West area

ヤマシロ・ファイト ‐ Scene 1

 ヤマシロの南地区から西地区にかけては、海沿いの地域となっている。
 しかし、同じ海でも、西地区と南地区では様相が大きく異なっている。
 ヤマシロでは中央地区こそ平地だが、北地区へ行けば行くほど、あるいは南へ向かえば向かうほど、標高が高くなっていく。
 西地区の海は臨海していることもあり、埋め立て地には原発やコンビナートが軒を連ねている。
 一方の南地区は、切り立った崖に面していた。
 崖の上に広大な鉄筋コンクリート製の外郭があり、この壁は南地区をぐるりと取り囲むような構造となっていた。
 壁の内側には、KAMUIグループが抱えている工場が存在するのだが、KAMUIの持ち物というよりは、青柳重工の持ち物と言う方が正確かも知れなかった。
 企業秘密ということもあり、青柳重工の関係者でもなければ、高くそびえるフェンスの向こうに行くことはできない。たとえ、それがヤマシロ当局や、ヤマシロ市警の関係者だとしても、であった。
 さすがに捜査令状を振りかざされれば為す術が無いところだが……青柳龍一郎子飼いの人間が南地区にいる限り、そうそう簡単には南地区に踏み込まれる心配はない。
 だが、それも永遠ではないだろうな、と青柳は思う。
 工場群の地下には、研究施設や実験施設が広がっているのだが、そのまた地下に、広大なスペースが用意されている。そのスペースには、まるで空母のような航空基地が存在していた。
 戦闘機を駐留させておくハンガーの間を、整備士達が忙しそうに走り回っている。作業着姿の彼らの間で、パイロットスーツを身にまとった青柳は「会長」という声に後ろを振り返る。
 青柳の“裏側”を任せている秘書と、宇佐見ディスナリーの社長こと宇佐見和彦(うさみ かずひこ)の二人が近づいてきた。
 宇佐見は三十歳になったばかりの優男である。傭兵派遣事業を取り仕切るトップと言うより、普通の人材派遣会社を任せた方がよっぽど似合う風貌をしていた。
 その宇佐見が、青柳と目を合わすなり噛み付いてきた。
「無茶苦茶ですよ、こんなの!」
「何がだ?」
 ヘルメットの表面をつるりと撫でつつ、青柳は訊き返した。
「よくもまぁ、航空機搭乗経験のある人材ばかりを十一人も集めろ、なんていう無茶を押しつけてきましたね……」
「人材派遣企業なのだろう? クライアントのニーズに応えられないようでは困る」
「しかし……」
 なおも反駁しようとする宇佐見に「見つかったんだろう?」と青柳は訊き返した。
「ええ、そりゃあ、まぁ……」
 人材が足りなかった以上、外に目を向けて探す必要がある。探したからといってそうそう都合良く見つかるはずがない、と宇佐見は高をくくっていたのだろうが、蓋を開ければ、びっくり玉手箱。青柳の要望通り、航空機を操った経験のある十一人はすぐに見つかった。
 ある意味で当然の結果だったとも、青柳は思う。なぜなら、その十一人は、全員青柳の同僚か、その知り合いなのだから。
「で、その十一人は?」
 青柳の言葉に、秘書が「そちらに」と応じる。秘書の指差す方に目を向けると、懐かしい顔がいくつも並んでいた。
 その内の一人が、こちらに歩み寄ってきた。青柳も秘書と宇佐見のコンビから離れ、パイロットに近寄った。
 そのパイロットは踵を揃え、敬礼する。
 青柳も敬礼を返し、久しぶりに見た顔に「元気そうだな」と声を掛けた。
「そっちもな。今じゃ、大企業のトップか。そして、ここは、まるで秘密基地だな……」
 周囲を見渡し、そのパイロットは感想を述べる。
 パイロットは続ける。
「機体は見せてもらった。驚いたよ……。俺はてっきり、ヤマトウルフに乗るもんだとばっかり思ってたんだがな」
 ヤマトウルフ――JF‐21A・ヤマトウルフ。青柳重工が開発した、第五世代型の戦闘機である。
 ヤマトウルフは空部に制式採用されており、実戦配備も完了している。空部出身者ならばヤマトウルフを操った経験があるとみて良い。
 しかし、この秘密基地めいた場所にあったのは、ヤマトウルフではなかった。
 ヤマトウルフの後継機として開発された、JF‐21B・ストライクウルフだった。
 軍への採用は決まっているが、実戦配備はされていない。先日、テスト飛行を終えたばかりの新型中の新型である。
 それを、いくら開発元である青柳重工の工場がすぐ傍にあるからといって、まさか現実に自分の目で拝めるとは、予想だにしていなかったらしいパイロットの様子に、青柳はしたり顔になった。
「ヤマトウルフは空戦に特化した機体だが、ストライクウルフはそこに地上攻撃を行えるようにカスタムしてある」
「だが、ヤマトウルフだって、装備を換えれば、地上攻撃に対応できるだろうに?」
「格納できる兵器の量が違う。空戦をするのに充分な量のミサイルを抱えたまま、対地ミサイルや爆弾を抱え込むことができるのが売りでね」
「だが、ペイロードは……」
 武装などを含めた航空機の重量をペイロードと呼ぶ。
 当然ながら、荷物が増えれば、戦闘機の重量も増える。エンジンの出力が同じなら、機動性は落ちるし、燃費だって悪くなる。
 武装を増やした分、別の何かを減らさなければ、バランスが悪くなってしまうということである。
「心配ない」
 青柳は答える。「エンジン出力は増強してある」
「だが、そうなると……エンジンも大きくなるな?」
「ああ」
「見た限り、あの機体……。ヤマトウルフに比べて、スラスターノズルが一回り大きい。その分の重量が増える。何を削って、ペイロードを調整した?」
「燃料タンクを小型化するしかない。航続距離は短くなるが……そこはご愛敬だ」
「戦闘攻撃機……マルチロールタイプ。空部よりは、海部が好みそうな機体だな?」
「実際問題、ストライクウルフは空部に売るというより、海部向けだ」
 地上に航空基地を作ることができる空部は、土地面積が許す限り、いくらでもハンガーを建築することができるため、あらゆる種類の航空機を保管することができる。
 しかし、海部は空母や強襲揚陸艦といった、限られたスペースにしか航空機を保管するしかない。そうなると、一つの機体に汎用性が求められてくる。
 海部の航空隊に使われている戦闘機は老朽化が進んでおり、新しい機体を海部では求めている。海賊討伐ミッションを考えれば、海部が新型を求めてくるのは当然だと言えた。
「で、その海部向けの試作機を、一足お先に俺達が使えるというワケだな?」
 そう言って、パイロットは口の端を不適に歪める。青柳も口元を歪め、無言のまま頷いた。
 他の十人のパイロットの方に目を向け、青柳は言う。
「部隊編成とコールサインは、我々が現役当時の物を使う。我々の空気、間合い、やり方、呼吸。そういったものを知らぬ者も多いだろうが、そこは実力でカバーして欲しい」
 一拍置き、青柳の言葉が浸透したのを確認してから、青柳は続ける。
「隊は三つに分ける。一つ目の隊は、ヤマシロ直近の制空権維持を任されている、コナサノ基地への強襲。二つ目はヤマシロの制空権奪取。三つ目は……」
 少し間を置いてから、青柳は高らかに言い切った。
「三つ目の隊は、ヤマシロへの爆撃だ。しかし、ヤマシロは広い。重点的に爆撃すべきポイントは、分かっているな?」
 青柳の問いに、若いパイロットの一人が「東地区、ですね?」と訊き返してきた。
 青柳は首を横に振る。
「政治の中枢部を破壊し、街の機能をダウンさせるのなら、それで良い。だが、我々は軍隊ではない。どん欲に、争いの火種を求める武器屋なら……狙うべき場所は一つしかない」
 再び、一同を見渡してから青柳は言った。
「西地区だ。復興したとは言い難いだろうが、それでも、十一年前のテロでは無事だった住宅街も多い。その住宅街を……叩く」
 罪があるから人を殺し、罪が無いから人を生かす。そんな考えをしている人間はこの場には一人としていない。
 ここに集まった十一人は傭兵。仕事をこなし、金を稼ぐ。どんな仕事であろうとも、私情を挟まず、金のために生きる。
 それは青柳にしても同じだった。
 夢想する未来のために、人の命を食う必要があるのならば……
 食い尽くしてみせよう、どこまでも。
 決意を胸に、青柳はハンガーに眠る“狼”に視線を向けた。



 南地区への入り口には守衛がある。
 それも、普通の守衛とは違い、高速道路の料金所のように巨大だった。
 青柳重工の関係者――たいていの場合は社員を指す――は、社員証に組み込まれているICチップを使うことで、目の前のバーを上げ、南地区へと入り込んでいく。
 そのため、南地区への出入りには車が必要になる。自家用車を持たない者は社員送迎用のバスを使うことで、地区内部へと入っていくことになる。
 南地区には、許可された者しか入れない。そこを建前ではなく、徹底して守り通しているのだから、セキュリティにこれといって穴はない。
 料金所のように、横並びになっている守衛の中でも、一番端っこに、ヤマシロ市警の捜査用車両があった。
 契約社員に過ぎないはずの守衛が、ヤマシロ市警の捜査員を相手に「ダメなものはダメなんです」と頑なな態度を崩さないのだから、見事な徹底ぶりであった。
「緊急事態なんだ! 入れろっつってんだ!」
 演技ではなく、本気の怒鳴り声を叩きつけている若い捜査員をちらりと横目に見つつ、相方の捜査員である長門純一(ながと じゅんいち)は溜息を吐いた。相方はカルシウムが足りてないような気がするので、後で牛乳をおごってやろう、と長門は思った。
「こっちは捜査令状だって持っているんだ。中に入れろ!」
「そんな紙切れ一枚を振り回されても、ダメですよ。企業には秘密を守る権利がある」
「殺人事件の捜査なんだぞ!? 公務執行妨害でしょっ引く――」
「もういい、後藤」
 捜査用車両から降り、守衛に掴みかからんばかりの勢いでがなり立てている若い捜査員の肩を押さえた長門は「押し問答をしても仕方ない」と言った。
「どうせ、南地区一つ取っても広いんだ。俺達二人で、いるのかどうか怪しい青柳龍一郎を捜せるはずがない」
「しかし、ナガチョウ!」
 巡査部長の位にある捜査員には、名前、あるいは名前を縮めたものに「チョウ」という接尾語をつけたあだ名で呼称されることが多い。長門もその例に漏れず、相方である後藤からそんなあだ名で呼ばれていた。
「良いか、後藤?」
 いきり立つ後藤に、長門は微笑みと共に言う。「仕事ってのは、仕事をしたがってるヤツに任せた方が上手く行くもんだ」
「と言うと?」
 怪訝そうな顔で訊き返してきた後藤に、長門は人差し指を上に向ける。
 その時、大気を揺さぶる重低音が聞こえてきた。
 周囲にローター音を撒き散らし、驀進するヘリコプターが、長門たちの頭上を通過していった。
 黒一色のカラーリングは、ヤマシロ市警や、その上位組織でもあるJBIのものではなさそうである。あれは陸部の、それも特殊部隊のヘリコプターだったはず。
 確か、J‐SOFとかいう特殊部隊が、市警本部の建屋のなかにいたはずである。彼らが、持てる限りの人員を割き、南地区へと乗り込んでいったのを見届けてから、長門は後藤に言った。
「南はヤツ等に任せよう」
「……陽動作戦ですか?」
 口をぽかんと開け、すっかり毒気を抜かれたらしい後藤に「ああ」と言ってやりつつ、長門は守衛の顔色を覗った。
 案の定、守衛は顔色を変えて、守衛室の奥に引っ込み、受話器を取り上げた。
 長門はニヤリとした笑みを浮かべる。
 守衛の、あの慌て方を見てしまえば、察するまでもない。中に青柳龍一郎がいるということだ。
 もしかすると……共犯と目されている霧島栄斗もいるかもしれない。上手く行けば、この南地区に飛び込んでいったJ‐SOFが全て解決してくれることだろう。
 軍隊連中が下手に介入すれば、犯人を逮捕するのではなく射殺してしまう可能性は十二分にあるところだが……その時はその時だ、と割り切ることにした長門は車のドアを開け、助手席に乗り込んだ。



 崖下には、海に加えて、こちらを威嚇するように尖った岩が乱立している。足を滑らせたら、痛いでは済まないだろうな、と思わせるような場所に“ソレ”はあった。
 崖の真ん中部分には、岸壁に見せかけたハッチがある。その偽装した岸壁の一部分が真ん中から割けると、ハッチが開き始めた。
 開ききったハッチからは、カタパルトの射出口が顔を覗かせている。
 空母に搭載されているカタパルトは蒸気による圧力を利用したものが一般的である。
 しかし、南地区の地下にある青柳重工お抱えの秘密基地から伸びているカタパルトは、電磁力によるカタパルトとなっていた。
 蒸気式のカタパルトに比べ、電力消費が激しいのがネックだが、そこを改良するべく青柳重工内部では日夜研究に明け暮れていた。
 まだまだ試作段階だが、ひとまず形になったカタパルトから、飛行テストを終えたばかりのストライクウルフが飛び出して行く。
 一機、二機、三機目、四機目……次から次へと射出されていく白亜の機体。
 意気揚々と大空へ飛び出していく、翼の生えた狼。彼らを、自機のコクピットからキャノピー越しに見送りつつ、自分もまたカタパルトから飛び立つ順番待ちをしていた青柳の耳に無線機の呼び出し音が聞こえた。
「こちら、クラノス1。どうした?」
『緊急です。工場地帯に、軍特殊部隊が乗り込んで――』
「放っておけ」
 秘書の悲鳴じみた声を封殺し、青柳はコンソールを弄り、機体の最終チェックを進めていく。
「このまま発進する。連中の狙いは私だ。私のいない南地区を探し回ったところで、意味はない」
『しかし、企業の秘密は……』
「軍隊というところは現場主義だ。自分の手で技術を身につける。最新科学の理屈を、見ただけで飲み込めるようなヤツは、最初から軍人にはならん」
 もしいたとすれば、そいつは研究者にジョブチェンジすべきだろう、と青柳は内心に付け足しておいた。
「必要以上に、敷地内部を荒らし回るようなら、その証拠は押さえておけ。法廷で闘うことになるかもな」
『その辺りに、手抜かりはありませんが……』
 だからといって、自分たちのテリトリーを土足で踏み荒らされれば、気分が悪くなるのも頷ける。不承不承、といった様子の秘書の声に「証拠、抜かるなよ」と青柳は重ねて言った。
「陸部をつるし上げるためにも、な」
 そう言って、青柳は秘書との交信を終えた。
 カタパルトへと続くエレベーターに機体を乗り入れる。
 エレベーターが上昇し、カタパルトに到達する。
 一直線に続く電磁レールの先に、青空が見える。
 管制室からの『進路クリア。クラノス1、発進どうぞ』という声に対し、青柳は腹に力を込め、宣言する。
「クラノス1、発進する!」
 電磁カタパルトが作動する。
 フックに引っかけられた機体が、電磁気の力によって動き始めた。
 スロットルを解放し、推進剤をエンジンに流し込んでいく。
 機体が加速する。
 ぐん、と体がシートに押しつけられた。
 瞬く間にストライクウルフは大空へと飛び立った。



『ハウンド1、応答せよ。こちらはコナサノ航空基地の管制塔だ』
 今し方、後にしてきた基地からの無線通信だった。ハウンド中隊の隊長を務める鏡光太郎(かがみ こうたろう)大尉の『こちらハウンド1』という応答が、西園寺卓(さいおんじ すぐる)の耳朶を打つ。
『なんだ? こっちはヒヨッコ抱えて忙しいんだ。手短に頼む』
『緊急事態だ。空部の防空レーダーに、国籍不明の機影が確認された』
『どこだ?』
『ヤマシロ上空だ』
 管制官の声に、鏡は絶句する。
 ヤマシロは日本の領空内部である。当然ながら、防空レーダーは領空の外側までカバーしているので、機影がいきなりヤマシロの上空に出現するなど、本来ならばあり得ない。
 監視の目をごまかしたか、監視員が居眠りをしていたか。そうでもなければ説明のつかないくらいには非常事態であり、鏡は『どこに目ん玉つけてたんだよ……』と悪態を吐いた。
『で? 何機いるんだ?』
『確認された機影の数は十二だ』
『結構な数だな……。それで? こっちにどうしろって?』
『現場に急行し、制空権の維持に努めよ』
『無茶言うな。ヒヨッコ抱えてんだぞ?』
『飛行経験の浅いパイロットは基地に戻せ。こちらから、別の機体をスクランブル発進させる』
『何があろうとも、既に上がってる俺達を使うつもりかよ……分かった分かった! おい、聞いてたな、ヒヨッコ共?』
 一拍置いてから、鏡は続ける。
『時間もない。ここで臨時に部隊編成を行なう。黒木と白井は俺に着いてこい。あと、使えそうなのは……』
 少し思案してから、鏡は言った。
『おい、西園寺! 聞こえてるか?』
 名前を呼ばれた卓は「は、はい!」と少し上擦った声を出した。ここで名前を呼ばれたということは、自分も前線に向かうということだろう。
『お前、海部の航空隊にいたんだよな? なら、まんざらヒヨッコってわけでもない。お前も来い』
「了解!」
 自分でも声が弾んだのが分かった。
『しかし、西園寺中尉は……』
 否定的なニュアンスを含ませた管制官の声だった。『その、実戦経験は無いのだろう? 無理に同行させる必要はないのではないか?』
『バカ野郎、誰にだって初めてってのはあるもんだ』
『だが、何もこんなタイミングでなくとも……』
 ヤマシロ上空に侵入されるまで、そこに航空機が存在していたことにすら気付かなかったという不始末にして緊急事態。その対処行動に、実戦経験のないパイロットを投入することに不安があるのだろう。
 卓はチッと舌を鳴らす。
 管制官にとって、経験不足のパイロットを実戦に放り込むことはピンチ以外の何物でもない。
 しかし、これは卓にとっては千載一遇のチャンスなのだ。
 戦闘機すら繰り出してくる荒くれ者の海賊たち。その討伐のため、海部は空部以上に、ドッグファイトに遭遇する可能性が高い。
 自由自在に戦闘機を駆り、敵を次から次へねじ伏せる撃墜王。そんな存在に憧れを抱き、卓は海部の門戸を叩き、航空隊への配属を希望した。
 その希望は、半分だけ叶った。
 海部所属のパイロットにはなれた。しかし、明けても暮れても、訓練と哨戒飛行ばかりで、実戦にかち合ったことはなかった。
 父親である西園寺厳蔵の軍人時代のコネで、卓は海部から空部へと異動させられてしまった。厳蔵にどんな思惑があったのかは、卓には知る由もなかったが、いずれにしても卓は実戦というものを経験することがないまま、空部へ転属となった。
 空部にいては、空戦とは無縁となる。空戦のない空部など、存在に矛盾がある、と卓は思うのだが、嘆いたところで敵が降って湧くはずがない……と思っていた。
 よもや、本当に敵が降って湧くなどとは、思いもしなかった。
 このチャンスを逃したくはない。
 管制官の『三機で現場に向かえ。すぐに後続を送る』という声に卓は「自分が行きます!」と言ってやった。
「自分は、問題ありません」
『そっちに問題なくとも、こっちが問題なんだ』
 苛立ちの混ざった管制官の言葉だった。
 すると、鏡が話に割り込んできた。
『本人がやるっつってんだから、やらせてやれ。というか、猫の手でも借りたいくらいだ。そっちが嫌でも、俺は連れて行くぞ』
 鏡の言葉に、なおも管制官が反論しようとした矢先だった。不意に管制官の声の奥にノイズが混ざる。
『……きだ……! ……っしん……げ』
『なんだ? どうした?』
 鏡が無線機に尋ねると、管制官が『まずいことになった』と答えた。
『先程の十二機なんだが……八機と四機に別れた。八機はなおもヤマシロ上空だが、四機がコナサノ基地に向かっている』
『何だと!?』
 鏡の驚く声が反響した。
 あちらさんもバカではないということか。制空権を奪うためには、敵の戦闘機と直にやり合うよりは、ハナから戦闘機を発進させない方が都合がよい。
 すなわち、別れた四機はコナサノ航空基地へ空襲に向かったのだろう。
 鏡が吠える。
『スクランブル急げ! 上から被られたら、ヤマシロの制空権どころじゃねぇぞ!』
『わかっている!』
 管制官も怒鳴り声で応じた。『やむを得ない。西園寺中尉、ヤマシロへ向かうことを許可する。くれぐれも墜ちるなよ!』
 管制官の言葉に、卓は口の端を歪めた。
「了解!」