勝手に現れたゲリラグループ。彼らは二月祭にやって来るだけでは飽きたらず、騒ぐだけ騒ぎ、壊すだけ壊し、二月祭に破壊と混乱を招き入れた。
 許せない。許せるはずがない。平穏だった日常をぶち壊しにした、あのゲリラ野郎が、劾は殺してやりたいほどに憎らしかった。
 自身を鼓舞するように「うぉぉぉっ!」と叫び、劾は立ち上がる。立った勢いで地面を蹴り、物陰から一息に飛び出した。すると、相手も潜めていた場所から姿を現す。
 二人は同じタイミングで、相手の急所に銃口を向けた。



「無事で何よりですよ、隊長!」
 非常階段を駆け下り、一機が一階にたどり着いた時だった。待ち構えていたらしく、レールガン隊の班員が一人、立っていた。確か、コールサインは3だったはず。
 赤羽から既に撤退命令が出ている。一刻も早く、この場から去らなければならなかったはずだが……どうして、レールガン隊は戻ってきたのだろうか?
 そのことをレールガン3に告げると、彼は答えた。
「インデックス・リーダーは、ジャジメント隊と、大半のレールガン隊を回収したので、撤収していきましたよ、実際」
「大半? 残っているレールガン隊がいるのか?」
「ええ。俺とレールガン2は、ここに残ってます。2はすぐにここにやって来るはずで……あ、来ました」
 カンカン、という金属製の非常階段を蹴る音が一機の頭上で響いた。一瞬、気絶し損ねた風原が追ってきたのかとも思ったが、足音を聞く限りでは、足取りがしっかりしている。スタングレネードで三半規管を揺さぶられたのだから、風原にこちらを追いかけてこられるだけの力が残っていたとも思えず、一機は警戒を解いた。
 すると、階段を降りてきたのはレールガン2だった。
「隊長! そして、3。行くぞ、外でトラックが待機している!」
 レールガン2は足を止めることなく、一機と3を追い抜いた。
 一機と3は、2の背中を追って、通用口から学園の裏通りへと走った。
 走りながら、レールガン2は無線機に語りかけた。
「こちら、レールガン2。インデックス2、応答せよ」
『こちら、インデックス2。どうした?』
 送信用無線機に吹き込んだ声は、全隊の受信用無線機に届くようになっている。一機の耳元に、インデックス2ことガルマンの声が響いた。
「レールガン1は無事だ。今は、俺の傍にいる。俺たちを回収して欲しい」
『了解した、事前に決めておいた回収ポイントに来い。そこにトラックを停めてある』
「了解。レールガン隊、そちらに向かう」
 そう言って、レールガン2は交信を終える。
 続いて、赤羽の声が聞こえてきた。
『報告は聞いたわよ。レールガン1、無事なのね?』
「こちら、レールガン2。俺たちの隊長は無事だ。ただ、絆創膏が壊れちまったらしく、声を送信できないらしい」
『あら、それで声が聞こえなかったの? あの無線機、そんな簡単に壊れるような作りにはなってないはずなんだけど……』
 赤羽が訝しむのも無理は無い。掌底から電撃を弾けさせるような男を敵に回したのだ。弾けた電撃が顎をかすめた時に、無線機が壊れてしまったのだろう、と一機は結論づけた。
『ま、いずれにしても、無事なら良いわ。ブレイカー隊、聞こえてる? レールガン隊の回収も、まもなく完了する。ブレイカー隊も、そろそろ撤収を開始して!』
 ザッ、という空電が無線を流れた後、銃撃と怒号と悲鳴が飛び交う音の中から、ブレイカー1の声で返事があった。
『ブレイカー1、了解した! インデックス2のトラックに撤収を開始する!』
 これで、ブレイカー隊も撤退するはずだ。結果的に、何も手に入れることができず、無駄骨に終わってしまったが、戦力が損失したわけではない。プラスに考えるなら、チャンスを一つ無駄にしただけ、ということなのだろうが、果たして、次のチャンスがあるのかどうか……
 いや、今はそんなことを考えても仕方ない。曲がりなりにも、ここはまだ戦場なのだ。一秒でも早く撤退し、回収ポイントで待機しているトラックに乗り込むまでは、余計なことを考えている暇など――
 刹那、獣じみた咆哮と、銃声が連鎖した。
 薄暗い裏通りを走っていた、レールガン隊の三人は思わず、足を止めた。今の声と音は、暗くて先がよく見えない前方から聞こえてきた。
 怒鳴り声と発砲音が聞こえてきた、ということは、自分たちの進む先で戦闘が起こっている、ということだ。参ったな、と思った一機は舌を鳴らす。迂回しようにも、この道を突っ切らなければ、回収ポイントへは迎えない。
 一機は一つ息を吐くと、覚悟を決める。懐にしまったグロックを再び取り出し、構える。
 そして、傍らのレールガン2と3に声を掛けた。
「最短距離を突っ走る。行くぞ!」
 そして、三人は再度、走り始めた。



 栄斗は、筋肉野郎の顔に銃口を向けていた。そして、筋肉野郎も栄斗の顔に銃を向けている。
 互いが互いを牽制し、彼らは身動き一つできなかった。
 二人の間に、言葉は無い。語ることなどないのだから、当然と言えば当然か。
 そんな重苦しい沈黙を邪魔するように、栄斗の背後から複数の足音が聞こえた。
「霧島? 霧島か?」
 ぴくり、と目だけを動かし、声の主を栄斗は確認する。すると、そこには東条一機と、彼の率いる男達がいた。
「一機か……なにしてんだ?」
「撤収命令が出た。お前も早く逃げ――って、そこにいるのは、六木本か?」
 一機は驚きを隠そうともせず、筋肉野郎に尋ねかけた。すると、筋肉野郎の表情も変わる。
「と……東条師匠……? あなたこそ、どうしてこんなところに……」
 驚きのあまり、目を見開いたまま、返す言葉を見失っている六木本。そんな六木本に、栄斗は銃を突き付け、言葉を放つ。
「なんか、よく分かんねぇけどよ……とりあえず、言わせろ。死ねよ、テメェ」
 言い終わると同時、栄斗は引き金を引こうとした。
「よせっ!」
 トリガーを引く前に、一機が栄斗の銃を押さえ込んだ。栄斗はチッと舌打ちし、一機を睨む。
「なんの真似だ、一機。向こうは武器を持って、こっちに楯突いてるんだぞ? 立派な敵だろうが」
「……相手はまだ子供だ。殺す必要はない」
 一機の言葉に、栄斗はカッと血を上らせる。
「甘ったりぃことヌカしてんな、一機! ガキだからっていう理由で全てを許されりゃ、こっちの苦労が全部ご破算だろうが!」
 そこで一度言葉を切り、栄斗は六木本の顔を見据えて、言う。
「落とし前はつけろよ、このクソガキが……」
「やめろ、霧島。そして、六木本も」
 一機は六木本の方に顔を向ける。
「六木本。『騙してすまない』なんていう、おためごかしを言うつもりはない。俺は、ただの射撃科教員補佐じゃない。本当の俺は、ゲリラグループに金で雇われた、傭兵だ」
「傭兵……? ゲリラに雇われた?」
 合点がいかないのか、六木本は一機の言葉をおうむ返しにした。
 しばらくの間、沈黙が場を支配する。それから、六木本は言った。
「……これだけは訊かせてください、師匠。あなたは、二月祭をめちゃくちゃにしようとして、めちゃくちゃにしたんですか……?」
「あぁん? 眠たいことをホザくんじゃ――」
 反発しようとした栄斗だったが、一機は片手を上げてそれを制した。それから、一機は六木本に言葉を返す。
「信じてくれ、なんて言わない。しかし、それでも言わせて欲しい。俺たちは……なにも、二月祭をぶち壊しにしたかったわけじゃない。ある目的があって、二月祭にやってきたんだが……ちょっとした手違いが、とんでもないことになっただけだ」
「……つまり、あなたは意図的に、俺たちの学園祭を潰したわけじゃなかったんですね?」
 六木本の問いに、一機は無言で頷いた。
 六木本は一つ、深呼吸した。すると、まるで憑き物が落ちたかのように、安らかな表情を浮かべ、構えていた銃を懐にしまう。
「……師匠。もう、会うこともないんですかね?」
「……もう、無いだろうな」
「……ですよね。こんな時に、言うべきことじゃないかもしれませんが……どうか、お元気で」
「ああ……。お前もな」
 言って、一機と六木本はお互いに笑みを浮かべた。
「隊長、急ぎましょう」
 どこかから、騒がしい音が聞こえてくる。市長のボディガードが、追っ手としてやって来たのだろう。この場にとどまり続けることが得策ではない、と判断したらしく、レールガン3は一機を急かした。
「そうだな。行くぞ、霧島」
 そう言って、一機は歩き始めた。レールガン2と3を後ろに従えて、六木本の横を通り過ぎようとした。

 刹那、銃声が轟いた。

 ドサッ、という何かが倒れる音が響いた。

 そして、声が聞こえた。
「言ったはずだ」

 声の主は、怒気と狂気と愉悦の混じった口調で続ける。

「落とし前はつけろ、って」

 最後に、絶叫が響く。

「む、むぎもとぉぉぉぉぉぉ!」

 物言わぬ筋肉の塊となった男の顔には、血塗られながらも、確かな安堵の笑みが浮かんでいた。