実家が引っ越した後、神坂潤は実家にまったくもって帰っていなかった。
そのため、実家がそこにあるとはいえ、潤にとってそこは初めて訪れる街だった。
第一主要都市・ゼロズマ。
国家が直轄管理するいくつかの都市――通称を『ナンバー・ポリス』――の中でも、最大規模の都市だった。
日本東部に位置するゼロズマは、日本という国家の根幹を成してもいる、俗に言う“首都”であった。
各種産業の本社ビルや、国家的組織の本部がいくつも居を構えている。摩天楼ぶりでは、日本の西部にある第七拠点都市・ヤマシロの中央地区では及ぶべくもない。
区画整備された住宅街の一軒家。
JBIのビッグボスこと、JBI局長を務める神坂修造(かんざか しゅうぞう)の自宅でもあった。
扉を開け、兄の誠と共に潤は居間にやって来た。
「局長」
誠が修造に声を掛けると「家くらい父さんと呼べ」と新聞を読む目を上げずに修造は答えた。
学生にとっては春休みだが、今日は日曜日でもある。父が家にいるのはそのためだろう、と潤は判断した。
「……戻ったか、潤」
新聞を折り畳みつつ、父の修造はこちらに声を掛けてきた。
「……ただいま、父さん」
挨拶こそ交わしたものの、それ以後の会話が続かない。
父はかゆくもない頭をポリポリとかきつつ「まあ、そこに座れ」とこちらにソファを勧めてきた。
父とは九十度の角度なる位置に、潤は腰を下ろす。潤の横に、誠も腰を落ち着けた。
なんと言って、話を切り出せば良いのだろう、と潤は悩んだ。
聞きたいこと、知りたいこと、言いたいこと。
たくさんあるはずなのに、上手く言葉にできない。
それは父も同じらしく、何かを言おうとしては、何も言うことができず、開けた口を閉じ、閉じては開けるを繰り返していた。
「父さん。潤は知っている。というより……修司を見てしまった」
助け船を出すような――あるいは父親を追い詰めるような――誠の声だった。
すると父は言った。
「……そうか、見てしまったか……」
「ああ。知らなければ、それに超したことはないと思ってきたし、だからこそ潤の独り暮らしを大目にも見てきた。でも……」
「見てしまった以上、教えてやったほうが、良いかもしれんな」
腹を括ったらしい父親の声音だった。
父は潤に顔を向ける。
「潤。知っているようだから、敢えて言うが……お前の兄さん、神坂修司は」
一拍置いて、父は言い切った。
「生きている」
耳にした潤は、そんな馬鹿な、という思いと、ああやっぱり、という思いの両方が心に渦巻いた。
「死んだというのは、嘘だったんだね?」
潤の確認に、誠も父の修造も、首を縦に振った。
潤も覚悟を決めた。
これから聞かされる話は、潤を変えてしまう話になる。
多分、自分はもう元には戻れない。
昔のように、実家をつっぱねて、ヤマシロでの生活をするということはおそらくもうできない。
潤は目を閉じる。
瞼の裏側に様々な顔が浮かんだ。
中学の頃からの友人であり、女好きでありながらも、人を楽しい気分にさせてくれる世田谷翔。
高校で同じクラスになり、学生寮では隣り同士ということもあって、気付けば仲良くなっていた桜井充。
失われた生徒会副会長に代わり、立派に会長を支えており、なおかつ自分自身の夢に向かって真っ直ぐに生きる生徒会副会長の猪狩進太郎。
その生徒会で辣腕を振るう完全無欠という表現が似合うが、時には女好きという一面も見せる生徒会長の桐原綾華。
剣道に明け暮れる日々を送り、竹刀と一心同体となった姿は、優雅に舞う“桜”の花弁を想起させる桜ノ宮永久。
明るい性格と、快活な身のこなしから、みんなから好かれる人気者にしてムードメーカーの御浜結衣。
内気で気弱だが、譲れないプライドも併せ持ち、テコでも動かすことのできない頑固な一面を見せることもある幼馴染みの一人、悠ねえこと羽住悠里。
他にも、担任教師だった風原透真に、射撃科教諭にして家庭科部の顧問だった織宮麗。
潤に強さというものを教えてくれた六木本劾に、東条一機。
そして……幼馴染みで、いつだって強気で、勝ち気であり、潤を励ましてくれたこともあれば、潤が励ましたこともあった、知ってる限りでは最も付き合いの長かった羽住悠奈。
彼らとは、もう会えない。
少なくとも、今までの自分と同じではいられない。
潤の目から、一筋の涙がこぼれた。
――さようなら――
彼らへの別れの言葉であると同時に、これまでの“自分”との別離の言葉だった。