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一年の終わり ‐ 白石英二

「自分を、剣道部の指導員に、ですか?」
 白百合学園の校長に呼び出され、校長室に足を踏み入れて数分。OBとはいえ、とうの昔に学園を卒業している自分は既に学園とは赤の他人である。にもかかわらず、呼び寄せた理由を校長に尋ねたところ、返ってきた言葉がそれだった。
「ああ」
「しかし……教員免許なんて持ってませんよ?」
 白石英二の言葉に校長は「構わないよ」と答えた。
「顧問となると、教員免許が必要になるが、いわゆる『コーチ』としてなら、教員免許が無くても構わないのさ」
「はぁ……」
 曖昧な返事をした英二に、校長は言う。
「白百合学園剣道部の元エースだろう、君は?」
「昔の話ですよ」
「それでも……えーと、なんと言ったっけ? あの旗を巡って勝ち抜く、あの剣道の全国大会……」
「ああ、蒼鷲旗(そうしゅうき)大会のことですね?」
 英二の言葉に校長は「そう、それそれ」と言った。
 青空を飛ぶ鷲の姿を描いた旗なので、蒼鷲旗と呼ばれるが、同時に蒼鷲旗とは全国の高等学校が参加する剣道大会のことでもある。
 高校野球などと違い、蒼鷲旗大会には地方大会や予選といったものがない。正規の手続きを踏めば、どんな高校からでも参加することが可能である。
 逆に言えば、参加校が恐ろしく多く、勝ち抜くことは至難を極めるということなのだが、だからこそ優勝者に授与される蒼鷲旗には、それだけの価値と重みがある、ということでもあった。
「しかし、学園内でエースだった、というだけですよ、僕は。全国になれば、わんさと強い人がいます」
「だが、その大会で、うちの剣道部を率いて、ベスト十六にまで残ったんだろう? 参加校の多さを考えれば、充分な成績じゃないか」
「シード含めて、当時は百三十校が参加していました。あそこで三回、勝っただけです」
「だが、勝つためには……君だけの実力では不可能だっただろう?」
 蒼鷲旗大会は団体戦であり、五人一組となって試合をしていく。勝った人数の多い学校が次の戦いに進めるトーナメント形式となっている。
 つまり、飛び抜けたエースがいようとも、総合力で勝っていなければ、次には勝ち進めないということだ。エースで確実に勝利を収めても、他の四人でコケては勝ち進むことはできない。
 飛び抜けたエース一枚よりは、勝ちを計算できる程度の駒が何枚かいる……というほうが、勝ち抜く可能性が高いということだった。
 何が『あの大会の旗、なんと言ったっけ?』だ。この校長は、あの剣道大会のことを熟知している。知っているからこそ、大会を勝つためには個人の力より総合的な力が大事になってくる、ということを理解している。
 では、そのためにはどうするか?
 中学のエースを探しだし、推薦入学の話を取り付ける……などということをせず、有能な指導者を見つけて、チームとしての底力を上げれば良い。
 この学園には、大会に出れば、そこそこ使い物になるエースがいるのだろう。そのエースを軸とした『勝てるチーム』を作って欲しい、ということか……と英二は判断した。
 事実、英二は学生時代、自分自身を鍛えることより、仲間達にアドバイスをしたりして仲間を鍛えることの方を重点的に考えていた。結果としてチームの力は底上げされ、蒼鷲旗大会ではベスト十六にまで進出した。
 おそらく、そのことをこの校長は買ってくれている。
 今度は指導者として、剣道部の部員達の尻を叩き、蒼鷲旗大会に参加し、蒼鷲旗をもぎ取ってこい――
 言葉にはしていないが、校長の望みはそれだろう。
「……確かに僕だけの力では、あの大会でベスト十六にはたどり着けませんでした。仲間達の力があったからこそ、あんなところにまで行くことができたんです」
 同時に、と英二は思う。
 自分は仲間想いだったのだろうが、仲間想いだけではなく“仲間重い”でもあったからこそ『あそこまで』しか行けなかった、ということなのかもしれなかった。
 仲間達を鍛えることにばかり目がいき、自分自身の鍛錬がおろそかになったことは否めない。そのことで、当時の仲間達を恨むつもりは毛頭無いが、しかし……ベスト十六に勝ち進み、その試合で勝てば準々決勝に進出できるという試合。
 その試合の大将戦。
 あそこで、英二と相手の大将との、練習量の差が出た。
 あそこで、英二が勝利を自分の物にしていれば……ベスト八に進出していたことだろう。
 あの領域になると、メンバーの一人一人が強くなってくる。個人個人がハナから強いのだから、総合力も自然と高くなる、というごく当たり前にして、決して揺るがない“強さ”という物の本質。
 英二は、それに負けた。
「……蒼鷲旗を奪うということは、簡単ではありませんよ?」
 簡単ではないのに、取れというのか?
 英二は校長の目を見て、尋ねた。
 笑うことも戸惑うこともせず、校長もまた真っ直ぐに英二の目を見返していた。
「それでも、持って帰ってきてくれ」
 それでも、ときた。
 英二は答える。
「指導者としては、右も左も分かりません。青二才どころの話ではありませんが……それでも、よろしいのですか?」
「ああ。何も、今すぐに取ってこい、と言うつもりはないよ」
 向こうは、頑として引くつもりがないらしい。
 譲れない理由があるらしい。まぁ、地に落ちた信用を回復するためなら、選り好みをしている余裕は無かった、というところだろう。
 それに、後輩の育成、というものに興味がないわけではない。
 レッドフェザー内部に潜入するべく、西園寺厳蔵の元を一度は離れた。しかし、市長の職を辞するつもりでいるらしい厳蔵の元には、執事として戻ることはできなかった。
 なら、別の仕事を……と思っていた時、その厳蔵から「やってみないか?」と声を掛けられ、何をですかと尋ねた時には「話はつけておいたぞ」と言われれば、白百合学園の校長室を訪れるより他はなかった、という事情もある。
 しかし……安請け合いのできることでもないことは事実だった。とはいえ、英二の腹は既に決まっていたのだったが。
「わかりました」
 英二は校長に告げる。「そのお話、引き受けさせて頂きます」