白百合学園テロ事件。
ここ数日、世間を賑わせているニュースだった。
ヤマシロの捜査当局の見解は以下のようなものである。
「レッドフェザーを名乗るゲリラグループは、一年近く前に、陸部から武器の不当な供給を受けていた。陸部には強制的な査察が入り、武器の横流しをストップさせたが、レッドフェザーそのものを殲滅したわけではなく、彼らは密かに活動を続けていた。しかし、武器が無ければ活動が続かなかったため、彼らは武器を欲していた。そこでレッドフェザーは、射撃科という銃火器を扱う科目が存在する白百合学園に目を付けた。その科目の特性上、学園には銃火器の保管庫が存在するため、彼らはそれを奪取するべく、白昼堂々、白百合学園に押し込み強盗をした。しかし、彼らの目論見は頓挫し、白百合学園の銃火器は無事である」
ゲリラグループの活動をまかなえるほどの量の銃火器が白百合学園に保管されているのかどうか、本当のところは怪しいものだが、民衆を納得させられる程度には筋が通った解釈である。
そしてそれは、ヤマシロの市長たる西園寺厳蔵を糾弾するのに充分であり、
「どうなさるつもりですか?」
という、慇懃無礼な声が厳蔵の耳朶を打った。
「数え上げれば、あなたの不始末と不祥事はきりがありません。市長の職を、素直に辞してはいかがですか?」
声の主は、ヤマシロ市議会の議員を務める笠松一郎(かさまつ いちろう)だった。厳蔵は、ふん、と鼻を一つ鳴らし、笠松に言葉を返す。
「市長を辞めなければならないようなことを、何一つとしてワシはした覚えが無いぞ」
笠松は目を丸くした後、嘲弄した。
「おや、自分が今までに何をなさってきたのか、自覚が無いのですか? 市長、年を取りましたね。記憶があやふやなようでいらっしゃる」
ボケたジジイには政治なぞできねえんだよ、と笠松は暗に言っていた。そんな笠松をジロと睨んだ厳蔵は「生意気な若造に、トップの席を譲るほど老けてはおらん」と返す。
笠松は言った。
「ま、良いでしょう。今日の所は、素直に帰るとします。ですが……次に私がここを訪れる時には、ここが他の人間の持ち物になっている可能性があることを、お忘れ無きよう」
では、とだけ言い残して、笠松は部屋から出ていった。
ここが誰かの持ち物となる、か。溜め込んだ息を吐き出し、厳蔵は自分の部屋を改めて見回した。いつもと変わらない、自分の部屋であり、自分が使っている市長官舎の一室であった。
言うなれば、厳蔵の城である。その城が、他人の物となる。それはつまり、笠松一郎という男が、次のヤマシロ市長に選出される、ということを意味していると言って良い。
誇張ではないだろうな、と厳蔵は思う。ここ数日、厳蔵を支持する声は小さくなってきている。それもこれも、白百合学園を襲ったテロに対する糾弾の声が、厳蔵に向かっているからだった。その糾弾の方向をマスコミという媒体を用いることで、意図的に操作しているのが笠松一郎一派であろうことは、想像に難くはなかったが、厳蔵が窮地に立たされていることに、変わりはない。
白百合学園がゲリラに狙われたのは、白百合学園が射撃科という科目を採用し、銃火器を保有していたからだ、という見方がある。そして、市議会の反対を押し切り、白百合学園に射撃科を開設したのは厳蔵であり、その責任は厳蔵にある、と追及する声もある。
そもそも、ゲリラがドラスティックな手を使った直接の原因は、横流しによる武器の供給を停止しておきながら、そこでゲリラ対策の手を緩めてしまい、徹底的なゲリラ討伐をしようとしなかった厳蔵の怠慢にある、という指摘もある。
世論は概ね、そのような意見で一致しており、いずれにしても、厳蔵に向かってくる逆風は相当な物であった。
さらに言えば、厳蔵を苦しめているのは、そういった外からの圧力だけではなかった。
射撃科という科目を提案したのは厳蔵だが、その射撃科を実際に授業科目として取り入れたのは白百合学園側である。今回の一件で不祥事が表沙汰になった、という意味では白百合学園も同じ穴のムジナであった。当然、白百合学園に対する世間の信用と評判は地に墜ちた、ということであり、それはつまり……
厳蔵の娘、西園寺美咲に来ていた大学推薦の話も、ご破算になってしまった、ということであった。
今は二月の半ばである。今からでは、受験勉強どころか、願書すら、受け付けてくれる大学があるのかどうか……。何より、入試というゴタゴタを推薦という手段を用いることで片付けてしまった美咲には、こうもあっさりと状況をひっくり返されるとは考えもしなかったことだろう。美咲に襲いかかった衝撃は、厳蔵に襲いかかった衝撃以上であるのかもしれなかった。
机に肘をのせ、親指の腹をとんとんと突き合わせる。そして厳蔵は、これからどうする、と自問してみた。
いや、その答えは既に出ている。後は、その計画を実行するかどうか、厳蔵の胆力次第だが……
こんこん、という扉をノックする音が聞こえた。そちらに顔を向けて「入るが良い」と言った。
西園寺家の使用人の一人である冬川怜(ふゆかわ れい)だった。
彼女は言った。
「旦那様。笠松様が、お帰りになられました」
「そうか。ところで、怜。英二をここに呼んで欲しい」
「英二くんですか? 分かりました」
言い置いて、怜は部屋から出て行った。
「……今、なんと?」
怜は耳を疑った。それは英二も同じだったらしく、彼も目を丸くして、厳蔵の次の言葉を待っていた。
「驚くのも無理はない。だから、もう一度言ってやる。英二、お前はクビだ」
今度は、聞き間違えようがなかった。厳蔵は確かに“クビ”と言った。
しかし、理由が分からない。執事としての英二の仕事ぶりは、誰の目で見ても申し分ない。そんな英二に、いきなり暇を出すとは……。
「旦那様。そのように、いきなりおっしゃいましては、英二くんも戸惑うだけではありませんか? せめて、理由だけでもお聞かせ願えないものでしょうか?」
「いや良い。良いんだよ、冬川さん」
意外にも、怜の言葉を遮ったのは英二だった。
「所詮、私は使用人の一人に過ぎません。旦那様が私の首を切りたいとおっしゃるのなら、私はそれに従うまで」
英二はそこで言葉を切り、怜の方に顔を向ける。
「冬川さん。私がいなくなってからの、この家の家事はあなたに任せます。頼みましたよ?」
淡々とした声で、英二はそう言った。あまりにも淡々としすぎて、英二は状況を上手く飲み込めていないのではないか、と怜は思った。
「英二くん……あなたは、本当に、これで良いのですか?」
怜は訊いた。すると英二は無言で首を縦に振った。
合点がいかなかったのだろう。首を捻ったまま、メイドの怜は部屋から出ていった。
椅子に背中を預け、厳蔵は言う。
「民衆の糾弾に耐えきれず、錯乱した市長が腹いせに自分の執事から、その職を奪う」
「そして職を追われた執事は、市長に対する復讐を誓い、ゲリラ活動に手を染める、と。筋書きとしては、このようなものでよろしいでしょうか?」
そう言って、英二はニヤリと笑う。つられて笑い返した厳蔵は、やはりこの男にはバレていたか、と思った。
細かい説明をする手間が省けて何より、と思った厳蔵は表情を引き締めてから英二に言う。
「……さて、どうする、英二?」
「どうする、とは?」
「今ならまだ、お前を執事に戻し、元の鞘に納めることもできるぞ?」
「何を今更、と言わせていただきます」
腹はとうに括れている、とでも言いたげな声だった。厳蔵は「そうか」と返してから、本題に入る。
「先程の筋書き通りだ。お前はこれから、レッドフェザーに潜入しろ」
「はい」
「レッドフェザーに関する情報が欲しい。お前が仕入れた情報を元に、軍の特殊部隊に出動を要請する」
「いよいよ、レッドフェザーを討伐する気になったんですね?」
「……ああ」
もともと、西地区で活動をしていたゲリラグループは、貧困からの脱却を謳っていた。貧困の原因を作ったのが、十年前のテロ事件だったことを思えば、ゲリラグループに対し、強攻策を使うことを、厳蔵はためらっていた。
しかし、躊躇していたらどうだ? 結果として、ゲリラグループは増長し、流れる必要のない血が流れ、楽しい思い出を作るはずの場であった白百合学園の二月祭は、悲しい事件として人々に記憶されることとなった。
もはや、レッドフェザーはレジスタンスの集団ではない。一級のテロ組織と言って差し支えない。
ここで、全てを清算する。これ以上、余計な血は流させないし、必要のない涙も流させはしない。
そんな厳蔵の決意を汲み取ってくれたらしく、英二の表情からは、執事の面影は消えていた。
「では……執事の職を辞し、あなたの懐刀に再就職ということで、良いですね? 旦那様」
「ああ。頼んだぞ、英二」
「はい。“俺”に任せてください」
英二の顔は、既に戦う男のそれだった。