コナサノ航空基地での待機任務が終了し、非番の日に暇を持て余していた西園寺卓は、実家に顔を出すことにした。
尤も、実家といえど、そこはヤマシロ市長の官舎であるため、本当の意味での実家は別なのだが。
本当の意味での実家には、それこそ、十年は戻っていない。そちらの実家は母親が西園寺家に使える執事やメイドと共に、切り盛りしているはずであった。
西園寺家は名家である。日本の東部の都市に本拠を構える財団一族。それが西園寺という家であった。
財団その物は、母の弟にあたる人が跡を取っている。だが、財団運営に並々ならぬ手腕を発揮することができる母は、弟の相談に乗っていたり、あるいは弟に口出しをすることもしばしばだったとか。
軍人時代のコネもあっただろうが、卓の父である西園寺厳蔵がヤマシロの市長選挙を勝ち抜くことができたのは、母方の実家である西園寺家の財力によるところが大きいと言えた。
自分が壊してしまった西地区を元に戻すべく、市長選挙に出馬する。懺悔の気持ちから市長になった父は純真な人柄だったのだろうと、卓は思う。とはいえ、街を壊した張本人を市長にしたいと民衆が思うはずがないのは当然だっただろうし、その結果としてゲリラグループが活動を開始してしまったのは、厳蔵とすれば不本意であったことだろうが。
ただ、潰れた街を元に戻したい。
その一心で市長になった厳蔵と、街を壊した張本人に政治を任せることなどできないと主張するゲリラの一団。第三者であれば『どっちもどっち』の一言が返ってくることだろうが、両者の対立に油を注ぐ輩もいた。始末に負えない存在でしかない青柳龍一郎の行方は知れないが、少なくともKAMUIグループには日夜、JBIの捜査官たちが忙しく出入りを繰り返しているらしい。
ここのところ、何かと騒々しかったが、それもようやく区切りがついた。ゲリラは解体され、西地区の復興活動は本格化している。平穏な日々が戻り、街には活気が溢れてきた。
これからが父、厳蔵の仕事も忙しくなる……という時に、卓は官舎での父の部屋で、驚くべきことを聞かされた。
「辞める?」
卓が訊き返すと、厳蔵は事も無げに「ああ」と応じた。
「おいおい……これからじゃないか? ヤマシロの復興活動にしろ、何にしろ。それなのに、市長を辞めるって?」
「ワシとて、続けられるのなら続けたいがね……。だが、世間がそれを許してはくれんらしい」
ゲリラを野放しにし、確実に潰そうとしなかった不始末や怠慢が、北地区の学園テロに繋がったという見解。
北地区の学園テロは、射撃科という科目を強引に推し進めたことで発生したという見解。
西地区を筆頭に、ヤマシロ上空での空戦はヤマシロ都庁の対応が遅かったからこそ、あそこまでの被害になったという見解。
どれもこれも、厳蔵の責任を問うような、もっと言うなれば、厳蔵の退陣を望んでいる声ばかりであった。
人間の知力を越えた要求ばかりだと、卓は思う。
ゲリラを野放しにしていたわけではない。
陸部の内務監査室を動かし、陸部の幕僚がゲリラに銃火器と弾薬を横流ししていた事実を発覚させたのは、厳蔵の手腕によるものであるし、ゲリラを野放しにしていたとすれば、それは司法組織であるJBIやヤマシロ市警の方に問題があると見るべきである。尤も、JBIはともかく、ヤマシロ市警は血眼になてレッドフェザーを押さえつけようとしていた――市警ではJBIのような特殊部隊を抱えていないにもかかわらず、それでもなお懸命に――のだがら、決して、野放しにしていたわけではなかったと言える。
それで尻尾を掴ませず、ゲリラ活動を続けた挙げ句、白百合学園でテロまで起こしたのは、レッドフェザーの方が一枚も二枚も上手だったというだけのこと。無論、犯罪者集団に先を行かれるような警察組織であっては困るのは確かだが、この場合はどうしようもできなかったのだから仕方のないことだと割り切るしかない。
射撃科という科目を推し進めたのだって、非合法に活動するゲリラ達から、学園の生徒たちが自分の身を守るための“護身術”として、厳蔵がよかれと思って導入したに過ぎない。生徒間で誤射が起こらなかったのも、管理と教育が徹底していたからこそだろう。それ以上に“テロによる襲撃を警戒せよ”ということを学園に求めるのは酷だろうし、それならば、ヤマシロ市警に特殊部隊を作るべきだったろうな、と卓は思う。にもかかわらず、その特殊部隊を設立するという案を「金食い虫」の一言で封殺したのは、いったいどこの誰だったか。今さらのように、西園寺厳蔵を退陣させる風に乗っている、そんな連中ほど、次の市長選挙に熱を入れそうなものであった。
とどのつまりは、ヤマシロ上空での制空権の奪い合いにおいて、ヤマシロ都庁の対応が遅れていた……などと言う輩がいるが、むしろ対応は素早かったほうだろうと卓は思う。
防空レーダーに映ることなく、突如としてヤマシロ上空に十二機の戦闘機が現れた。その敵戦闘機の迎撃に、ヤマシロ都庁は一も二もなく近いところからの空部の基地に応援を要請したし、ヤマシロ市警の捜査員を総動員し――しかも余っていた陸部の特殊部隊すらも使って――ヤマシロの住民を避難させた。あれ以上の避難誘導があるなら、是非とも見せて欲しいと卓は考える。
どうにもできないことというものがある。それに、かち合ってしまったのは、厳蔵にとっては不幸だったことだろう。
「けど……」
卓は父親に言う。「父さんは、それで納得できるのか?」
「そりゃあ、できんさ。しかし、ワシを退かせるためなら、武力に打って出るような輩もおる。無理に市長の職を続ければ……余計な混乱を招くことになりかねん」
「これ以上の混乱はまっぴら。それなら、市長の椅子を誰かに譲ったほうがマシ、ってこと?」
「そういうことだ」
この人らしい考えだ、と卓は思った。
自分の希望より、みんなの希望。みんなが悲しい顔をするなら、自分の希望を引っ込める。我が道を貫く、ということを決してしない厳蔵らしい選択に、これは何を言っても考えを変えることは無理だな、と卓は思った。
もう一つ、卓には気になっていることがあった。「ところで」と卓は話題を変える。
「市長を辞めた後、どうするんだ? 隠居生活には少し早いだろ?」
「ああ。美咲のこともあるしな」
卓の妹である西園寺美咲の名を厳蔵は持ちだした。
「その美咲だよ。あいつ、どうするんだ? 聞いた話じゃ、進学の話は無くなったんだろう?」
テロを誘発するような制度を採用していた学校の生徒を、当大学では受け入れることができません――。
随分とまぁ、直截な言葉の羅列と共に、推薦入学の話を取り消してくれたものだ。
さぞかし、落ち込んでいることだろうな……と卓は父親共々、悲観していそうな顔を想像したが、返ってきた父親の言葉はあっけらかんとしていた。
「まぁな」
「まぁなって……それだけか?」
「それだけ、とは?」
目を丸くする厳蔵に、卓は言った。
「娘の進学の話がパァになったんだぞ? もう少し悲しそうな顔をするのが親じゃないのか?」
「……いやな? ワシも、その話を聞かされた時は、たいそう心も痛んだが……当の本人がちっとも落ち込んどらん」
「進路も定まらないんじゃ、お先は真っ暗だろうに……」
「進路なら、決まっとるよ。浪人すると言っておった」
「簡単に言うが、簡単じゃないだろう?」
「だろうな。だが……これは、親の目、という物差しを抜きにして聞いてほしいんだがな……」
そこで一度、言葉を切り、厳蔵は卓の目を覗き込んでから続ける。
「美咲は、受かる」
「……なんでそう思う?」
「美咲は『本人で判断せず、周囲の状況で人を判断するような学校に誰が行くか。もっと上の大学に行って、見返してやる』と鼻息荒く語っておったよ」
良くも悪くも、前向きな性格をしている妹だった。
だがまぁ、それだけの気概を持って、受験勉強に勤しむというのなら、心配はないだろう。どんな結果であれ、美咲は自分で納得できる結果にはするだろうから。
「まぁ、元気そうなら、それで良いんだけど」
「ああ、ワシもそう思う。むしろ、問題は金の方だな」
予備校通いの方はともかく、大学に行くのなら、四年間の学費が必要になる。
「どうするんだよ? 奨学金だけじゃ、厳しいんじゃないのか?」
「だろうな。だが、ワシも仕事のアテが無いわけじゃない」
「何をするんだ?」
「……良いか? お前のことだから、よそで吹聴して回るとは思ってないが、一応、釘は刺しておく。誰にも言うなよ?」
まさか、今度は父親が何か非合法活動をするつもりじゃなかろうな、と思った卓は生唾を飲み下す。
「ヤマシロ市警に、特殊部隊を設立する話が、やっとまとまった」
「……それで?」
「そこの隊員を鍛えるよう、教官としての仕事をしてくれないか? と市警の本部長に声を掛けられていてな」
「……まぁ、言いふらして良いことじゃないってのは分かるけどさ、そんな隠し通すほどのことか?」
「表沙汰には、しないほうがいいこともある。実はな……市警特殊部隊の隊員には、解体されたレッドフェザーの人間を使おう、という話もある」
また突拍子もない単語が出てきたな、と思った卓は「……可能なのか?」と父に尋ねていた。
「特殊部隊に所属する隊員は、機密保持の観点から、あらゆる情報を秘匿されるからな。元々、どんなことをしていた人間だろうと、隠し通さないといけないというルールがある以上、素性の心配をする必要はない」
「そりゃあ、まぁ、そうだろうが……」
「あと、スジの良い連中が揃っている。その気になって鍛えてやれば、立派な一線級の特殊部隊が作れる」
「ひょっとして、楽しみなのか?」
この時の厳蔵は市長の顔ではなく、陸部時代の指揮官の顔になっていた。政治に手を染めるより、教官として若輩を育てることの方が板に付いているな、と卓は思った。
「JBIが回してきた人材に、元レッドフェザーの連中をひとまとめにして、訓練を開始する予定になっている」
「いつから?」
「月が変わればすぐだな」
「もう三月も終わりじゃないか。随分と急だな……」
まさかとは思うが、市長の職を辞めることを、どことなく待ち望んでいたのではないだろうな、と卓はいらぬ詮索をしてしまった。
タヌキにも似た父親の顔つきに、息子である自分もいつかはこんな顔になるのだろうか、と思うと、卓の気分は暗澹たるものになった。
卓は思う。
自分は、できるのであれば、母親似でありたかった、と。