「いったいどこの阿呆だ!?」
無線機のマイクに怒声を叩きつけるタクティカル・チームの指揮官に『まずは落ち着け、タンゴ1』という冷静な声が浴びせられる。
『情報伝達に齟齬が発生したのは事実だ。詳しいことは調査中だが……君らはとにかく、中央地区に向かうんだ』
「作戦続行は難しい。仲間が大分、やられた。半分も残ってない」
『既に増援は出動させている。ヘリボーンが屋上に到着しているし、地上部隊も直に現場に到着するだろう』
「随分、気前が良いな? 出し渋りをしないとは」
『それだけ、逼迫した状況なんだ』
「そいつらと合流して、ターゲットを確保すれば良いんだな?」
『ないしは、射殺』
「おい、場所を知ってるのか?」
指揮官が確認すると、淡々とした声で無線機の向こうにいる男は『勿論だ』と応じた。
『場所は、中央地区のナインズとかいうショッピングモール。だろう?』
「知ってて言ってるのか? 客でごった返してる場所で、射殺の許可が出るとは……」
『状況が複雑でな』
タクティカル・チームを総括している男の声を聞き流しつつ、指揮官の横に座っている神坂誠は「今、西地区を出て、中央地区に入りました」と携帯電話に吹き込んだ。
「しかし……本当に、ナインズで射殺許可が出たんですか?」
電話の向こうにいる津堂に尋ねると『ああ』と答えてきた。
「正気の沙汰だとは思えない……。客の避難は?」
『現着している連中には、出入り口の封鎖を命じてあるだけだ。客の避難など、そっちのけに決まってるだろう』
いちいち客を避難させていては、客に紛れているターゲットを逃がしてしまうかもしれない。
こんな時は客もターゲットも関係無く、とにかく建物に閉じ込めておくのが定石、ということか。
得心しつつも、納得したとは言い難い誠は「ですが」と反論しようとした。
しかし、津堂は反論を許さなかった。
『まんまと出し抜かれてしまった以上、一刻の猶予もない。ナインズで仕留める』
「赤羽が嘘を吐いていたということですか?」
『嘘を吐いていたようには見えなかったが……今はどうでも良い。ともかく、ターゲットを無力化することが先だ。手段は問わん』
「霧島栄斗に扮した神坂修司を無力化しろ、ということですね」
『……そのことなんだが……なんだ? 聞いてないのか?』
「なにをですか?」
誠が問い返すと、修司は言う。
『ヘリに乗っていた連中の報告だと、ターゲットは屋上にいたそうだ。それも三人で』
「人質がいたんですか?」
『いや。だが、全てワケありの連中だ』
「どういうことです?」
『……良いか、落ち着いて、よく聞け』
良いな、と念押ししてから津堂は言葉を続ける。
『一人は、レッドフェザーの参謀長と目されている仮面をつけた人間』
「ああ……あの、ゲリラで活動していた、頭が切れると噂の?」
『そうだ。レッドフェザーも、KAMUI関連の事案である以上、JBIのターゲットになる』
「なるほど……それで、一人は霧島栄斗に扮した神坂修司だとして、あと一人は?」
『……落ち着けよ?』
「落ち着いてますよ。それで?」
『一人は、霧島栄斗。もう一人は、神坂修司だ』
「……はい!?」
気付けば、裏返った声が口から飛び出ていた。
奇妙な声を発してしまったためか、隣りにいる指揮官がチラリとこちらを一瞥した。
「……どういうことですか?」
誠は津堂を問い質す。
『赤羽が嘘を吐いていたのかどうかは分からんが……いずれにしても、赤羽の持っていた情報その物はガセだった。霧島栄斗と神坂修司は別人だったということだ』
「しかし……それならそれで、たまたま、都合良く、二人が一緒にいたということですか?」
『さぁな……。だが、まずは事態の沈静化が先だろう。調べ物は後からでもできる』
「それなら、なおのこと、射殺ではなく確保するべきでは?」
『口封じなら、後からでもできる、と?』
「ええ」
『まぁな。だが、捕まえるにしても、どうしても、というわけじゃない。タンゴに伝えておけ。臨機応変にやれ、とな』
津堂の声を聞いているうち、一般人が入り乱れる場所であるにもかかわらず射殺の許可が容易く出た理由を、誠は理解した。
傍にゲリラ活動関係者がいた、という事実がある限り、ハナから危険人物でしかない神坂修司もまた、ゲリラ関係者である、と言ってしまっても、誰も疑問には思わない。
ゲリラグループの生き残りを、銃撃戦の末に射殺したとしても、誰も問題視しないのだから。
民間人に被害を出すような真似は御法度だが、そこはJBIのタクティカル・チーム。腕っこきのタクティカル・チームなら、上手くやるだろうし、その辺りは問題ない。
だから、上も随分と強硬な手段を使う気になったということか。
誠は言った。
「分かりました」
『ウィスキーゼロだ。オール・ウィスキー、状況報告』
『ウィスキー1。オッドウィスキーは屋上から建物内部に侵入。非常階段を下っている。直に、五階に到着する』
『ウィスキー2だ。イーブンウィスキーはヘリから降りたばかりで、現在は屋上にいる』
『ウィスキーゼロ、了解した』
『こちら、ウィスキー1。内部の捜索は、自分たちだけか? 地上から昇ってくる連中はどうした?』
『ウィスキーゼロ。建物は広い上に、ごらんの有様だ。地上だけではなく、地下にも出入り口がある。出入り口の封鎖に、人員が回っている』
『捜索の人数が足りない。閉じ込めたとはいえ、捜し出すのに時間が掛かりすぎる』
『すぐにタンゴも到着する。地上からも部隊を突入させるから、上からしらみつぶしに捜し出せ』
『ウィスキー1、了解』
タクティカル・チームに属する隊員達の声が無線機から流れていた。
それを誠が聞いていると、バスが角を曲がった。
タクティカル・チームを輸送する黒バスが、宵闇の中、ナインズの前に到着した。
現場は既に、JBIの手によって、封鎖線が設営されており、黄色い「キープ・アウト」のテープが張り巡らしてあった。
そのテープの外側をぐるりと取り囲むように、何事かと中の様子を覗おうとしている野次馬連中をどうにかこうにか押しのけて、バスは停車した。
バスのドアが開き、黒ずくめの男達は勢いよく走り出ていく。
西地区での爆発もあり、人数は減っていたが、まともに動ける者は鬼気迫る勢いでナインズ正面玄関へと突っ込んでいった。
タンゴ1こと、指揮官の男が無線機片手に部下達を追いかけていく。
「逃がすなよ! ここでケリをつけろ!」
部下達に発破をかけてやりつつ、指揮官も正面玄関をくぐった。
指揮官の男に続き、神坂誠もバスを飛び降り、ナインズへと入った。
JBIの捜査官には、拳銃を携帯する権利がある。誠は、市街戦用に開発された、少し小型の拳銃を両手で構えながら、指揮官の後を追った。
建物に入ると、視界に入ったのは開放的なエントランスホールだった。
地下一階から、五階までをぶち抜いて作られたものだから、見上げた先、はるか遠くに天井がある。
天気の良い日なら、日光を取り入れることができるよう、ガラス張りの天井になっている。日中はさぞかし、明るい雰囲気を醸し出すことだろう。
吹き抜けの空間なものだから、自分が今、何階いるのか忘れてしまいそうになる。壁に掛けてある地図を見て、誠はここが一階であることを改めて確認した。
こういう場所には、もっと穏やかな気分で来たかったな、と誠は思う。
「使うなとは言わんがな……」
横合いから、タクティカル・チームの指揮官に声を掛けられた。
「しまっておけ、そいつは」
そう言って、指揮官は誠の構えた拳銃を指差した。
「餅は餅屋だ。銃は俺達に任せておけ」
「状況が状況です。自己防衛のためにも」
「そうかい。ま、分かってるとは思うが……意味もなく撃つなよ?」
そう言って、指揮官は部下たちに「散開して、捜索!」と指示を飛ばす。
それから指揮官は誠に言う。
「アンタは俺の後についてきてくれ。二階に行くぞ」
隊が半分に分けられ、半数が一階のあちこちへと散らばっていく。
もう半数は、指揮官と共に二階へと向かうべく、エスカレーターを目指した。
『アダム3、クリア!』
『アダム5、同じくクリア!』
ナインズの地下を捜索しているのは、別のタクティカル・チームだった。彼らの声が無線機を通して響いてくる。
吹き抜けの傍らに、エスカレーターがある。現在、エスカレーターは停止しているが、構うことなくタクティカル・チームの男達は、それを駆け上がり、二階へと向かう。
しかし、彼らは決して前だけを注視しているわけではない。右上を警戒する者がいれば、左下に視線を向ける者もいる。チームで協力し合うことで、敵がいないか注意深く確認していく。
エスカレーターを登り切り、先頭の男が手早く周囲を見渡す。
「クリア!」
男の声に続き、男達が次々と二階に足を踏み入れる。
事前の取り決め通り、二人一組になった彼らは、あちらこちらへ伸びていく通路に分かれていった。
誠も、指揮官の男と一緒になって、吹き抜けを抱く回廊を進んでいく。
ナインズ内部には、逃げ遅れた――というより、JBIの急襲が文字通り過ぎるほどに急だったためだが――者達が何人もいた。
『JBI』というロゴの入ったベストを身につけている男達が相手だからこそ、客は理性をなんとか保っているらしいが、それでも怯えた目を誠たちに向けている。
銃撃戦にでもなれば、客達は一斉にパニックを起こすだろう。そうなれば、いよいよもって収拾が付かなくなる。
『タンゴ2、クリア!』
『タンゴ4もクリアだ!』
『タンゴ6、クリア。一階に、いないのか?』
一階を捜索しているタンゴ隊を、指揮官は「もっと良く探せ!」と一喝する。
『こちらウィスキー1。五階を捜索したが、見当たらない』
『こちらウィスキーゼロ。イーブンウィスキーに四階を探させる』
『こちらはウィスキー2、了解した。これより非常階段から四階に突入する』
『了解、ウィスキー2』
ヘリで屋上にやって来たウィスキー隊は上層階での捜索を続けている様子だった。
視線を上げれば、五階の回廊から下を覗いている黒ずくめの姿があった。おそらく、ウィスキーの奇数番号の連中だろう。
四階に目を向ければ、似たような連中が、サブマシンガンを構えて、せわしなく動き回っている。あっちはウィスキーの偶数連中にちがいない。
四階の回廊を移動していたウィスキー隊は、奥へと続く道へと入っていった。
それを見届けた誠は、視線を前に戻そうとする。
その一瞬、視界の端で動く物を捉えた。
ちらと四階の回廊に目を戻すと、黒ずくめの男達が姿を消したのとは別の通路から、男が姿を現した。
誠は目を見開いた。
神坂修司が、そこに立っていた。
栄斗と離れ、美砂花と行動を共にしていた修司は、通路を歩いていた。
しばらくすると、吹き抜けにやって来た。
回廊に足を踏み入れた時、修司は舌を打つ。
「マズイ、な……こんな広いトコロに出ちまうとは……」
手の早いJBIのことだ。既に出入り口は封鎖していることだろう。
まっとうな出入り口以外の場所から、外に逃げだそうとして建物内部を歩き回っていると、広い場所に出てしまった。
JBIのタクティカル・チームも動いている。狙撃手がいたとしてもおかしくない。こんな広い場所にいては、頭を撃ち抜かれる、と思った修司は来た道を引き返そうとした。
その時、下の階層に、こちらを見上げてくる顔があった。
そちらをよく見ると、武装した黒ずくめの男の傍に、背広姿の男がいる。JBIの捜査官か、と思った修司は、その顔に見覚えがあることに気がついた。
その捜査官は、兄の神坂誠だった。
JBIに務める以上、鉢合わせをする可能性はあった。しかし、よもや示し合わせたようなタイミングで見知った顔を見つけてしまうとは……。
現実とは因果なものだな、と思った修司は改めて、振り返ろうとした。
すると、今度は、三階に目が留まる。
回廊の手摺りに手を置き、きょろきょろと周囲を見回している民間人。
だが、修司にとって、その少年はただの民間人ではなかった。
弟の神坂潤が不安そうな面持ちで、そこにいた。
兄の誠がいるのは、二階の回廊。そして、弟の潤がいるのは、三階の回廊だった。吹き抜けになっているとはいえ、誠と潤は、ほぼ上下の位置になるように立っている。つまり、三階の回廊の床、あるいは二階の回廊の天井が、お互いの視線を遮っており、長男と三男は、お互いがそこにいることに気付いていない。
長男と三男、それぞれの向かいに位置する場所に立っている修司だからこそ、二人の姿を視界に収めることができたのだった。
学校帰りなのか、誠は制服姿だった。同じような制服を着た男子や女子も、潤の傍にちらほらと見かけることができる。
「……クソ」
思わず、罵声が修司の口から漏れた。
これはいったい、誰の書いた筋書きだ、と修司は悪態を吐いた。
立場も境遇も違う三兄弟が、連絡を取り合ったわけでもなく、同じ場所に一同に会してしまう。ここまでくれば偶然だと笑うこともできない修司は、そこで信じがたいものをもう一つ、目にしてしまった。
陽動作戦と称し、修司と美砂花を逃がすために一暴れすると言って別れた霧島栄斗が、三階の回廊にいた。
弟の潤が、修司の目から見て、右方向へと移動する。
兄の誠が、修司の目から見て、左方向へと移動する。
栄斗が、懐から銃を取り出し、それを宙に向ける。
「修司ィっ!」
階下から、誠の叫ぶ声がした。
それが、合図となった。
ナインズとは、つい先日にオープンしたばかりのショッピングモールだった。
中央地区の一角を再開発し、寂れつつあった場所に活気を取り戻そう、という狙いがあった。
中央地区の中でも西側は、すぐ近くに治安の悪かった西地区が位置しているということもあって、寂れがちな場所と化していた。
ゲリラ討伐を契機に、西地区復興計画の第一歩として、まずは多機能大型ショッピングモールのオープンが掲げられた。
しかし今度は、オープンして間もないそのショッピングモールに、ゲリラ残党が紛れ込んでいるらしい、というのだから……つくづく、ヤマシロという街は呪われている、と潤は感じていた。
カラオケ屋で歌うだけ歌い、日も暮れてきたので店を出た……ところまでは良かった。会計を済ませた時、不意に店の外が慌しくなった。
何が起こったのか、と思った潤は回廊の手すりから身を乗り出し、上下左右に視線を飛ばす。
上の階にも、下の階にも『JBI』というロゴの入ったベストを着た男達がズラリといた。
しかし、ベストがあるから良いようなものの、他は黒ずくめにパラクラバといういでたちは、どう見ても不審者のそれでしかない。
そういえば、と潤は思い出す。
兄の誠は、何か大きな事件を抱えている、と言っていた。大きな事件とは、ゲリラ残党を見つけ出すことを言っていたのではないだろうか?
「潤」
悠奈の呼ぶ声に、思考を中断した潤は振り返る。
普段は勝気な瞳が、不安に揺れていた。
「なに? なんかあったの?」
悠奈の問いに、潤は「どうも、この前のゲリラの生き残りが、このビルに紛れ込んだらしいよ」と答えた。
「それ、マジか?」
「……ヤバくね?」
潤と悠奈の話に、世田谷と桜井が混ざる。
「逃げた方が良くないか?」
「けど、避難誘導の指示とか出てないような……」
世田谷と桜井が、顔を見合わせて話し込んでいる。
そこに、カラオケ屋から出てきた他の面々も潤たちに合流してきた。
彼らは誰もが、何が起こっているのか理解しているような、していないような、そして、不安を湛えた目をして、周囲を見回している。
「まぁ、ここに立ち止まってたってしょうがないし、移動しようよ」
そう提案し、潤は一同の先頭に立って歩き始める。
しばらく、回廊をぐるりと歩いていると、視界の隅に、数時間前に見た顔があった。
「え……? 兄さん?」
思わず立ち止まり、潤は三階の手すりから、二階の回廊を見る。
黒ずくめの男を従えた兄が、上を指差して何かを叫んでいる。
「――じィっ! 四階――」
断片的に聞こえてくる兄の言葉から、なにやら四階に問題があるらしい、と判断した潤は四階のほうを見上げた。
四階には黒ずくめの男達と、逃げ遅れて戸惑っている客たちを除けば、特に変わったことは見当たらない。
兄の誠は一体、何を指差しているのか。いまいち、理解できなかった潤は視線の高さを元に戻した。
パン!
突然、何かが弾ける音が聞こえた。
ポップコーンを作るときに、耳にするような音だった。
音のしたほうに、周囲の人間たちがぎょっとした顔を向ける。
銃口を天井に向け、屹立する男がいた。
栄斗が発砲した瞬間、客たちは何が起こったのか分かっていない様子だったが、ともかく首を栄斗に向ける。
続いて、JBI連中の怒声が木霊した。
「三階だ!」
「ウィスキー、タンゴ! どっちでも良い、三階だ!」
「ターゲットは三階! 三階だ!」
殺気立つ空気に触発されたのか、三階にいた客たちから悲鳴が上がり始めた。
絶叫は見る見るうちに伝播した。
元々、JBIの巡回で、物々しい雰囲気を漂わせていたナインズに、銃声から連鎖する恐慌を押さえ込めるだけの心理的なキャパシティはない。
三階の客たちは、我先にと吹き抜けを抱く回廊から逃げ出した。
三階の客の喧騒を目にしていた、四階や二階の客たちも、三階の騒動につられて逃げ始めた。
下の階にいる誠から指示を受けたのか、四階にいるJBIのタクティカル・チームが、修司を捕まえようとして近づいてくる。
しかし、パニックを起こした客の波にもまれ、タクティカル・チームの男達は修司に近づくことができなかった。
「修司、今のうちに!」
美砂花のこちらを呼ぶ声に、修司は後ろを向く。
修司もまた、回廊を離れ、ナインズの奥へと続く通路へと向かった。
『逃がすな、追えェッ!』
『くそっ、どこだ!?』
『見失ったぞ!?』
人波に揉まれるウィスキー隊が、怒号を飛ばしている。彼らの声を無線機が拾っており、神坂修司が逃げたことを、誠に伝えていた。
自分が立っているのは二階。ここからでは、どう足掻いても、自分の力では四階にいたと思しき修司を捕まえることも――あるいは無力化することも――できるはずない。
ひとまず、修司の方は、四階にいるタクティカル・チームに任せるとして、自分は近い方のターゲットをどうにかするべき、と決断した誠は三階に拳銃を向ける。
三階の回廊で、銃を持っている男の周囲には、まるで見えない壁でもあるかのように、人がいなかった。
今なら、銃を撃っても……民間人に当たる心配はない。
そう思った誠は引き金に指をかける。
「待て!」
横に並び立つ指揮官が制止の声を上げた。
「闇雲に撃つんじゃない!」
「だが、ヤツの周りに人はいない! 今、撃たなくて――」
「死角に民間人がいたらどうする!? おい、オール・タンゴ、急げ、三階だ!」
誠を叱咤する傍らで、指揮官が部下達に向けて声を張る。
二階を捜索するべく、散り散りになっていたタンゴ隊は、既に集合している。彼らは素早い所作で三階へと続くエスカレーターを駆け上がっていく。
「俺達も動くぞ! 撃つなら、三階でだ」
そう言って、指揮官の男は部下達に続く。
誠も銃を下げ、三階へと続くエスカレーターに走った。
途中、チラリと四階の方を盗み見る。
そこにはもう、修司の姿はなかった。
両肩に一発ずつ。
太股に一発。
屋上で修司に撃ち抜かれた傷が、恐ろしく痛む。
立っているのもやっとだというのに、よくもまぁ陽動を引き受けたものだ、と栄斗は我ながら思う。
天井目がけて一発、銃を撃った。
悲鳴の連鎖と、JBI隊員たちの怒号が飛び交うのに、それほどのタイムラグはなかった。
栄斗の周りから、一般人は姿を消し、やがて二階からやって来たJBIの男達が、二階の回廊を取り囲み始めた。
栄斗の背中方向にも、通路はある。しかし、その通路の奥へ逃げ込もうとは考えない。どうせ、そちらからもJBIがやって来るだろうし、挟み撃ちにされるのは目に見えている。
右もJBI。
左もJBI。
後ろからもJBI。
退路は無い。
だが、ここまでこいつ等を引き寄せることができれば、修司と美砂花ならば、どうにかして逃げ延びてくれるだろう。
あとは……あの二人を逃がしきるための、わずかばかりの時間稼ぎ。
栄斗は腰を下ろす。
回廊の床に座り込んだ栄斗は、ピストルを床に置いた。
「そのまま、うつ伏せになるんだ!」
降参したように見えたのだろう。指揮官然とした男が、栄斗にそう言ってきた。
無論、そんなつもりは微塵も無かったが。
体がもう少し、言うことを聞いてくれたなら……JBIの特殊部隊に囲まれても、立ち回れる自信があった。
しかし、もはや自分の物であって、自分の物ではない体である。JBIを相手に回し、派手な喧嘩をすることはできそうにない。
だが、時間稼ぎで良いなら、やりようはあった。
栄斗は、懐に隠し持っていた手榴弾のピンを引っこ抜いた。
野球ボール大の物体に目を留めたJBIの男は「やめろ……」と呟く。
声を発した男に、栄斗はニヤリとした笑みを向けてやる。
「よせっ!」
制止の声に、耳を貸すことなく、栄斗は仰向けになった。
そして、栄斗は持っている手榴弾を、宙に放った。
それから、栄斗は目を閉じる。
――クソ野郎の最期にしちゃ、味気ない終わり方だな……
ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。
だが、クソ野郎であるからこそ、華々しい幕切れなど用意されていないのだ、ということなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、手榴弾は放物線の頂点に達し……炸裂した。
逃げ惑う人々の波に逆らうことができず、羽住悠奈たちは地下一階にやって来ていた。
地下一階には、JBIの関係者がわんさとおり、彼らが客たちに「落ち着いてください! 地下一階は安全です!」と制止の声を飛ばしていた。
「最近、ほんっと、物騒だよな……」
「だけど、まさか俺達のすぐ傍で銃撃戦とはなぁ……」
安全な場所に退避して、ほっとしたのだろう。そんなことを口々に言い合っている世田谷と桜井だった。
二人の声を聞くともなしに聞いていると「あれ?」と御浜結衣が頓狂な声を上げた。
「ねえ、悠ちゃん。潤ちゃんは?」
結衣の問い掛けに、悠奈は「え?」と訊き返す。
「一緒に、いたんじゃなかったっけ?」
「そのはずなんだけど、いつの間にか、見当たらなくなってるんだけど……」
不安そうな顔になる結衣に、悠奈も周囲を見回してみる。
世田谷に桜井、生徒会の桐原綾華と猪狩進太郎。そして、姉の羽住悠里に、桜ノ宮永久。
見回してみて、知っている顔といえば、それだけだった。結衣が言うように、潤の姿がなかった。
どこではぐれたのかしら……とは思ったが、かといって、今さら潤のことを探しにいけるはずもない。JBIの男達は、客達を宥めようとしている反面、客達に余計なことをさせないように目を光らせてもいる。
ほんと……どこ行ったのかしら、あのバカ……と思った悠奈は、フンと鼻を鳴らした。
姿が見えないだけなら良いんだけど……と、悠奈はちらと潤の身を案じてもいた。
その頃、神坂潤はナインズの二階にいた。
逃げようとする客の波に揉まれるうち、悠奈たちとはぐれてしまったのであった。
悠奈たちと合流したいのだが、彼女達がどこに行ったのか、まるで見当が付かない。携帯電話でやり取りをしようにも、間の悪いことに潤の携帯は電池が切れていた。
すっかり人気の無くなった通路を、潤は歩いていた。本来なら、店舗と店舗の間を人々が行き交うことで、もっと活気に溢れるはずの場所が、今はシンと静まりかえっている。
「ん? おい、潤!? 潤じゃないか」
前方から姿を現し、潤に声を掛けてきた者がいた。
その男はこちらへ小走りで近づいてきた。
さきほど、三階から見下ろした時にいることは気付いていたが、兄の神坂誠だった。
「兄さん」
「何をしている? こんなところで……」
「あー……実は、友達とカラオケに来てて」
「カラオケ? ……ああ、そういえば、三階にあったな……確か」
「ところで、何があったの?」
潤が尋ねると、誠は「ん? JBIの人間から聞いてないか?」と訊き返してきた。
「まぁ、だいたいのところは……」
「なら、その通りだ。ゲリラに関わってた連中が、このビルの内部にいる。ここでどうにかして捕まえる必要があった。だから、こんなことをしたわけだが……そうか、お前もここにいたのか……」
これは少し厄介なことになった、という誠の言葉は、独り言だった。
「まぁ、一人はどうにかした。あと二人はいるはずなんだが……まぁ、そっちは他の連中に任せよう。それで、潤? 友達と一緒だったんだよな? そいつらは、一緒じゃないのか?」
「ああ、はぐれちゃったみたいで」
「そうか……。関係のない客は、地下一階に避難するようになってるはずだ。多分、お前の友達も、地下だろう」
そこまで、連れてってやろう、と言うと、誠は通路の奥へと進み始めた。潤も兄の背中を追う。
この通路の先には、エスカレーターがあったはず。今は止まっているだろうが、それでも歩いて降りることはできるはずである。
そのエスカレーターの傍に、二人が近づいてきた時だった。
通路の奥は、トイレと非常階段に通じている。その通路から、一人の男が姿を現した。
その男は、こちらの姿が視界に入ると、ぎょっとした顔をした。
男の気配を、誠も感じたのだろう。誠がそちらに首を向ける。
誠は、目を見開き、次に表情を険しくする。
何事か、と思って、潤はその男の顔を注視した。
それから、潤は目を丸くした。
思わず、手を口に持ってくる。
次に、あり得ない、という言葉が、口から漏れ出そうになった。
死んだはずの男が……
潤の、もう一人の兄が……
神坂修司が……そこに立っていた。
二人で一緒に行動していては、逃げるに逃げられない。
美砂花と途中で別行動を取ることにした修司は、非常階段を駆け下り、二階にやって来た。
一階や地下一階は、JBIで溢れている。
三階も、栄斗が銃を撃ったことで、人目を引いている。
二階なら、人の目も少ないだろうし、その気になれば、窓から外に飛び降りることも、不可能ではない。
だから修司は二階にやって来たのだが……それが、マズかった。
よりにもよって、兄の誠と、弟の潤と、見事なまでの鉢合わせをしてしまうとは。
もはや呪われているとしか思えない巡り合わせに、修司は溜息を吐きたくなったが、それをぐっと堪えて、まずは持っていた銃を誠に向けて構える。
タイミングを同じくして、誠もこちらに銃を向けてきた。
何が起こっているのか、潤には理解が追いついてないらしい。目を白黒させている潤を見た修司は、やはり誠から余計なことを何一つとして聞かされていないらしいな、と判断する。
先に口火を切ったのは誠だった。
「動くな!」
お決まりのセリフを寄越してきた誠に、修司は冷ややかな目を向ける。
「……実の兄に、向けるモン向けておいて言えた義理じゃねぇが……実の弟に、物騒なモンを向けるのか、兄貴?」
「そっちこそ銃を下ろせ」
「下ろすか、アホ。潤の手前、必死になって押さえているようだが、潤がいなけりゃ、お前は容赦無く撃ってるだろ」
気を抜けば撃たれる。
実の弟が相手でも、誠ならば撃ってくる。
そんなヤツを相手にしているのに、銃口を下げる気にはなれない。常に、銃と目で相手を威嚇し、牽制し続けなければ、撃たれてしまう。
「……兄さん? やっぱり、修司兄さんなの?」
ここで、やっと口を開くことを思い出したらしい潤が、修司に声を掛けてきた。
修司は潤の方を一瞥し、軽く微笑んでやる。
「よぉ、潤。お前とは、随分と久しぶりだな」
「そんな……! いや、でも、兄さんは死んだって……」
「ああ、死んだことになってるらしいな。葬式もあったらしいし、墓もあるんだって?」
「それなのに……どうして?」
再度、潤が尋ねてきた。
修司は答える。
「そこのクソ兄貴に殺されかけたが、それだけだ。なんとか生きている」
「え……?」
潤は口をポカンと開けてから、横に立つ誠を見る。
苦々しい顔なった誠の目が、余計なことを言うな、と語っていた。
修司は続けて言う。
「……ま、いくらなんでも、言えないよな。兄の口から、自分の弟に、もう一人の弟を殺しました、とは」
「どういうこと、兄さん!?」
潤が二人の兄を見比べて、詰問してきた。
修司は、潤の疑問に答えを述べてやろう、と思ったが、それよりも先に誠が「黙っていろ!」と潤をどやしつける。
「現にお前は死んでないだろう!? 何故なんだ!?」
逆上しつつある誠に、下手なことを言ってはマズイな、と修司は思った。
慎重に言葉を選びつつ、修司は言う。
「仕留めそこなったのは、JBIの方だろう。タクティカル・チームの射撃能力を疑った方が良いぞ」
「今は、そんなことどうでもいい! とにかく、大人しく銃を捨てろ」
「……なぁ、クソ兄貴」
眉間に皺を寄せ、修司は溜息混じりに兄に言う。「しゃかりきになりすぎてる。もっと広い視野を持てよ」
「やかましい、殺人鬼が」
「……聞く耳を持たない、か……。家族の忠告だってのによ」
「家族だからこそ、だ。家族だからこそ、色眼鏡はかけない。捜査を混乱させないために」
「それが色眼鏡っつうんだよ。証拠を押さえたつもりだろうが、どれもこれも証拠としちゃ弱いだろ。だいいち、俺は何もしていない」
「嘘を吐け! 犯罪者はみんなそう言うんだよ」
「じゃあ、自分はどうなんだ?」
銃口を誠にひたと据えたまま、修司は訊いてみた。
「兄貴は潤に、今まで俺のことを何と言ってきた?」
途端に、誠の口が止まった。
ここぞ、とばかりに修司はトドメのセリフをぶつけてやることにした。
「よくもまぁ、それで『誠』という名前を名乗ってこれたな、アンタ」
修司の言葉に、誠の額がピク、と微動する。
刹那、誠が叫んだ。
「名前のコトを言うなァァァァァッ!!」
誠の叫びを耳にするよりも前に、修司は地面を蹴り飛ばし、バックステップする。
誠が、拳銃の引き金を絞った。
バン、バン! という音が連続して響き、修司の立っていた場所を弾が通過する。
通路の奥に体を引っ込ませる。誠との間に壁があるような位置に、修司は飛び退いた。
通路脇のトイレに体を隠しつつ、修司も応射する。
誠の足下を狙ったが、誠には当たらなかった。銃弾が床で跳ね返り、あらぬ方へと飛んでいく。
近くのガラスに弾が命中したらしく、ガラスの砕ける音が聞こえた。
いきなり始まった銃撃戦に、すっかり腰を抜かしたらしい潤は床にへたり込んでいた。
失禁していないあたり、存外、弟のハートはタフに作られているらしいな、と修司は妙に冷静にそんなことを考えていた。
「下がっていろ、潤!」
念のため、弟には忠告の声を飛ばしておいた。
すっかり血が上っているらしい誠の頭からは、潤の身の安全、というものが抜け落ちているような気がする。こりゃ、下手に応射すれば、潤に銃弾が当たりかねないな、と思った修司は、ここからはどうしたものか、と考えを巡らせる。
トイレに飛び込んだものの、トイレ自体は行き止まりになっている。通風口があるにはあるが、大の大人が通り抜けることができる大きさではない。
トイレを出て、通路の奥にある非常階段へ向かうべきだろうか? と考えたが、今の誠には躊躇というものがない。下手に体をさらせば、その瞬間に撃ってくることだろう。
咄嗟の判断だったとはいえ、袋小路に体を飛び込ませたのはマズかったか……。ちらりと後悔しつつも、修司は脳内で拳銃の残弾数を数えた。
屋上で、栄斗を撃った時に三発。
今、誠の足下を狙った時に二発。
五発撃った計算になる。
八発用のマガジンを使っているので、残りは三発、か……ということを瞬時に計算した修司は、余り時間の猶予は無いだろうな、と思い始めていた。
おそらく誠は、自分がJBIの抱える陰謀の一端を担っている、とでも思っているのだろう。
しかし、それは違う、と修司は思う。
JBIを守るために、誠は動いているつもりだろうが、それが報われるかどうかは微妙なものだった。
はっきり言って、誠は“もう一つ”の陰謀に躍らされている。
首魁が誰であるのかまでは、修司には分からない。だが、該当しそうな連中など、腐るほどにいそうだ、とも修司は考える。
いっそのこと、誠を“こちら側”に抱き込むべきか? そう考えてみるが、怒りに奮えている誠を説得するのは、時間もかかるだろうし、骨折り損になりかねない。
いずれにしろ、時間がない。
この場に、神坂家の三兄弟が一同に会している、ということがJBIのタクティカル・チームに知れ渡れば、三人まとめて射殺することを採択しそうな連中に、修司は嫌と言うほどの心当たりがあった。
せめて、自分だけでもここから逃げ出さなければ、と修司は焦りを覚える。誠はともかくとして、何の罪もなければ、何も知らない潤にまで、火の粉が降りかかる。
それだけは何としても防がなければならない。
白旗を掲げるつもりもなかった。
あれもダメ、これもダメ。これじゃ、そこらのワガママお嬢様と発想が同じだよな、と修司は苦笑する。
「……仕方ない、か」
ぽつりと呟き、修司は懐から手榴弾を一つ、取り出した。
爆発によって破片を撒き散らす、ごく一般的な手榴弾であるソレは、時に破砕手榴弾、と呼称されることもある。
「おい、潤!」
トイレの壁越しに、修司は叫ぶ。
「今から、ちょっと危ないモンをそっちに投げる。お願いだから……逃げろ」
言うだけ言ってから、修司は手榴弾のピンを抜いた。
これでは、潤だけでなく、誠にも、こちらが何をしようとしているのかバレてしまうが、別に構わなかった。
要は、通路の奥に逃げ込むための、数秒があれば良い。
破片がクソ兄貴をかすめることには、心の痛みなど感じないが、潤にだけは当たってくれるなよ、と祈りつつ修司は手榴弾を放り投げる。
ワンテンポ、タイミングを計ってから、修司はトイレを飛び出し、通路の奥へと駆け出した。
「くっ! ……待て、修司!」
床を転がる手榴弾を目にしてしまった以上、危険を冒してまで、こちらに突っ込んでくるほど誠もバカではない。
背に腹は替えられず、誠はエスカレーターの影に身を伏せる。
ずん、と手榴弾が爆発し、破片を周囲に撒き散らした。
爆発音が聞こえる頃には、修司は非常階段に身を隠していた。
『今度は二階の奥で爆発したぞ!』
『ターゲットはそっちか?』
『音の場所から察するに、おそらく通路の一番奥、非常階段のあたりだ』
『こちらアダム1。一階にいるが、非常階段に近い。オールアダムは非常階段に向かう』
『こちらはウィスキーゼロだ。アダム1、了解した。三階には誰かいるか?』
『こちら、タンゴ1。三階にいる。非常階段に向かえば良いんだな?』
『そうだ』
『ウィスキー2だ。イーブンウィスキーは四階にいるが、我々も非常階段に向かうべきか? 指示を請う』
『いや、ターゲットはタンゴとアダムに任せるんだ、ウィスキー2。ウィスキーは逃げ遅れた客が周辺にいないか確認しろ、オーバー』
『了解。ウィスキー2、アウト』
ダッシュボードに取り付けた無線機から流れてくる声を耳にしつつ、津堂洋一はナインズから少し離れた位置にある路上に車を停めていた。
ギアを「P」に入れて、サイドブレーキを掛ける。それから、津堂は携帯電話を取りだした。
通話履歴を呼び出し、そこから「神坂誠」を選択する。
コール音五回で、誠は電話に出た。
『……はい、誠です』
「無線を傍受した。三人のターゲットのうち、一人は片付いた。残りの二人が見つかってないが……いないのは誰だ?」
『仮面のヤツと……そして、マルSです』
答える誠の声には、苦々しさがあった。
相棒の失態を戒めてやるべきか……と津堂は思ったが、敢えて責めないことにした。
相手は、JBIのタクティカル・チームにて、生ける伝説と化した男であり、まっとうなタクティカル・チームの襲撃からも生き残った男なのだ。不死身と言えば聞こえは良いが、むしろゴキブリ染みたその生命力に、いっそのこと敬意を表し、マルS改めマルGと呼んでやった方が良いかもしれんな、と津堂は内心に漏らした。
肉親だからといって、手心を加えたわけではないだろう。誠を責めたところで、どうなるものでもない。
おそらく、誠が逃がしてしまった瞬間、JBIの側からツキはこぼれ落ちた。どれだけ足掻いても、ナインズで神坂修司を捕まえることも、殺害することもできそうにない。
おそらく、ガルマンを捕まえることもできないだろう。
三人のうち、一人を片付け、二人を逃がす。敗北の部類に入るであろう結果に、津堂は溜息を吐いた。
「……事態の収拾を始めろ、誠」
それすなわち、状況終了の宣告であり、修司とガルマンの捜索を諦めろという意味だった。
『しかし、津堂さん!』
諦めることができないらしい誠に、津堂は「これ以上は無理だ」と告げる。
「射殺の許可は、あくまでもJBIの独断によるものだ。専門家に突っつかれれば、JBIには言訳ができん。これ以上、JBIの立場を危うくするのは避けたい」
治安維持機関における対テロ部隊の為すべきことは、被疑者の“無力化”であり“殺害”ではない。あくまでも犯人を逮捕してから、口を割らせることに意味があるのであって、物言わぬ死体の山を築き上げることが、法執行機関の対テロ部隊仕事ではない。そんなことをすれば、世界中の司法機関の対テロ部隊から笑いものにされた挙げ句、民間人に出る被害を顧みない馬鹿野郎共という誹りを世間から受けるハメになる。
それを分かっていながら、なおも作戦続行を強行しようとすれば『なぜ、そこまでして射殺に拘るのか?』と余計な勘ぐりをされてしまう。そうなれば、隠しておきたい事柄を隠し通すことはできなくなり、本末転倒となる。
「第二プランとして、車両部隊に連絡が回っている。ターゲット二人が外に逃げたとしても、対処のしようはある。だから、お前は事後の処理にあたれ」
口ではそう言ってみたが、そんなものは誠を諦めさせるための方便に過ぎないことくらい、津堂には分かっていた。外に出られては、絶対に捕まえることができない。
いずれにしろ、一度、身を引くべき時である。それが理解できないほど、強情な男でもない誠は、渋々といった口調を隠すことこそしなかったが『……はい』と言ってきた。
通話を終えた津堂は、チェンジレバーを操作し、車を動かした。
フロントガラスの向こうには、暗くなった空が広がっていた。