West area

ナインズの攻防 ‐ Scene 1

 今日は、白百合学園の終業式だった。
 一年間の締めくくりとなる式だったが、午前中には終わってしまう。午後になってから暇を持て余す学生達が、午後からどうするのか、あるいは春休みをどう過ごすのか、といったことを教室で談笑していた。
 神坂潤も、そんな面々の一人だった。
「ところで、この後、どうする、世田谷?」
 潤は近くの席にいた世田谷に話を振る。
 世田谷は携帯電話とにらめっこしつつ、潤に「そうだな……」と生返事を寄越してきた。
「なに見てんの?」
 潤は訊いた。
「ああ、ニュースだよ」
「へぇ? 珍しい」
 潤がそう言うと、世田谷はジロと潤を見た。
「どういう意味だ、そりゃ。俺だって、たまにはニュースくらい見るっつの」
「それで、なんか面白いニュースでもあった?」
「いや、面白いっつーか……ホレ、例のヤマシロ・ファイトで、速報が出てたからさ」
 ヤマシロでの空戦や、湾岸線でのカーチェイスなども含めた、一連の事件。これは、メディアではヤマシロ・ファイトと呼称されるようになった。
「なんかさ、レッドフェザーだっけか?」
「ああ、ゲリラグループの?」
 潤が訊き返すと、世田谷は「そうそう」と相槌を打つ。
「そのレッドフェザーの幹部を、ヤマシロ市警が逮捕したんだと」
「ああ……ついに捕まったんだ、あのゲリラグループ」
 今でも鮮明に思い出せる。
 二月祭を襲った凶行。
 レッドフェザーによる白百合学園テロ事件。
 六木本劾が殺された事件でもある。
 以前からレッドフェザーを取り締まろうと、ヤマシロ市警は躍起になっていたが、白百合学園でのテロ事件を境に、それこそ血眼になってレッドフェザーの尻尾を掴もうとしていた。
 幹部が捕まったというのだから、下っ端が捕まるのも時間の問題と言える。
 ヤマシロ市警の悲願が、成就したということだ、と潤は解釈した。
「それでよ」
 そう言って、世田谷は話を続ける。「幹部は数名、逮捕したらしいんだが、市警が名前を公表してるのは、リーダー格の男だけなんだわ」
「なんて名前?」
「赤羽真澄とかなんとか。あとは分からん」
「へー?」
 その時々の話題のタネとなり、いずれは風化し、忘れ去られてしまうであろう名前にして、一つのゴシップ。
 白百合学園の学生としては、白百合学園テロ事件での被害者は自分たちである。すなわち、潤たちは被害者なのだ。
 だが、その犯人が捕まったというのだから、それで良いと思えてしまうのも、潤の本心であった。
 被害者でありながらも、その実、赤の他人であるという感覚。
 それが、この時、潤が赤羽真澄という人物から連想できたものだった。



 ヤマシロ市警の取調室。
 壁を背にして、赤羽真澄は座っていた。
 テーブルを間に挟み、赤羽の対面に座っている背広姿の男が一人。その男の傍で、苦虫を噛み潰したような顔をして立っている男が一人。
 座っている方の男はJBIから派遣されてきた捜査官で、津堂洋一(つどう よういち)と名乗っていた。
 立っている方の男は、ヤマシロ市警の長門純一と名乗っていた。
「それで?」
 津堂は指の先で、テーブルをこんこんと叩きながら、赤羽に訊いてきた。
「自分はどんな刑であろうと、甘んじて受け入れる代わりに、部下達を見逃して欲しい、と?」
「ええ」
「……そんな話に、応じると思うか?」
「そりゃ、勝算も無しに、こんなことを言い出したりはしないわよ」
「悪いが、赤羽。お前に勝ち目はない。ゲリラ活動をしていたのは、レッドフェザーの全員だろう? 一人だけを監獄送りにして、あとは見逃せ、というのが無理な相談だ」
「あら、横紙破りはJBIのお家芸じゃなかったかしら?」
 赤羽の軽口に付き合うことなく、津堂は言葉を続ける。
「そもそも、お前と取引きに応じたところで、こちらに何のメリットがある? 犯罪者を野放しにしたとなれば、JBIの権威はガタ落ちだ」
「メリットなら、あるじゃないの」
「どんなメリットだ?」
 津堂が訊き返すと、赤羽はニヤリとした笑みを浮かべた。
 猛者揃いのゲリラを総括していた男の笑みには、凄味があった。
「殺人事件を未遂に終わらせることができる」
 赤羽の言葉に、津堂の後ろに立っている長門が怪訝そうな顔になる。
 しかし、津堂は動じたような素振りも見せず「わけがわからん」と答えた。
 赤羽は続ける。
「そっちの、お間抜けさんには何のことか分からないでしょうけれど」
 赤羽はチラリと長門のほうを見てから、津堂の方に視線を戻す。
「あなたなら、もう分かってるんじゃないの?」
「だから、何をだ?」
 苛立ちを含ませた声で、津堂は訊き返した。
 赤羽は言う。
「確か、クリスマスだったわね。聖夜に若いカップルが河原の下で……何をコソコソしていたのか。まぁ、余計な詮索は無粋ってもんよねぇ?」
「それがどうかしたか?」
 津堂は眉間に皺を寄せたまま訊き返してきた。
「その夜、彼ら二人はさぞかしお楽しみだったんでしょうね。そして彼らは文字通り……“逝って”しまった」
 そこで初めて、津堂は表情を強張らせた。
 何のことか分かっていないらしい長門は、首を捻っていたが、津堂は溜息を一つ吐いてから「わかった」と言った。
 津堂は長門に言った。
「赤羽真澄、以下、ゲリラグループ『レッドフェザー』の身柄は、JBIで引き取らせてもらうぞ」
「……え?」
 頓狂な声を発してから、長門は津堂を睨んだ。
「……ちょっと待ってくださいよ、津堂のダンナ。こいつ等、ヤマシロを好き勝手に荒らしていたゲリラなんだ。ヤマシロの治安を守っている自分たちに任せてもらえませんかね?」
「そうもいかない」
 にべもなくそう言ってから、津堂は赤羽の方に目線を戻す。
「レッドフェザーは、数日前にKAMUIグループ本社ビルに押し込み強盗をしている」
「なら、その件も含めて自分たちが――」
「だから、そうもいかんと言っている」
 長門の言葉を封じるように、津堂は強い口調でそう言った。
「KAMUIの状況は、そちらだって分かっているはずだ。十一年前のテロに一枚噛んでいるという話も出てきている。KAMUIに関することは全て、JBIで一括して調査することになっている」
「こいつ等も、KAMUIと関係あるとでも? たかが、KAMUIに押し込み強盗をしたという程度で?」
「そうだ、その程度で、だ。これで満足か?」
 長門も津堂もヤケクソ気味な口調でやり取りをした後、二人は口を閉じ、睨み合った。
 先に目を伏せたのは長門だった。
「……どうぞ、お好きに」
 そう言って、長門は取調室から出ていった。



「……なぜ、知っている?」
 JBIのヤマシロ支部に場所を移したものの、取調室を使うのに変わりはない。
 殺風景な部屋であることは、JBIであろうと、ヤマシロ市警であろうと違いはなかった。
 とはいえ、津堂の態度はヤマシロ市警にいた時よりも少しは丸くなっていたが。
 赤羽は答える。
「知ってるも何も、霧島栄斗はうちの人間だったのよ。いや、むしろ本名の神坂修司(かんざか しゅうじ)の方が、あなたには分かりやすいかしら?」
 赤羽の向かいに座っている津堂は目を伏せる。
「……神坂は死んだハズだ……」
「そう、あなたたち、JBIが殺したのよね。ま、正確には殺人未遂ってトコロでしょうけど」
「まさか、生きていたとは……」
「急所は外れていたそうよ、医者モドキの話だとね」
「もどき? モグリの医者か?」
「今、その医者の情報は必要かしら?」
「いや、いい。またの機会にしよう」
「そう、残念。怪我した時に重宝するのに」
 そう言って、赤羽は肩をすくめた。
「それで、だ」
 津堂は目線を赤羽の方に向ける。「神坂修司のことを知っているのは、お前だけなんだな?」
「ええ。レッドフェザーの他の面々は、霧島栄斗としての側面しか知らないわ。誰も、神坂修司のことは知らないわよ」
「……確かなんだな?」
「保証するわ」
「お前の要求は、お前の身柄と引き替えに、部下達の解放、だったな?」
「そうよ」
「自由を約束することはできないが……善処しよう」
「期待してるわね」
 そう言って、赤羽はニヤリと笑う。
 交渉は、成立した。



 ヤマシロ市警察本部刑事部。
 そこの捜査第一課第三係の係長を務める平野俊太郎(ひらの しゅんたろう)は、部下からの報告に目を丸くした。
「赤羽の身柄をJBIに預けただと?」
 部下である長門純一は「はい」と答える。
「取調室に、ズカズカと入り込んできたかと思えば、そのまま『これはうちの管轄だ』の一言で」
「それで預けちまったら意味がない。聞き出したいことは山ほどあったんだぞ」
「そりゃあ、そうですが……」
 反駁する長門の目には、こちらを批難する色合いがあった。
 仕方ない、の一言で片付けることができれば苦労はない。だが、仕方ないの一言で割り切らなければならないこともある、か。そう思うことにした平野は「もういい、長門」と言った。
「JBIの要請じゃ仕方ない。次の仕事に取りかかってくれ」
「その次の仕事なんだがなぁ」
 不意に横合いから声が飛んできた。
 平野と長門がそちらに首を向けると、ヤマシロ市警のトップである水戸本部長が、刑事部長を伴ってこちらに近づいてくる姿があった。
 刑事部の大部屋に、わざわざ本部長がやって来るなど珍しい。平野や長門だけに限らず、第三係の面々が何事かとこちらに顔を向けていた。
 そんな中で水戸本部長は言った。
「君たち、JBIがかっさらっていった赤羽という男のこと、気にはならんか?」
 平野と長門は顔を見合わせる。それから二人は首を水戸の方に戻し、「そりゃ、気になります」と声を揃えた。
 すると水戸は口元を怪しく歪める。
 水戸は刑事部長の方を見た。
「彼らに任せても良いかな?」
「……私は反対ですが……」
 あからさまに嫌そうな顔をして、刑事部長は言う。「ゲリラグループ対応だけに限らず、市警の刑事たちは山ほど案件を抱えています。その上、JBIの調査など……」
「だがな、刑事部長」
 刑事部長の言葉を水戸は遮った。「考えてもみたまえ。レッドフェザーは本来ヤマシロでの案件だ。それを、非常事態を巻き起こしたKAMUIグループと関わっていた、という理由だけで、レッドフェザーを強引にかっさらっていったというのは……おかしいと思わんかね?」
「抱えている情報を隠したがるのは、どこの組織でも同じでしょう。無理をさせてまで、市警捜査員の仕事を増やす必要は無いと思いますが」
 水戸と刑事部長の話はどこまでも平行線だった。市警トップ連中の会話をはらはらする思いで見守っていた平野が、自分たちなら平気ですから、と言おうとした時だった。
 水戸が相好を崩した。
「まぁ、本来なら、私も刑事部長と同意見だよ」
「……と、言いますと?」
 怪訝そうな面持ちになって刑事部長が訊き返す。
 水戸は少しの間、視線を宙に彷徨わせる。それから「ま、話してしまっても良いか」と呟いてから、言った。
「こんなことを話すと、刑事部長はいい顔をしないかもしれんがね。このヤマシロ市警に特殊部隊を設立しようと思っている」
 それを聞いて、ただでさえ渋い顔をしていた刑事部長が更に嫌そうな顔になった。
「まるで、我々、刑事はアテにならない、と言ってるように聞こえますが?」
 刑事が犯人を逮捕する。
 それをしっかりと遂行できているのであれば、犯人確保に軍隊まがいの人間が必要になることはない。
 だが、現実はそうそう上手くはいかない。凶悪な犯人を無力化するには、刑事の力だけでは不可能な場合もある。その時に特殊部隊が必要になる、という理屈は、刑事部長に限らず、平野や長門にだって理解できる。
 しかし、気持ちの問題なのだ。
 自分たちの仕事を否定されて、気分を良くするような人間はジョブチェンジを考えたほうがいいだろう。
「気を悪くしないでくれ。君たちをコケにしているつもりはない」
 水戸は刑事部長にそう言いつつ、話を続ける。
「だが、必要になる。本当なら、十一年前のテロの時の経験を踏まえて、もっと早くに作っておかなければなかった。先日の学園でのテロを思い出す度、対テロ部隊があれば、と思わずにはいられん」
「経理の連中も、いい顔はしませんよ? 特殊部隊構想は結構ですが、金食い虫であることに変わりはない」
「必要な金なら、どうとでもなる。むしろ問題は、人材の方だ」
「人材募集の張り紙でもやりますか? それで集まるようなら、苦労はありませんよ」
 刑事部長は皮肉って笑った。
 すると、水戸も片頬に笑みを浮かべて答える。
「そう、苦労は無かったんだよ」
「ん?」
 水戸の言わんとすることが分からず、刑事部長は間の抜けた声を漏らす。
 刑事部長と同じく、水戸の言葉の意味を推し量りかねた平野と長門も、互いの顔を見合わせた。
 水戸は言った。
「驚いたことに、JBIから人材を寄越してきた」
「JBIにしては随分、気前の良い話ですね?」
 刑事部長の言葉に水戸が「だろう?」と相槌を打つ。
「しかも、その人材は、つい先程、この市警本部に到着している」
 刑事部長の眉がピクリと動いた。
 水戸は続ける。
「妙だとは思わんか? JBIが赤羽を回収し、それを見計らったかのように、こちらにプレゼントを届けてくれた」
「……口止め料ってことですか?」
 平野は水戸に尋ねてみた。
 水戸は平野の方に顔を向けると「私はそう思う」と答えた。
 水戸は刑事部長の方に首を戻す。
「JBIからのプレゼントを、素直に受け取る気持ちになれないのは、私の性格が歪んでるからだと思うかね? 刑事部長」
「あ、いえ……」
 さすがに妙だと、刑事部長も感じ始めたのだろう。少しの間、思案してから刑事部長は平野に言った。
「捜一の課長には私から話をつけておこう。君に、JBIの調査を命じる」
「私に、ですか?」
「そうだ。本部長きってのご指名となれば、断れんぞ」
 断わるつもりだったのはどこの誰だ、と言いたいのをぐっと堪えて、平野は「わかりました」と答えた。
 平野の返答を聞いた水戸は、平野に言った。
「刑事部長の言っている通り、ヤマシロ市警の刑事たちは案件を山ほど抱えている。今回の件に、注ぐことのできる捜査員は多くはないが……必要なものがあれば、遠慮無く言ってくれ。善処する」
「ありがとうございます」
 水戸本部長に礼を述べ、平野は長門の方に振り返る。
「というわけだ。長門、第三班の面々に招集を掛けろ」
「わかりました」
 軽快な返事をした長門は、輪を離れ、自分のデスクへと向かった。
 長門の後ろ姿を見届けた水戸と刑事部長も「頼んだぞ」と平野に言い残し、その場を後にした。
 椅子の背もたれに体を預け、ふぅ、と息を吐いてから平野は呟いた。
「……デカいヤマになりそうだ」
 その声は、どことなく嬉々としていた。



「おーい、神坂に世田谷。カラオケ行こうぜ、カラオケ」
 放課後の教室で、潤と世田谷に話しかけてきたのは桜井充(さくらい みつる)だった。
「ん? なにしてんの、世田谷?」
 相変わらず携帯とにらめっこしている世田谷を見た桜井が、そう言った。
 世田谷に代わり、潤が答える。
「いや、なんか、珍しく世田谷がニュースとか読んでるんだよ」
「世田谷がニュース? 珍しいこともあるもんだ」
「うっせぇよ、桜井。ちゅーか、お前も潤と同じ反応すんなよな」
「どういう意味?」
 桜井が訊き返すと、世田谷は言う。
「人が携帯でニュース眺めてるのが、そんなに珍しいか? 俺だってたまにはニュースくらい――」
「歌の上手い美少女がCD発売したとか、そんなニュースだろ、どうせ」
 桜井の言葉に対し、世田谷は「おいおい」と呆れた声になった。
「人をなんだと思ってんだ、お前は……」
「えーと……女好きで、女だったら誰彼見境なく声を掛ける軟派野郎」
 この上なく的確な表現をしてみせた桜井に、思わず潤は吹き出してしまった。
「あ、潤、テメ! 笑うな! そこ笑うとこじゃねぇぞ!?」
 世田谷の苦言に、潤は笑いつつも「ごめんごめん」と返した。
「というか、桜井! 女好きって意味じゃ、お前も俺と同類だろうが!」
「一緒にすんな、お前と。俺は二次元美少女と剣道ガールにしか興味ない」
「二次元美少女はともかく……なんで、剣道ガール?」
 潤が尋ねると、桜井がこちらを見た。
「察しろよ、バカ」
 そう言って、桜井は一瞬だけ、チラリと横を見やる。
 桜井の視線の先を、潤も目で追った。
 クラスの女子たちと談笑している桜ノ宮永久の姿があった。
 剣道ガール、という単語に、潤は納得した。
 桜ノ宮永久は剣道部所属だったはずである。
「好きなの?」
 潤の問いに桜井はグッと拳を握りしめて「いえすっ!」と言った。
 すると、胡乱な目付きで世田谷が口を開く。
「ツラは悪くねぇが……貧乳だろ?」
「バッキャロー! 女は乳じゃねぇぞ、コラ! なめてんのか、オイ!?」
 桜井の怒声に世田谷も目を釣り上げる。
「あぁん? なんだ、その喧嘩腰は?」
「なんだ、やるか?」
「やるかぁ? 貧乳好きが」
「うるせえよ、巨乳マニア」
「……なんで良さが分からん?」
「……てめぇこそ、なんでだよ?」
「あのましゅまろが良いんだろ!」
「たわけぇっ! 邪魔だ!」
「邪魔とはなんだ、男のロマンだろ!? おぉ!?」
「やかましい! ロマンを求めるなら小さい方が良いだろうが!? あぁ!?」
「冗談じゃねぇ! 小さかったら揉めないだろうが!?」
「アホ抜かせ! 小さいものを揉んで大きくしてやるのが醍醐味なんじゃねぇか!」
「そんな『俺が育てるんだ!』みたいな論理引っ張り出してくんじゃねぇよ、気長に待てるかっつの!」
「テメェが短気なだけだろうが! だいたい、最初っからデカけりゃ、面白くもなんともねぇだろうが!?」
「こっちは面白さ求めてねぇよ!」
「なんでわっかんねぇかなぁ……。いいか!? 自分の手で完成形を作り上げる喜びってヤツがあるだろう!? それがどうして理解できないんだ!?」
「そんな面倒なコトをいちいち考えてられっかよ! そこに『ドーン』と完成形があるならそれで良いじゃねぇか! ……ってゆーか、何の話だよ、おいコラ!?」
「だーかーら、おっぱいの話してんだろうが!」
「テメェが、クソがつくくらいワケの分かんねぇ持論を引っ張り出してくっからややこしくなるんだろうが、このクソオタクが!」
「んだと!? このノゾキでモドキのなんちゃってリア充が!」
「どういう意味だコラ!?」
「言葉の意味を分かりやがれクソ野郎!」
 声を張り上げる二人を眺めていた潤は、こりゃカラオケに行く前に喉を潰しそうだな、と思った。
 潤はちらと横に目を向ける。
 クラスの女子たちと一緒になって、こちらの様子をまるで汚い物でも見るような目で覗っている桜ノ宮永久の姿があった。
 ひょっとして、自分もこの二人と同類扱いされてるのだろうか?
 そう思った潤は、密かに溜息を吐いた。



「また問題を起こしたのか?」
 また、の部分を随分と強調された。
 生徒会室に呼び出しを食らい、会長用の席に座る桐原綾華の冷ややかな目と声を浴びせかけられるハメになった潤たちだった。
「取っ組み合いの喧嘩は結構だが、どうせなら別の場所でやってくれ。教室でやられては、他の生徒の迷惑になる」
 綾華の小言を、なぜ自分も聞かなくてはならないのだろうか、という気分で聞いていた潤は、ひとまず「はい」と答えておくことにした。
「それで、原因はなんだ?」
 綾華が訊くと、世田谷と桜井が口を揃えて「こいつが!」と相手を指差した。
 二人はチラリと相手を睨む。声がハモったことすらも気に入らないらしい。
「おっぱいは小さい方が素晴らしい、とかほざいたからっす」
「おっぱいはデカい方が素晴らしい、とかヌカしたからです」
 改めて聞くまでもなく、くだらない理由だなぁ、と潤は思う。
 あるがままを愛せば良いだろうに、という潤の意見は、ここでは言わないことにした。話がややこしくなりそうな気がしてならない。
 口をぽかん、と開けてから、綾華は目を釣り上げる。
「ふざけるな!」
 そして怒声を張り上げた。
 下らなすぎる理由で喧嘩を始めたのだから、そりゃ会長だってキレるよな、と潤が思った次の瞬間だった。
「おっぱいは大きい方が良いに決まっているだろうが!」
 何故か口論の輪に、自主的に会長が加わっていた。
 というか、この手の話題に、綾華が食いつかないはずがない。
 潤はいよいよ、頭を抱えた。
 桜井が、愕然とした声を出す。
「かっ……会長さんまで、ちっぱいを否定するんですか!?」
「それみろ、桜井! 大きいことは良いことなんだ!」
「そんな米軍お決まりのセリフなんぞ、聞きたかねぇ! 誰か俺の意見を共有してくれるヤツはいねぇのかよ!?」
「いるわけなかろう! いかに自分がマイノリティであるかを再認識すべきだ!」
「良く言いました、会長!」
「ありがとう、世田谷」
 すっかり意気投合している世田谷と綾華だった。
「あ、人数が少ないからって、少数派を封殺するつもりですか、アンタ達は!?」
 誰か、止めて欲しい。
 潤はこの場にいない六木本劾のことを心の底から偲んだ。
 その時、潤は誰かに肩を叩かれた。
 振り返ると、生徒会の副会長である猪狩進太郎が立っていた。
 猪狩は親指で部屋の出入り口を指差した。 どうやら、外で話そう、ということらしい。
 ヒートアップしていく三人を一瞥してから、潤は猪狩と共に部屋を出た。
 廊下に出て、猪狩は扉を閉める。
 それから潤に言った。
「ちょっと訊きたいことがある、神坂」
「あの三人のこと?」
「いや、会長達のことじゃない。というか、いつものことだから、正直見慣れている」
 あんなのを見慣れていると言うのだから、普段から生徒会室はさぞかし賑やかなのだろう。
「そうじゃなくて、お前のことで、ちょっとな」
「え? ぼくになんかあるの?」
「……いや、その、なんだ。あー」
 目を伏せ、頭をガリガリと掻きむしりながら、猪狩は言葉を選んでいた。
「率直に訊くが、神坂、なんかやったのか?」
「なんかって?」
「実は、JBIの人が、うちに来ている。オマケに、そいつ、お前を呼び出している」
 JBI、という単語に、潤はぴんと来るものがあった。
「あぁ……多分、ぼくの知り合い」
「知り合い? ……まさか、前科持ちとか言わないよな?」
「あー、そうじゃないよ」
 妙な勘ぐりをする猪狩に、潤は笑う。
「実は、僕の兄さんが、JBIの捜査員でさ。多分、ここに来てるのって、兄さんだと思う」
「へぇ? 神坂に兄さんねぇ……」
「ん? 意外だった?」
「いや、何か、姉とかがいそうなイメージあったからさ」
「姉はいないよ」
 付け加えるなら兄も一人いない――と言いそうになったが、それを潤はぐっと堪えた。
 そんなことを猪狩に言わなければならない義理はない。
 何かを言いそうな気配を感じ取ったのだろう。「なんか言いたいことでもあるのか?」と尋ねてきた猪狩に「いや、なんでも」と愛想笑いを返しておいた。