傘張り生活

三月

 国公立二次試験の前期試験が終わると、直に三月になる。
 合格発表こそ、あと数日しなければ出てこないが、風間も倉持も、そして美咲も、確かな手応えを感じており、特に不安を覚えてはいなかった。
 そのため、三月に入ってすぐ、倉持発案による「一年間お疲れ様カラオケ大会!」が開催される運びとなる。
 国公立二次のうち、後期試験はまだ残っている。本当ならそれに備えて、最後の踏ん張りをしなければならないのだが……まぁ、今日くらいは良いか、と風間も気を許していた。
「それにしても、お前が参加するとはな?」
 待ち合わせ場所にやって来た途端、そんなことを倉持に言われてしまった。
 毎回思うのだが、それなら何故誘うのだろう。まぁ、せっかく誘ってくれたのに、憎まれ口を返してやる必要もないか……と、随分と“捻くれていない”感情をしている自分自身がいることに風間は気付く。
「ま、今日くらいは、な」
「だよな。いやぁ、それにしても……一年間、よく頑張ったよなぁ、俺達」
「否定はしないけどさ……結果はまだ出てないんだぜ?」
「できることはやったんだ。後は信じて待つだけだろ?」
 倉持の言葉に、風間は「ま、確かに」と頷いておく。
「いやー、それにしても、だぜ? 俺達、いよいよ、大学生だぜ?」
 気が早いな、とは思ったが、倉持の好きに言わせることにした。
「大学入ったら、何するよ、まず?」
 特に何も思いつかなかったので「そう言うお前は?」と切り返してみた。
「俺か? そうだな……まずはサークル探しだろ」
 遊ぶことしか考えていないらしい。ある意味、倉持らしいと言えばそうなのだが。
「なんか、面白そうなサークルとか見つけて、そこ入って、可愛い女の子とかとお近づきになって、と……まぁ、こんなトコロだろ。で、お前は?」
「……実を言うと、だ」
 留まるところを知らないのではないか、と思うほど、倉持の夢――というよりは誇大妄想と言ってもいい気もするが――は広がっている。それに比べ自分のことを顧みた時、何も無いことに風間は気がついていた。
「何も、考えていない」
「おいおい……何もって、ことはないだろ? まずは探そうぜ、サークルとか」
「だいたい、俺達、理系だぞ? 遊んでるヒマ、あるのか?」
「そんなもん、やり方次第でどうとでもなるだろ」
 それは、そうかもしれない。理系だからといって、年がら年中、忙しいというわけではないだろう。
「……というか、お前、ホントに何も無いのか? バイトして金貯めるとかさ」
「金を貯めるのは大事だと思うが……何のために貯める?」
「いや、色々と物入りだろ?」
「例えば?」
 風間が問い返すと、倉持は「遊ぶのに必要だろ、色々と」と答えた。
「……別に、そういうのに興味あるわけでもないしなぁ……」
「味気ないなぁ、そんな生活……。いくらお前でも、四年間、勉強だけに明け暮れるってことはないだろ?」
 それはないだろうな、とさすがに風間ですら思う。
 学問に明け暮れていたいと思えるほど、風間は自分の志望した学部や学科に興味はない。
 工学部を志望した以上、物作りというものに興味がないわけではない。しかし、人生を物作りや研究だけに費やすような勢いで没頭していたい……とも思わない。
 ふと、風間は我に返った。
 自分は何のために、ヤマシロ市立大学を目指したのだろうか、と。
 大学という教育機関を就職予備校であると捉えることができるほど、割り切りは良くない。
 かといって、研究機関として、研究活動に明け暮れていたいとも思わない。
 あるいは、サークルやクラブ活動に精を出し、モラトリアムを満喫したいわけでもない。
 あったのはただ一つ。
 生野透の幻影をねじ伏せたい。ただそれだけ。
 第一志望に合格すれば、その幻影をねじ伏せることができる。今度こそ、勝つことができる。そう信じてきた。
 しかし……合格はほぼ間違いないだろう、という確信を得ている今でも、生野透の影が脳裏にちらつくのは何故か。
 願いは叶ったも同然なのに、イマイチ、すっきりと心が晴れてくれないのは何故か。
 特に感慨深いものがあるわけでもない。
 達成感はあるはずなのに、勝利というものを満喫しているとは言い難い。
 何故、こんなにも無感覚なのだろう?
 頭の裏に湧き出てきた、生野透の影。その影に浮かぶ表情は、嘲弄ではなく……憐憫であるような気がした。